Cypress 11



・夏の章のはじまりはじまり~。
・他のカプさばも登場します。(全二騎予定。どちらも既存サーヴァントです)
・ホラー風味を目指します。風味なので怖くない……はず。苦手な方は冷凍庫を準備してから読んでください笑

以上。よろしければスクロールをお願いします。





 青空から降りそそぐ熱い日差しと、湿り気を含んだ熱風。木や建物の壁に張りついて、わしゃわしゃと騒ぎ始める蝉たち。黒々と輝く夏影が、熱い地面に焼きつけられる。
 どこにでもある初夏の気配。それは例外なく、カルデア学園の二年B組にも訪れていた。

「うあー、ふーかーいー(不快)だー」

 椅子に力なく座った鈴鹿の上半身が、立香の机と隣席の学生机を連結させたそこへ、まるでアイスクリームのごとく、どろりと溶け出していた。彼女の両手は真向いに座る立香へと投げ出されており、トレードマークである狐耳(飾り)は、どういう原理かは分からないが、見事にへちょりと下を向いていた。

「鈴鹿ー、だいじょうぶー?」と立香の問いかけ。
「なんとかー。湿り気が不快なだけー」と覇気のない声が返ってきた。

 鈴鹿がバテ気味になるのも無理はない。日本の夏においてもっとも不快なものは、照りつける太陽でも、熱々に焼けたアスファルトでもなく、この息苦しいまでの高湿度にある。まして、今は梅雨入りの一歩手前。列島が南からの湿った空気を取り込んでは、サウナのような環境を、せっせと整えている状態なのだ。
 ちなみに補足しておくと、カルデア学園の教室には立派な空調設備が設置されている。危険視されるほどの気温上昇と、このままでは体調に異常をきたすという抗議の声から、学園側が莫大な経費を割き、下請け業者がせっせと取り付けてくれた夏の救世主である。その最新の薄型タイプな救世主は、ぴったりと忍者のように後方の天井に張りつき、ほんの少し高い温度設定の風をゴウゴウと吐き出していた。

「本日の最高気温は三十度とのことです。昨日に比べて二度ほど高く、今朝はこの夏初めての熱中症アラートが発令されました。現在時刻は十二時半ですので、お昼休みから午後二時ごろまで、気温はどんどん上がる一方ですね……」

 マシュが天気予報士から得たであろう情報を鈴鹿に伝えた。

「うげぇ、まじだるー。せめてエアコンの温度、もうちょい低めに設定しようよー。環境に配慮したいんだったら、人間(うちら)が環境に配慮できるように、人間のコンディションを万全に整えた方が絶対に効率がいいって。つかさ、こっちが配慮しなきゃいけないほど、環境とか自然ってヤワじゃなくない? お天道様はじめ、大自然様の前じゃ人間の影響なんて微々たるもんだっつーの!」

 突然うわーっと両手を突き上げて、鈴鹿が叫び始めた。

「あー、もうやだーっ! 海水浴行きたーい! 自慢の水着、見せびらかしたーい! ビーチパラソルの日陰でおもいっきり涼みたいし、頭が割れそうになるまでかき氷食べたーい!! ……もう学校帰りに行ってやろうかな、海。『せめて夏祭りの巫女が終わるまでは』とか止められてるけど、もう限界。いいじゃん褐色の巫女さんがいても。絶対に可愛いって! 現代社会のテーマは多様性っしょ!? だったら可能性は無限大ってヤツっしょ!!」

 なにやら論点が間違った場所に着地している鈴鹿。どうやら彼女が辟易していた本当の原因は、暑さでも湿度でもなく、神社を管理する家の事情だったようだ。鈴鹿の実家である神社では、毎年、お盆の頃に、夏祭りが開催される。祭礼ありの厳かなお祭り───かと思いきや、参道には屋台や模擬店が所せましと並んでおり、浴衣姿の参加者が、わいわい賑わうユルいお祭りだ。『笑顔の一つもない神事なんて辛気臭いっしょ。神様だって、人間が楽しそうにしている方が気分がいいに決まってんじゃん!』とは、夏祭りを中心となって主催する鈴鹿の言い分だ。
 そんな彼女は祭礼の際、巫女として神事に参加する。きらびやかで立派な本殿にいる鈴鹿は、いつもより真剣な表情で、真面目に神事をこなすのだが、おそらくその時に色白な方が映えると、鈴鹿の家族は考えているのだろう。鈴鹿は、現時点では言いつけを守っているようだが、この調子だと、我慢もあと数日も耐えられそうにない。きっと夏祭りには見事な黒ギャルに変貌した鈴鹿が、可愛く改造した巫女服で、神前に立つのだろう。どうか神様が色黒好きでありますように、と立香は心の中でひっそり合掌した。
 もう一度、机に倒れふす鈴鹿。彼女の右隣に座っていたマシュが、苦笑しながら、売店で買ってきた冷たいペットボトルのお茶を鈴鹿の頬に押しあてた。それは思いのほか心地よかったようで、鈴鹿はすぐにほにゃんと緩んだ顔つきになった。
 昼食が終わり、休み時間の喧噪に包まれる二年B組。立香たちが寄り集まっているすぐ脇を、数名の男子学生が元気よく走り抜けていった。誰も彼も日に焼けた赤黒い顔で、頭髪は短く刈り上げている。肩にさげた大きな部活動鞄には、練習用の白いユニフォームが入っているはずだ。
 元気はつらつな野球少年を横目で見送ったなぎこが、立香の斜向かいで、にんまりと満面の笑みを咲かせた。

