Cypress 13.5

・夏休み直前。生徒会女性陣とお買い物。
・幕間チックなお話です。




「終わったー!」

 終業のチャイムと、先生の「筆記用具おけよー」という合図。学期末テストという呪縛から解放された教室のざわつきを感じながら、立香は大きく伸びをした。
 一学期の期末試験が終了した。明日から、否! 今この瞬間から! 待ちに待った夏休みのスタートである。

「この日のために、どれだけ頑張ったと思っているのか。一学期から今日まで色々てんこ盛りすぎたけど、やっと長期休みを過ごせるぞー! お家で心ゆくまで眠れる! 好きな場所にお出かけできる! 夜遅くまでゲームができる! あ、そうだ。これから一緒に遊びにいかない? マ……」

 自席で斜め後ろを振り返りながら、立香は目を瞬かせる。見つめた先には───誰もいない。いや、いないという表現は失礼だ。あまり接点のないクラスメイトが大勢いる。でも、それだけだ。
 そもそも自分は、いったい誰の名前を呼ぼうとしていたのだろうか。

「ぼーっとしているところ悪いのだけれど」

 立香は驚き、視線を膝の上に戻した。

「アナスタシア!? 堂々とし過ぎでしょ!」
「大丈夫よ。見つからないように霊体化して来たし、ここからはあなたが隠してくれるのでしょう?」

 ほがらかにニコニコ微笑まれてしまったら、そうするより他はない。立香はそっと両手でアナスタシアを隠した。

「突然やってきてどうしたの? 何か事件でもあった? カドック先輩はどうしたの?」

 あくまで小声でアナスタシアに問いかける立香は、廊下にあるかもしれない銀髪を探す。が、かの人物はまったく見当たらない。手の中で、皇女が呆れたため息をついた。

「質問が多くて疲れてしまうわ。一つずつ答えましょう。まず、カドックは生徒会室で仕事中です。邪魔しないでくれと頼まれたので、暇つぶしにあなたの元へ来てあげたの。次に、なんであなたの元に来たのかって質問だけど、わたしはあなたをお誘いに来たのよ」
「お誘い?」
「ええ。これからデパートに水着や浴衣を調達しに行くの。オフェリアとヒナコも一緒にね。一応カイニスも誘ったのだけれど、にべもなく断られてしまったわ。あの人、私のことが嫌いだから仕方ないことだけれど、誘った身としてはちょっとだけ傷つきます」

 ぷくーっと頬を膨らませて不満をあらわにするアナスタシア。ハムスターみたいに膨らんだ頬には、「あなたはそんな意地悪なことしないでしょう?」と書かれている……気がした。見た目だけは儚げな天使のようだが、悪戯好きだったり、人を振り回すことが好きだったりと、ずいぶんしたたかな気質をお持ちのようだ。
 立香は頭の中の家計簿を取り出し、預金残高と電卓でおおまかな予算を立てた。
 ……ふむふむ、……うん、大丈夫。じゅうぶんショッピングを楽しめる貯蓄はあるはずだ。

「水着は買う予定がないけど、浴衣は新しいのが欲しいかも。もうすぐ鈴鹿の神社で夏祭りもあるし」
「なら決まりね。校門前で二人が待っているはずだから、早く行きましょう。私を丁寧に運ぶのを忘れないで」

 アナスタシアが立香の胸ポケットにするりと滑り込み、「さ、発進してちょうだい」と立香に指示する。ロビンもそうだったけど、カプさばってわたしのこと超巨大ロボだと思っている節があるよなと苦笑しながら、学生鞄に筆記用具をしまいこみ教室を飛び出した。

 ※

 校門の前には生徒会の女性陣二人が待っていた。
 眼帯をしたクール美女は目を伏せたまま上品に腕を組んで。
 本を読んでいる眼鏡の知的美女は校門にもたれて。
 立香とアナスタシアの下校を黙したまま待ちかねていた。
 ───さすが学園でも顔の整った方たちだ。下校していく学生のほぼ全員が、彼女たちをちらちらと盗み見ていた。

「来たわね。今日はあなたのカプさばはいないの?」 と、ヒナコ先輩は文庫本をぱたんと片手で閉じる。
「ロビンですか? 最近は家で寝てることが多いんです。とりあえずアナスタシアやカイニスがいるから、昼の学園は大丈夫だろうって。そのかわり毎日駅まで迎えにきてくれます」
「仲がいいのね。羨ましいわ」 ふふ、とオフェリア先輩が柔らかく笑んだ。
「そ、そんなんじゃないです! オフェリア先輩、勘違いしていませんか!?」
「さあ? それよりも早く行きましょう。藤丸さんの家の近くにあるショッピングモールで構わないかしら」
「いいんですか? わたしは助かりますけど」
「そこそこのブティックはそろってるでしょ。なら十分じゃない? このまま駄弁っていても埒が開かないし、とりあえず駅まで歩くわよ」

 はいゴーゴーと、ヒナコ先輩が立香の両肩を後ろから押してくる。ちなみにアナスタシアは立香の鞄のふちに座って、キーホルダーのように揺れながら状況を楽しんでいた。いつのまに移動したのだろうか。というか、鞄の揺れに合わせているあたり、かなり板についたカプさばぶりだ。
 かくして、二度とないであろう異色の組み合わせによる買い物がスタートしたのであった。

 ※

「うーん、この水着はちょっと大胆すぎるかしら。あんまり少女趣味に走ってもアレだし。わたしが何を着ても項羽様は褒めてくださるだろうけど……。意外と『なんでもいい』が一番困るのよね」

 眉をハの字にしたり、不満げに頬を膨らませたり、ヒナコ先輩は水着コーナーで大忙しだ。ひとつひとつハンガーにかけられている水着を吟味し、彼女のパートナーの名前であろう人物の評価を予想しては、場所を変えて同じ行為を繰り返していた。きっと見えないだけで、脳もフル回転しているに違いない。
 忙しないヒナコ先輩はそっとしておこうと頷きあいつつ、立香はオフェリア先輩、アナスタシア両名の水着選びに協力していた。ちなみにアナスタシアは元の大きさ───立香と同じくらいの身長───になっており、オフェリア先輩が用意していた小花柄がちりばめられたレモン色のワンピースを着ている。どこから見ても、どこに出しても恥ずかしくない、清楚で可憐な美少女だった。

「生徒会で海に行くんだね。いいなぁ、すごく楽しそう」
「実はカドックの発案なの。プールを海水で満たしてしまうくらいなら、連れて行ってやるからちゃんと海で遊ぶぞって。別に、私が海で遊びたいから悪戯したわけではないのだけど」

 アナスタシアは自分のことをきちんと理解していないマスターに対してため息を吐いた。おそらく本心は、ただカドック先輩に構ってほしかっただけなのだろう。立香はオフェリア先輩と笑いあった。

「藤丸さんの夏の予定は? どこかに出かけないの?」

 オフェリア先輩がパレオ風のエキゾチックな水着に手をかけながら質問してきた。

「鈴鹿の神社で開催される夏祭りには行こうかと思ってます。海は……いつも見ているから食傷気味です」
「確かに……。身近だと慣れてしまうし、いつでも行けるという安心感から、自然と足が遠のくことがあるわね。遠くの観光地には出かけるけれど、近場の観光地は訪れたことがないという人も一定数いるようですし」
「なので、今日は浴衣だけ買って帰ろうかと」
「浴衣だったらむこうの展示場にたくさん並べられていたわ。わたしも買ってみようかしら。夏祭りでカドックを誘って、屋台の粉ものを食べ歩くの。そして帰りがけにふらっと立ち寄ったラーメン屋で、美味しい醤油ラーメンを食べる。……想像するだけでも楽しいわ。さあ、早く選びに行きましょう」

 こっちよ、とアナスタシアは立香の手を取り、なかば引きずるように浴衣の販売コーナーへと走った。
 季節がら浴衣と水着はまとまった一区画で販売されている。大量、かつ色とりどりの水着と浴衣が並ぶ光景は、花畑のように華やかではあるが、あまりにも色味が多いため、情報量で押し流されてしまいそうだ。