「光る汗、泥だらけのユニフォーム、切磋しあう仲間、青春の一ページ……。うん、いいねいいね、野球部のヤロウどもは。あれこそまさに、ほとばしる若さ。そして熱いパッション! いやぁ、振り向かないことって素晴らしいですな!」

 叙景的に語られる男子生徒への感想に、なぎこの対面に座っている香子が困惑したように両手を口元に添えた。

「彼らは同学年で、あなたと同い年のはずです。なにゆえ子供たちを見守る近所のおばちゃん的な立ち位置なのでしょう? ……いえ、それはそうと。なぎこさん、このまえわたくしが依頼しておりました部誌への感想。まだ受け取っていませんが、あれはどうなりましたか?」

 香子が珍しく立香のクラスで昼食を共にしたのは、秋に学園祭で頒布する部誌へのなぎこの書評が目的だったらしい。
 物腰柔らかく、けれど決して逃がさないという強い意思が込められた香子の問いかけに、浮かんだ笑顔のままで、なぎこが固まった。

「もしかして、あたしちゃんクエスト受注済みだった?」
「ええ。あなたが珍しく調べ物をしに図書館へ立ち寄った際に、しっかりと依頼をいたしました。文芸部へ入部しない、ゲスト寄稿もしていただけないのであれば、せめてわたくしの作品に一言くださいと申し上げたはずです」
「ゲスト寄稿だけはマジ勘弁。香子とあたしじゃ作風が違いすぎるんよ……。だがしかーし、書評を請け負っていたとなればハナシは別だ。───よっしゃあ! 今日帰ってやるわ。まっかせなさい。なるはやで! ASAPで! しっかり返信してみせる!」
「そんなことだろうと思いましたので、期限は今週いっぱいに設定しております。一癖も二癖もある、いとをかしな文章を楽しみにしていますね」

 二人の愉快なステレオ会話をBGMに、立香は緑茶パックに刺さったストローを、ずずっと鳴らした。すでに昼食も終わり、お腹は満たされている。完全に手持ち無沙汰だったので、鞄からスマートフォンを取り出して暇をつぶすことにした。
 画面ロック解除からの、よどみなくSNSアプリのアイコンをタップ。しばらく友人たちの面白おかしい短文投稿を眺めていると、星占いというポップな広告文字が目に飛び込んできた。

「…………」

 いつもならスルーしてしまう眉唾物の記事。画面をスクロールしたいのに、指が固まってしまって動かない。
 しばし記事を睨むように見つめたあと、心の中で白旗をあげながら、親指でしっかり長めにタップした。
 ファンシーに装飾されたページを下へ進み、自分の星座が書かれた項目に目を走らせる。

「今月の◯◯座の運勢! ハラハラドキドキの連続。困難が絶え間なく襲ってきそう。でもピンチはチャンス。あせらずに行動することで、気になるあの人と急接近できちゃうかも!? ラッキーアイテムは鏡。ラッキースポットは小さな池。ラッキーカラーはみど───」
「くっ!」

 立香は高速でスマートフォンの電源を落とし、そして少々乱暴に放り投げた。被害をうけた机が、「あいたっ!」と抗議の声をあげるようにゴトンと音を立てた。

「今度は先輩がご乱心、ご乱心です! ここは法螺貝など吹いた方がよろしいでしょうか!?」

 立香の珍しい姿を見たマシュが、大急ぎで制服のポケットから手のひらサイズの法螺貝を取り出した。プピーっと高く細かい周波数(ヘルツ)が響く。これでは気を引き締めるどころか、全身の力が抜けていきそうだ。

「どこに売ってたの、そのミニマム法螺貝!? って、重要なのはそこじゃないや。知らなくてもいい情報を見ちゃっただけだから、あんまり深刻にとらえないでもらえるとありがたいかな」

 あははーと誤魔化す立香に、どこか残念そうなマシュが、未練がましそうにミニマム法螺貝をポケットへ仕舞った。どうやら存外に法螺貝を吹くのが楽しかったらしい。少なからずではあるが、マシュも暑さと湿気に参っているのではないだろうか。
 マシュを宥めた立香は、頬杖をついてため息をこぼす。