「たくさんあって目移りしてしまいそう。藍色もいいけれど、落ち着いた紫も捨てがたいわね。あ、柄で選ぶのもアリかしら。だったら金魚にしたいわ。ひらひらの尾が大変可愛らしくていいと思います」

 上機嫌で浴衣を物色する皇女の隣で、立香はけっして晴れやかとはいえない面持ちでうつむいていた。
 正直、浴衣を選ぶよりも聞きたいことがたくさんある。実は買い物よりも、そちらが目的で同行したのだ。下心マシマシで気が引けてしまうが、ここを逃すと、もう訊ねる機会は失われてしまうかもしれない。
 けれど───同じくらい迷ってもいる。
 はたしてロビン以外から、カプさばに関するアレコレを聞いてしまってもいいのだろうか。
 彼は───なにか重大なことに気付いている。そして、それを立香に悟らせないように隠している。ふとした瞬間、彼の行動の端々に、消えない警戒心や、遠慮のようなものが見え隠れするのだ。その証拠に、立香はいまだにカプさばの性質や、彼自身のことをほとんど知らされていない。訊ねたとしても、のらりくらりとはぐらかされてしまうのである。
 焦点のあっていない立香の瞳を、アナスタシアが心配そうに覗き込んだ。

「浮かない顔ね。なにか悩み事でも? ……などと、しらばっくれるのはやめにして、ここははっきり聞いてしまいましょう。私に訊ねたいことがあるのでしょう?」
「……やっぱり分かっちゃいました?」
「ええ。人の視線というのは、ときに口よりも雄弁に物事を語るものよ。さ、あなたの気になっていることを教えて。私が答えられるものであればいいのだけれど」

 もちろんロビンには内緒にしてあげます、とアナスタシアは密やかに微笑んだ。立香もつられて笑う。気が緩むと同時に、話を切り出す決心がついた。

「じゃあお言葉に甘えて。カプさばって、自分の意志で大きくなれたり小さくなれたりするの?」
「マスターがいるカプさばは自分の意志で自由に変化可能よ。基本的に小さいときは魔力消費も小さくなるから、いわゆる省エネ型ととらえてもらって差し支えないわ」
「それができないときは、何らかの問題がある?」
「魔力がマスターから供給されないと難しいわね。カプさば、つまりサーヴァントは魔力経路(パス)でマスターと繋がっています。マスターから魔力を得て大きくなるのだから、大きくなれない不具合があるのなら、経路に問題があるのでしょう」
「そこがおかしくなる時って、どんな原因が考えられるんだろう」
「そうね……。例えば召喚、カプさばならカプセルを開けた時に、何かあったとかかしら。実際になったことがないから推測しかできないわ」

 ごめんなさいと、アナスタシアは瞼を閉じる。細いまつげが、ふるりと揺れた。
 ───カプセルを開けたとき? なにか変わったことってあったっけ? 普通に開いて、大急ぎで家に帰ったら、ロビンが鞄の中から出ていた。おかしなところなんて、どこにもないように思うけど。
 ……駄目だ。全然分からない。たしかロビンとの出会いは日記に書き記していたはずなので、帰宅したら一度確認してみよう。
 帰宅後の予定を決めている立香に、アナスタシアの耳を疑うような言葉が続いた。

「あなたが気付いているのかどうかは定かではないけれど、ロビンの霊基(からだ)、かなりボロボロよ。カイニスも言っていたけれど、魔力が足りなくて傷が癒えてないみたい」
「……え?」

 勢いよくアナスタシアの顔も見る。驚いている立香に、彼女は「やっぱり気付いていなかったのね」と呟いた。

「もしかしてロビンの睡眠時間が長くなっていることも関係がある!?」
「意識的に魔力の消費を抑えているのでしょう。もしかして、ロビンは積極的に食事を摂っているのではなくて?」

 立香は深刻そうに頷いた。皇女は沈んだ表情で朝顔の描かれた浴衣にかけた手を止めた。

「本来ならサーヴァントに食事は不要よ。趣味嗜好、活力を得るために食べるだけで、霊基の維持って名目ならマスターからの魔力で十分なの。もし食事をしているのだとすれば、食物に含まれる微量な魔力を摂取することで、なんとか現界を維持しているんじゃないかしら」