「……もう。それもこれもロビンのせいだ。まったく、今頃どこをほっつき歩いているんだか」

 立香がカルデア学園の門扉をくぐると、すぐにどこかへ雲隠れしたカプさば。そんな彼に対して、立香はもごもごと口を動かすだけの小声で、ぶちぶちと恨み言を綴った。
 ───脳裏によみがえるのは、狼の群れに襲われた日の出来事。
 非常に悔しくはあるが、思い出さなくていい記憶ほど、うまくデータが読み込めていない動画のごとき挙動をするものである。同じシーンで一時停止をしたあげく、何度再生を試みようとも、かならず問題の場面で固まってしまって先に進まないのだ。
 できることなら列島を包もうとしている湿気た熱風とともに、どこへなりとも消え去ってほしい。しかし立香のささやかな願いは叶うことなく、事実という名の情報は、すまし顔で、記憶領域の奥深くに根をはるばかりだ。
 加えてもう一つ。その記憶が授業中だろうと食事中だろうと、たびたび顔を出しては、立香を悩ませている要因があった。
 それは、『消去したい問題行為が定期的に繰り返されている』ということだ。
 狼に襲われた日から今日まで、さらなる敵の襲来はない。だからカプさばサイズのロビンが、元の大きいサイズに戻る必要性など、本来ならどこにもないはず。しかし彼は日に二回、朝と夜に、その……き、キ……ごにょごにょをしてくる。当然、最初は立香も怒りをあらわにして拒否を示していた。ファーストを熟睡中に奪われた挙句(記憶なし)、セカンド、サードも、となれば、これ以上のヒットを許す訳にはいかないのである。
 それもこれも、立香が引き起こしてしまった、狼とはまったく関係ない別の事件(後に、悲しみのダークマター事件と名付けられた)のせいである。
 これがきっかけとなり、今度はロビンの方から、なかば強引に、元のサイズに戻るための約束を取りつけてきたのだ。曰く、『基本的にメシはオレが作りますんで、オタクはおとなしく座って待っててください。家が全焼して野宿なんざ、まったくシャレになんねーですから』とのこと。立香の両肩に手を置き、有無を言わさず椅子へ座らせ、恐いくらいの笑顔で念押ししてくるロビン。事件を引き起こした張本人である立香は、それ以上強く反発することもできず、事件の日から今朝まで、ほぼ毎日欠かすことなく、ロビンを元の姿に戻す協力を続けていた。
 いや……まあ、ここまでぐだぐだ語ってきたけれど、結局なにが一番の問題かといえば、だ。その……致し方なく繰り返しているはずの行為が、立香の中で『言うほど嫌じゃなくなってきている』ことがまずいのである。むしろ、初期の抵抗感とか羞恥心はどこへやら、徐々に慣れてきてしまっている自分が確かに存在していた。
 ───違う。楽しみになんてしていない。断じて待ち遠しくもないし、待ち焦がれていたりする気持ちなんて微塵もあるはずがない。
 ……はずである。
 はずなのに───。
 どうして反芻するように、彼のことばかり考えてしまうのか。気がつくと緑の小さなカプさばを探していたり、見つからないと気にかけたり、そのつど心配したりしてしまう。
 ───うん、きっとあれだ。パブロフの犬みたいなものだ。ロビンを元に戻した後、かならず用意されている朝食と夕食が原因で、あれらを無意識のうちに楽しみにしすぎているのだ、自分は。最近、彼は料理のレパートリーを増やしたらしく、なんと和食までラインナップに含まれるようになった。見た目は完全に金髪碧眼の外国人な彼が、ささっと華麗に作るお味噌汁とだし巻き卵。ギャップが凄すぎて食べるのを一瞬だけ躊躇してしまったが、味は絶品かつ繊細だった。立香は生まれて初めて、お出汁の重要性を思い知ったぐらいである。やはり鰹節・昆布・干し茸から取る出汁は、手間いらずな顆粒だしに比べて、味の奥深さに違いがあるのかもしれない……

「おーい、藤丸とキリエライトー。生徒会の先輩方がお呼びだぞー」

 突如クラスメイトの男子に名前を呼ばれ、思考を遮られた立香は、教室の前方にある扉に顔を向けた。
 ちらちら、そわそわと教室の窓から様子をうかがう、廊下側の席に座る学生たち。男女問わず落ち着かないのは、立香とマシュを呼び出した生徒会の先輩方が、性別を問わず羨望や尊敬の念を抱かれているからに他ならない。

「なんというデジャヴ」
「そうですね。あの立ち位置、先日はカドック先輩でした」

 カドック先輩の時は、おもに女子が騒いでいたよなぁと、わずか数ヶ月前の出来事を数年前のことのように感じながら、立香はマシュとともに席を立った。

「ごきげんよう、藤丸さんにマシュ。呼び出しに応じてくれて感謝します」

 上品な言葉使いに、凛とした声色。落ち着き払った物言いは、しかしその中心に燃える焔のごとき強さを宿している。廊下で二人を待っていたのは、生徒会会計のオフェリア先輩だった。キャラメルブロンドの長い髪と、右目を隠している黒い眼帯が特徴的な、学園きっての美人な優等生だ。一切の弛みを許さない生真面目さと完璧な仕事さばきから、「氷雪の会計」と恐れられていたり、いなかったりする。
 そんな相手に気圧されることなく、マシュはフレンドリーな笑顔で挨拶をした。

「こんにちは。オフェリア先輩に、それから……ヒナコ先輩も! 先輩方が二年生の教室を訪ねてくるなんて珍しいですね。何か火急の用事でしょうか?」

 オフェリア先輩の後ろ、中庭に面した窓に背を預け、薄い瞼を閉じていたのは芥ヒナコ先輩だ。彼女は片手に持った本で口元を覆い隠していた。

「急ぎってほどでもないけど、後輩が生徒会の仕事に慣れるのに、うってつけの案件を持ってきてあげたのよ」

 黒縁眼鏡の奥にあるヒナコ先輩の瞳が、立香とマシュの二人をジロリと睨む。ありがたく思いなさいと、雲よりも高い場所から降ってくるような言葉で、ヒナコ先輩は締めくくった。
 ───芥ヒナコ先輩。生徒会の中で、副会長であるデイビッド先輩の次に謎多き人物だ。会話は極力短く済ませるタイプだそうで、他人と接する彼女は、最初から最後まで、不機嫌なオーラを隠そうともしない。生徒会の仕事に対しても、「面倒だわ」と愚痴をこぼす姿を、図書館に住み着いているレベルで入り浸る薫子が、たびたび目撃しているのだそうな。
 ちなみに数日前にマシュ本人から聞かされたのだが、マシュも立香と同様、オフェリア先輩から生徒会への勧誘を受けていたらしい。もちろん責任感あふれる彼女であるため、「頑張ります!」と二つ返事で快諾したとのこと。つまり、来年の生徒会会計はマシュに決定している。
 次期生徒会役員、しかも会計。責任感の強いマシュなら、誰よりも立派につとめあげるだろう。これ以上ないぐらいの人選だ。立香はオフェリア先輩を見るたびに、自分の隣にいるマシュを思い出す。物静かだが意外と芯が強いところとか、仕事に対してかなり真面目なところとか、似通った部分が多い気がするのである。……いや、マシュの方が若干ホワーっとしているかもしれない。絶対に本人には言えないけど。少々失礼な評価は、立香の胸の中だけに止めておくことにした。