 がん、と頭を横側から殴られたみたいな衝撃だった。
 初めて会った日から、ずっとロビンは食事をしている。成人男性の平均量ぐらいはたいらげてしまう。やっぱり男の人はよく食べるな、なんて感心していた自分が腹立たしい。

「どうして経路がおかしいのか。なぜ魔力が枯渇していることを黙っているのか。それは私にも分からないし、部外者だから、他のマスターとサーヴァントの関係に首を突っ込む野暮もしません。でも、これだけは言えます。“あなたたち”は、きっと、まだ肝心なことを話し合っていないのよ。お互いの知っていることと、知らないこと。どう思っているか、何を考えているのか。“あなた”は誰で、大切なものは何なのか。本当の意味で理解しあっていない。だから……彼との密会が、置き去りにしてしまった感情を見直す、いいきっかけになるといいわね」

 せっかく面とむかって話ができるんですものと、アナスタシアが白地に金魚が描かれた浴衣を自身に当て、似合うかしらという意味あいをもって、その場でくるんと一回転してみせた。
 立香とロビンの関係など、ほとんど知らないはずなのに、彼女は問題にたいする解答を的確に挙げていく。どうしてだろう。もしかしてヴィイの魔眼で未来が見えるとか!? なぁんて思ったけれど、もしかしたら彼女もまた、誰かに恋をしているのかもしれない。恋の悩みというものは、同じ境遇にあればあるほど、有効なアドバイスを可能にするものだ。
 それにしても密会だなんて語弊がある。頬を膨らませながら、「密会じゃないよ」と否定する立香をよそに、イタズラ好きな皇女は声をおさえつつ笑いを漏らした。
 ひとしきり笑い終わった彼女は、しかし、一瞬だけ立香から目をそらす。
 まるでみずからの罪を目の当たりにしたかのように。
 凄惨なものから、目を背けるように。

「私も……もうすぐツケを払わなければなりません」
「ん? お店にツケがあるの?」
「違います。私はいつもニコニコ現金払いよ。これはまったく別の問題。私事であって、あなたには関係ありません。気にしないように、いいわね? それよりも、この浴衣の色がとてもいいわ。薄浅葱で、帯も明るくて。きっとあなたに似合うと思う。あっちには甚平もあるのね。ロビンの分も買っていくのでしょう? 私もカドックの甚平を選びたいの。せっかくだから一緒に悩みましょう」
「ちょっ、皇女様! 引っ張らないでくださーい!」

 アナスタシアに振り回されながら、立香はこれからのことを考える。
 ───きっかけ。
 うん、そうかもしれない。
 学生生活と、目的が不明瞭な敵との戦闘。めまぐるしく流されていく日々の中で、自分と彼にとって足りないものは、腰を据えて話をするための『きっかけ』だったのかもしれない。きっかけさえあれば、無理難題だと思っていた悩み事も、意外ととんとん拍子に解決できたりするものだ。
 大切なのは、きっかけを生み出すための覚悟と、どんなに邪険にされても挫けない心。それに、いくじなしをやっつけるための度胸。
 真正面からぶつかりあうための勇気を胸に、立香(わたし)はロビン(かれ)と話をする。
 その未来(さき)に何があるのか。どんな変化が訪れるのか。いまはまだ、分からないけれど。
 喪失感を恐れたり、杞憂で考え込んだりするよりも、ずっとずっと好ましい。
 うじうじして立ち止まっているのは、絶対に“わたしらしくない”!
 だから───
 彼に、会いに行こう。
 新しい一歩を踏み出すために。
 まだ伝えていない想いを伝えるために。

「よーし、そうと決まれば! 知ってることとか、隠し事とか、ぜーんぶ洗いざらい問い詰めてやるんだから!」

 これぞ恋に悩める乙女の開き直り。不穏な宣戦布告とともに、立香は彼に一番似合う甚平の発掘作業に没頭したのだった。



命短し、恋せよ乙女。
2024.3.13