「ところでマシュは分かりますけど、どうしてわたしも呼ばれたんでしょう?」

 立香は曇った表情で右手を口元に当てた。マシュが呼ばれたのは引き継ぎの件も含めて理解できるが、そこに立香も加わえられる理由が見当たらない。自分は生徒会の勧誘を断ったはずだが……。
 オフェリア先輩は訝しむ立香を見つめたあと、「詳細は後ほど話します」とだけ告げ、くるりと方向転換して廊下を歩き始めた。遠ざかっていく先輩を、立香はマシュと二人、慌てて追いかける。読みかけの本を閉じるヒナコ先輩の気だるげなため息が、二年生の背中を後押しした。
 異色の四人が連れ立って歩く。旅人のように行き交う学生たちはギョッと目をむき、大袈裟なぐらいに道を譲った。譲りたくなる気持ちには賛同するが、隊列に加わっている立香としては、居心地が悪いことこの上ない。できることなら早々に離脱したいものだが、二人の先輩に前後から挟まれた圧力が、立香の行動力を鈍らせていた。
 連行されるように教室棟の階段を降り、正面玄関へ。オフェリア先輩の指示で、立香は外靴に履き替えて、夏空の下へと飛び出した。
 相変わらず蝉たちは透明の羽を震わせて大合唱に勤しんでいる。日差しは強い。むんとした熱気が、地面から立ち上ってくるのを感じる。立香は息苦しさを逃すため、制服の胸元をパタパタと持ち上げては、身体と服の間に風を送りながら歩いた。
 桝形の校舎外周をぐるりと回り、中庭のむこうに広がる運動場へとむかう。その途中、オフェリア先輩の歩みが少し緩やかなものになった。

「藤丸さんは生徒会への勧誘を辞退したと聞きました。理由をうかがっても?」

 蝉しぐれの間隙を裂き、氷の矢のごとく放たれる質問。立香のこめかみや背筋をイヤな汗が伝う。いつから質問は尋問に変わっていたのだろうか。面子的な居心地の悪さも相まって、今すぐ回れ右をして教室棟に戻りたい衝動に駆られる。そして、つい最近、同じような感覚を味わったばかりだよなと、立香は中庭で遭遇した男子学生の姿を思い出していた。
 立香の声なき救難信号を感じ取ったのか、背後のヒナコ先輩が「参考までに聞いているだけで、特に深い意味はないわよ。気にしすぎ」という言葉をかけてくる。そのおかげで、立香はようやくオフェリア先輩の質問に答える気構えができた。

「えーっとですね……強いて言えば……わたしが生徒会にいるイメージができなかったと言いますか……」

 他にもやむにやまれぬ事情があるけれど、それを先輩やマシュに話す訳にはいかない。面倒ごとに巻き込みたくないというのはもちろんだが、話した所で、カプさばが動き出すやら、狼みたいな怪物に襲われるやら、とんでもない現象の数々を信じてもらえるはずがない。あまりにも現実離れしすぎた現実は、一周半まわって現実味がなくなってしまうものだ。

「そう、確かにイメージは大切ね。でもそれって、思い描けさえすれば何にでもなれるってことと同義ではなくて? 未来を一つと決定づけないかぎり可能性は無限大よ。今はできなくとも、何度か検証を繰り返せば、あるいは……」
「諦めなさいオフェリア。向いていないと感じる人間を引き入れると、本人も周りも不幸になるわよ」

 なおも生徒会への勧誘を続けようとしたオフェリア先輩にストップをかけたのは、意外にもヒナコ先輩だった。

「そういう自信のなさって、徐々に思考を蝕んで、最後にはどうにもならない場所まで自分を追いこんでしまうわよ。一年前のカドックがいい例ね。ま、アイツは『あの子』がいたから、何とか持ち直したけど。でも藤丸は違うでしょう? 幸運な偶然は何度も起こりえないってこと。それにね……こういう一見すると押しに弱そうな奴って、その実、一度自分で決めたことは頑として譲らないわよ。人当たりのいい頑固者っていうのかしら。変人を相手にするより、かなり厄介で手強いんだから」

 口元を閉じた本で覆い隠しているため、ヒナコ先輩がどんな感情なのかが伝わってこない。抑揚のない憮然とした物言いは、ともすれば怒っているようにも聞こえる。
 もしかしなくても、わたし嫌われている? やはり生徒会勧誘を蹴ったことを非難されているのでは? 立香はしゅんと落ち込む。その横で、マシュが慌てたように両手を頭の上でブンブンと振った。

「わー! ち、違うんです先輩! ヒナコ先輩はやる気がなく無愛想で勘違いされやすいのですが、これは遠回しに『無理しちゃダメだ』、『先輩は自分の意見を持っていて偉い』と評価しているのです!」
「ちょっと、マシュ!?」

 マシュの言葉に、焦りの色を濃くするヒナコ先輩。一瞬ぽかんと口を開けた立香だったが、そう思えば……なるほど。マシュの言う通り、ヒナコ先輩の言葉は分かりにくいが、こちらを気遣うものばかりな気がした。

「ほえー、なるほどなるほど。つまり素直じゃないんですね、ヒナコパイセンは」
「そこの二年生二人、普通は本人の前でそういうことを言わないものよ! あとマシュは全然フォローになってないっ!」

 からかってんじゃないわよ、とヒナコ先輩は怒り心頭で目を釣り上げるが、種明かしされた直後だと、ただの照れ隠しにしか見えないから不思議だ。
 思いがけず三年生の二人が暖かい人達だったため、立香は軽く笑みをもらした。

「先輩方は優しいですね。きっと生徒会も居心地がいいんだろうなぁ」
「! それなら今からでも」

 オフェリア先輩が初めて振り向く。その相貌は期待に満ちていた。しかし立香は、「ごめんなさい」と心苦しそうに首を振る。

「やっぱりわたしには荷が重すぎます。それに、やらなきゃいけないこともありますし」

 緑衣の背中が、血に濡れながら守ってくれたロビンの姿が、立香の脳裏に過ぎる。なんだかんだ不満や文句はあるけれど、だからといって彼を放っておく訳にもいかない。皮肉屋で、素直じゃない彼が、立香を仕えるべきマスターと仰ぐ。サーヴァントというものは、マスターがいることで、初めて真価を発揮できるらしい。それどころか聞いた話によると、マスターがいなければ、この世にとどまること自体が難しいのだそうだ。
 つまり、ロビンが頼ることができるのは立香しかいない。そして頼ってきた相手を簡単に突っぱねられるほど、立香は無情になりきれなかった。

「そう……。気持ちは変わらないのね」

 一歩先を行く気落ちしたオフェリア先輩の声。心は痛むが仕方ない。立香でなければロビンのマスターはつとまらないのだ。

「はい。あ、でもわたしに出来ることがあるなら、いつでも何でも手伝いますよ。道具の修理修繕から書類仕事の雑用まで。もちろん、マシュの相談役とかもね」

 肩が触れ合うくらいの距離感で隣を歩くマシュに、立香はウインクをした。仲間に加わることはできないけれど、自分にできることはいくらでもあるはずだ。むしろ輪の中にいないからこそ見えるものがあったり、できることがあったりする。岡目八目とはよく言ったものだ。
 立香の意図を汲んだマシュが、お礼を言いながら微笑む。その後に続いたのは、無念そうなオフェリア先輩の声だった。

「本当に惜しいわ、藤丸さん。アナタのような人にこそ生徒会に所属してもらいたかった。だってアナタの考えは、キリシュタリア様が追い求める理想を体現したものだから」
「あー……『全学生、生徒会化計画』でしたっけ?」

 ずいぶん大胆で、前衛的で、センセーショナルなスローガンだったことを覚えている。カルデア学園で過ごす初めての秋。生徒会の引き継ぎも兼ねた全校集会で、就任挨拶をしたキリシュタリア会長が、確かそんなことを語っていた気がする。……正直、途方もない話すぎて、立香の目の前に宇宙空間が広がり、その空間の果てから隕石でも降ってきたのかと錯覚する衝撃さえあった。とにかく生徒会長の目標と想いが凄まじく高いことだけは、ぼんやりと聞いていた立香にも痛いほど伝わってきたのである。

「生徒会は学園に在籍する者の模範。ならば皆が生徒会であるという意識を持つことで、学園の風紀は保たれ、いじめや差別、偏見などという愚かしい行為や思想も撲滅し、おのずと個人の能力も最大限に引き出され、学園生活がよりよいものへと至ることができるのです」

 大真面目に熱っぽく語るオフェリア先輩。どうやらキリシュタリア生徒会長のスローガンに陶酔しきっているらしい。

「本当に好きよね、そういう理想論。ま、どんな荒唐無稽な夢物語も、貫き通せば現実を侵食していくかもしれないか。私個人としては、あんまり興味ないけど」

 人間という生き物に期待しすぎじゃないかしらと、ヒナコ先輩はうんざりとした声色でため息を吐いた。これはおそらく、「面倒ごとに巻き込んでくれるな」という主張が含まれているのだろう。
 オフェリア先輩が、むっとした雰囲気を醸し出した。

「やらない善より、やる偽善というでしょう? 全部を諦めて傍観したり投げ出したりするより、よっぽどいいと思わない? 改善へと足掻き続けることにこそ、意義や意味が生まれるものよ。とまぁ、そういう訳だから……ただいまより生徒会を執行します」

 運動場を目前に控えた場所で立ち止まり、体ごと振り返ったオフェリア先輩。つられてマシュ、立香、ヒナコ先輩が横並びで足を止める。淡い蒼銀にも似た色のオフェリア先輩の左目が三人をしっかりと見据え、そして高らかに宣言した。

「各部に課していた『一学期における活動報告書』。これが未提出の部活動へ、催促し(なぐりこみ)に行きます」

 どこからともなく、ドドン、という効果音が聞こえた気がした。しっかり五秒ほど経過した後、マシュが立香の制服の半袖部分を指でつまんで、クイクイっと控えめに軽く引っ張る。

「先輩先輩、わたしの副音声がおかしくなってしまいました。オフェリア先輩の口から、とても物騒な単語が聞こえてしまったような気がするのです」

 マシュが困惑ぎみに立香へと耳打ちする。しかしすかさず声を拾い上げたオフェリア先輩が、今度はマシュだけに照準を合わせ、それからゆっくりと首を横に振った。

「マシュ、些末なことを気にしていては、いざという時に足を掬われてしまうわ。大切なのは情報の取捨選択です。では、手始めに運動場でお昼の練習に勤しんでいる野球部から行きましょう」

 戸惑う二年生の沈黙をよそに、校舎の壁に止まった数匹の蝉が、わしゃわしゃジージーといっそう喧しく鳴いていた。

 ※

 報告書───それはカルデア学園の各部活動に課せられた責務である。
 学期初めの“計画書”と、学期末の“報告書”。それらはセットで部長に課せられるものだ。書類は生徒会へと提出され、それを参考に各部へ、ささやかではあるが活動予算が割り振られる。当然、これを提出しないものは予算分配枠から外れてしまうのであるが、それ以前に、活動報告義務を怠ったとして部の存続自体も危ぶまれてしまう。
 好きなことを続けていくための大切な未来への切符。しかしどういう訳か、提出してこない学生がチラホラいることも事実なのだ。
 そんなうっかり屋さんな彼らは、自己を守るため、高確率で言い訳を口にする。昼練習に勤しむ野球部部長も例外ではなかった。バックネット裏で金属バットを振り回していた野球部部長は、日に焼けた赤黒い顔で、ばつが悪そうに笑いながら、「忘れていた」、「時間がなかった」、「何を書いたらいいのか分からなかった」とのたまった。さらにあろうことか、「もう少し期限を先延ばしにしてほしい」と、デッドライン自体を引きのばそうと画策してきたのである。
 しかし、そこは氷雪の会計様。体調不良による未提出以外の理由は認めませんと、まるで断頭台にいる執行者のように、無慈悲な刃をもって、すっぱりと突っぱねた。曰く、「忘れていたことも時間を取れなかったことも、すべてスケジュール管理の甘さを露呈させているだけに過ぎません。何を書いたらいいか分からなければ、いつでも相談に来てくださいとあれほどアナウンスしています。これは部長だけの問題ではありません。事は部全体に波及します。所属する部が白紙化され、活動の場を失くし、楽しみを奪われた部員が、悲嘆に暮れながら抜け殻のように彷徨う。そんな未来を部長みずからが愚かしくも作り出すというのですか?」と。恐ろしいことに、まばたき一つせず、ほとんど息継ぎもなしの正論責めである。オフェリア先輩の美貌も相まって、一種の恐怖でしかない。
 己の失態と責任を問われた部長は、真っ青な顔になりながら部室へと引っ込み、五分も経たずに報告書の欄をぴっちり埋めて渡してきた。やれば絶対にできるはずなのだ。何かと理由をつけてやらないのは甘えによる逃避でしかない。夏休みの宿題を終わらせてから思いきり遊ぶ方が気分的にも楽でしょうと、例を挙げたオフェリア先輩はあきれ顔だ。
 とりあえずマシュがこの後釜に据えられるのであれば、違うやり方でアプローチした方がいいだろう。あの絶対零度みたいな叱り方、マシュには荷が重すぎる。そんなおせっかいを考えながら、立香は野球部のいる運動場を後にした。
 四人は次なる目的地へと移動するため、特別教室棟へむかった。その途中、報告書をチェックしていたヒナコ先輩が、「はぁ!?」と不機嫌をあらわにした。

「ちょっと野球部のヤツら、ありえないんだけど。場外ホームランで体育館の屋根ぶち抜くって……。かなりのスラッガーね。項羽様のチームに欲しいくらいだわ。あと打たれたピッチャー連れてきなさい。私が基礎の基礎から鍛え直してあげるわ!」

 ヒナコ先輩が報告書を鬼の形相で睨みつけている。指の圧力で紙にくしゃりとシワが寄っている始末だ。

「どうやらヒナコ先輩は野球がお好きだったみたいですね。かなり意外です」 ひそひそとマシュが囁く。
「そういう暑苦しいのとかスポ根とか、嫌いそうなイメージなんだけどね」 同じように立香が囁き返した。いつもどおりの声量で応えたのはオフェリア先輩だった。

「学外にいる彼女のパートナーが野球部なの。彼のサポートをするうちに、トレーニング法や柔軟方法の数々を、名のある拳法使いの老人に教わったと聞いたことがあるわ。ヒナコ自身も読書のしすぎで体の凝りが酷かったらしいし、体質改善のためにもちょうどよかったみたいね。それよりも次に行きましょう。かなり癖が強い部長がいるので、各自、思考を持っていかれないよう気を引き締めて」

 謎の助言を口にして、オフェリア先輩が歩みを止めた。
 特別教室棟三階、もっとも西に位置する教室の前だ。
 立香は教室の扉の「広報室」と書かれた貼り紙を見た。四隅のセロテープが黄色に変色している。紙自体も、ところどころが破れてみすぼらしい。かなり昔に貼られたもののようだ
 マシュが咳払いを一つ。代表して広報室の扉をノックした。
 ───無音。どうやら人はいないようである。

「反応がありません。誰かがいる気配もないみたいです」
「マシュ、構わず開けてちょうだい。どうせ都合が悪くて居留守を使ってるだけよ。間違いなく部室にいるはずだし、あれが入り浸る場所なんて他にないはずだから」

 ヒナコ先輩が、これまたやはり謎の確信をもって、遠慮も躊躇も一切なく指示を飛ばした。マシュの手は少しためらいがちに彷徨っていたが、やがて「失礼します」の掛け声とともに、扉を真横にガラリと引いた。
 真正面にはカーテンのない窓。両の壁にはきちんと施錠された事務棚。そのなかに無造作に押し込まれた大量の紙束。埃っぽい部屋の中央には、会議室でよくみかける長机が一つ置かれ、そのかたわらに女子学生が一人、ポツンとしゃがみこんでいた。

「ご、ごごごごめんなさいごめんなさいぃ。まだ校内新聞の記事も報告書も、どちらも書き上がってないんですぅ! というかぁ、記事がないから必然的に報告書も書けない、みたいなぁ? 卵が先か鶏が先か論ずる前に、肝心の鳥類が一羽もいないじゃーん、みたいな感じのアレなんですぅ。どなたか助けてくださああああい!」

 線の細い、小柄な女子学生は、両手で亜麻色の頭を抱え、恥も外聞も投げ捨てて、おいおいと泣き叫んでいた。きっと彼女の中では、あの場所こそが世界の中心なのだろう。
 ヒナコ先輩がずかずかと女子学生に近づき、そして首根っこを捕まえた。クレーンゲームのプライズよろしく、女子学生の身体が持ち上がる。と同時に、彼女の毛先のみ内巻きになったボブカットも、ぽよんと揺れた。

「ぴゃああああ! 麗しき眼鏡の美女に命を狙われているぅ! いや待て、美女ならむしろご褒美か? どうせなら閻魔様の土産話として、メイドさんの格好で罵りながら引導わたしてくださああああい!」
「相変わらず癪に障る喋り方だこと。被虐趣味の塊みたいな傾国と一緒にしないでくれる? なにも獲って食おうって訳でもないんだから、とりあえず落ち着きなさい」

 ぱっと手を離したヒナコ先輩。床に下ろされた女子学生が、まったく濡れていない目で、立香たちをゆっくり見まわした。

「あ、そうなんですかぁ? わー、ありがとうございますぅ。命拾いしましたぁ」

 何も考えていなさそうな、あっけらかんとした口調。間延びした語尾。おおげさな泣き真似も加わって、胡散臭さが山のごとしだ。オフェリア先輩の注意は的確である。うっかり気を抜くと、彼女のペースに引き込まれかねない危うさがあった。

「それで、いまだ報告書が未提出の新聞部部長さん。なにか申し開きがあるならば聞きましょう。何故、定期的な発行を目標としている校内新聞が出来上がっていないのですか?」

 オフェリア先輩が理由を訊ねた。頬を赤らめた女子学生は、へらりとした笑みを浮かべながら後頭部を掻いた。

「なにぶん新聞部にはワタシ一人しか所属していませんのでぇ。『こんな単調な事実を羅列しただけの記事じゃ読者の関心は引けない』『もっと読んでいて楽しくなるネタがどこかにあるはず』『それはそれとして、事実から逸脱し過ぎていない正確性の高い記事を!』などと、内容に妥協を許さない方向性を貫いた結果、集めたネタがどれもこれも満足いかず。結局、時間だけが無情に過ぎていったという最悪のパターンですぅ」
「なるほど。目標を高く設定するのは悪いことではありません。ですが、その目標に縛られて身動きが取れなくなっては本末転倒です。とりあえず何か書いてみることから始めてください」
「返すお言葉もございませんですぅ」

 ははーっと、おおげさに両手をあげてひれ伏す新聞部部長。彼女の亜麻色の髪が一緒に揺れて謝っていた。
 オフェリア先輩の口から盛大なため息が漏れ出る。どうやら先輩にとって、彼女は苦手な部類の人間らしい。

「これ以上、未提出期間が延びた場合、所属人数がアナタ一人という少なさも鑑みると、生徒会としても新聞部を廃部せざるをえません。せめて実績の一つでもあれば、アナタが卒業するくらいまでなら、部の存続を認められるのですが」
「でもぉ、今から新聞を作るには時間も人手も足りなくてぇ……」

 ベソベソと泣き真似をしながら、新聞部部長はちらちらとオフェリア先輩を盗み見ている。明らかに情状酌量を求めているのがバレバレだ。平常心、平常心、と立香は自分に言い聞かせた。

「今すぐに提出しろとは言いません。期限は大目に見て今月末まで。一人では骨が折れるというのなら、こちらの両名を、生徒会からの助っ人として派遣しましょう」

 オフェリア先輩の五指が指し示したのは、あろうことか立香とマシュの二人だった。

「わたしもですか!? ちょっと待ってください先輩!」

 新聞部部長の人柄にたいする自己暗示は後回し。火の粉が降りかかると思っていなかった立香は、必死でオフェリア先輩を止めにかかった。オフェリア先輩が立香に振り向く。彼女の頬にはしっかりと、「さっき、なんでもするって言ったわよね」と書かれていた。マシュはマシュで、「新聞作りの取材、ですか。面白そうですね、先輩!」と、すでに乗り気だ。……そうだった。何でも初めて見聞きしたかのごとく好奇心旺盛になるのが彼女(マシュ)だった。
 オフェリア先輩の提案に、新聞部部長は晴れやかな笑顔になっている。しおれていた植物が水をもらって張りを取り戻すより、はるかに素早い変貌だった。

「本当ですかぁ!? 感謝感激雨あられですぅ! というかぁ、三年間ずぅっと一人きりで活動してたのでぇ、めちゃくちゃ寂しかったんですよぉ。これでやっと思い残すことなく卒業できますぅ」

 ほろりと光る涙の雫(目薬)を、日焼けしていない真っ白な細い指でぬぐう新聞部の部長。なるほど、新聞部に部員が寄り付かなかったのは、部長のキャラクター性が一因となっている可能性が浮上してきた。
 しかし雨に濡れたチワワのような瞳で見つめられ、立香の中にほんのわずかではあるが罪悪感が生まれる。たとえ彼女が計算づくめで、少々癇に障る人間性だとしても、ここで突き離すのは何とも寝覚めが悪すぎる。オフェリア先輩が自分を連れてきた理由は、このためだったようだ。

「あーもう、今回だけですよ! 今回だけ! 臨時の助っ人として協力してあげますよ!」

 立香がヤケクソ気味に叫んだ。

「ありがとうございますぅ。心優しいあなた方のお名前が知りたいので、ここにフルネームを書いてくださいますかぁ? 発行予定の新聞にも協力者として記載しますのでぇ」

 うるっとした瞳のまま、新聞部部長は紙切れを一枚、スッと取り出した。

「はいはい……って、これ入部届って書いてるじゃないですか! 危なかった!! ほとんど詐欺の手口ですよ、コレ!」
「ちえー、バレちゃったかぁ。まぁ、それは半分冗談としてぇ」
「半分は本気だったんですね」 マシュの冷静な分析が光る。
「こちらが調べてほしい記事の内容となりますぅ。熟読、お願いしまぁす」

 入部届を引っ込めて、かわりに厚さの増した冊子を渡された。表紙には、『カルデア学園七不思議 調査記録』と印字されている。飾り気のないA4サイズの用紙を数枚ほど、ホチキスで綴じただけの簡素さだ。
 立香は渡された資料をパラパラとめくる。ひとつひとつの七不思議の題記(タイトル)に番号がふられ、その下に具体的な内容が説明されている。A4用紙の後半部分は、調査記録を書き込むため空欄となっていた。

「なになに、『体育館の幽霊』、『保健室の踊るガイコツ』……。こんな七不思議が、うちの学園にあったんだ」
「ワタシの事前調査のタマモノですよぉ。あ、写真はスマートフォンのカメラで充分ですぅ。昨今、携帯電話のカメラは高機能で高性能ですからぁ」

 マシュが興味津々で横から覗き込んできたので、立香は彼女へ書類を差し出した。

「見間違いじゃなければなのですが、どれも検証時間帯が夜九時以降と記載されていますね」
「そりゃそうですよぉ。学園の七不思議は、夜に人知れず華開くものと相場が決まっているのですぅ」
「本来、夜間の学園への立ち入りは禁止されていますが、今回は特例として生徒会顧問であるペペ先生の許可を受けています。藤丸さん、マシュ、新聞部の臨時部員として、しっかり調査するように。色よい報告を期待しています」

 オフェリア先輩のありがたくない激励を受けたあと、立香は隣に立つ自称後輩の同級生をうかがった。彼女の目は忙しなく左から右へと動き、資料を没頭するように読み込んでいる。表情は真剣そのものだ。
 ───マシュが楽しそうならいっか。
 自分でも気づかないうちに、立香の頬は緩く持ち上がっていた。
 資料から視線を立香へと移したマシュが、「先輩も楽しみですか?」と訊ねてくる。それにますます笑みを深めた立香は、「うん、まぁそんなところ」と、素直にうなずき返すのだった。

 ◇

 立香が新聞部で厄介な仕事を任されてしまったのと同時刻。
 運動場の片隅にある花壇では、紫陽花の葉の下に隠れて寝転んでいるカプさばが一騎いた。

「あっちぃ……。日本の夏やばすぎだろ。雲一つねぇし。やる気がごっそりなくなるぐらい湿度たけぇし。同じ島国であっても、こうまで違うもんかね」

 辟易とした呟き。やってられないと言いながらも、ロビンフッドは有事に備えて外套を纏ったままだ。
 カキーン、と金属バットの快音が耳に届いた。わあっと沸くバッター陣と、悔しげに視線で追うピッチャー。打ち上がった白球を取ろうと懸命に走る外野(ライト)。野球部の練習風景を横目に眺めながら、とてもじゃないが自分にはあんな暑苦しい真似はできないと、ロビンフッドは皮肉げに笑った。

「あーあ。突然雨雲でも発生して涼でも取れりゃあ、オレとしては万々歳なんだが」

 青春を謳歌している男子高校生たちには悪いが、そうでもしなければ暑さにやられてしまいそうだ。
 少しでも風にあたろうと、ロビンフッドは花壇の煉瓦の縁に腰をかける。───ぬるいが、日陰の効果もあって、いくぶんマシな風が身体を冷やした。
 なんとはなしに、真っ青な空のキャンバスを見上げる。太陽は中天を過ぎたあたりで、ギラギラと殺人的な輝きを放っている。今日いっぱいは雨を望めそうにないなと、ロビンフッドが大きなあくびをした時だった。
 ロビンフッドの体が意図せず、ぶるりと震えた。悪寒のたぐいではなく、いきなり冷気の塊を背中に押し付けられたような感覚が襲ってきたのである。
 条件反射で右手にクロスボウを構える。元の姿に戻れないのが致命的だが、逃げるための時間稼ぎくらいはできるだろう。
 さあ、白昼堂々とケンカを吹っ掛けてきたのは、どこのどいつだ! と敵影を探しはじめた矢先。
 頭上から何かが、バラバラと音を立てて降ってきた。

「あいたたたた! つめたっ!!」

 固形物の雨を受け、ロビンフッドは思わずフードをかぶり頭を押さえた。煉瓦の上に落ちたものを一粒つまみ上げる。

「こりゃあ……氷、か?」

 真っ白な氷のつぶて。夏にはめったにお目にかかることのない小さな小さな雹。それはロビンフッドの手のひらの上で溶けて、やがて色のない水へと変わってしまった。

「少しは涼しくなったかしら? おサボりの弓兵さん」

 可愛らしくも憎たらしい、悪戯の成功を心から喜んでいる涼やかな笑い声が聞こえた。
 ロビンフッドは驚いた。しかし悟られるのは癪であったため、見開いていた目を素早く元に戻し、ポーカーフェイスに注力したまま、花壇の隅に立つ声の主を見た。
 足元をすべて覆い隠す真雪のドレス。陽光を知らぬ滑らかな肌。幼さの残る輪郭と、細腕に抱えた不気味な人形。
 全体のサイズはロビンフッドと同じ。つまり、彼女は……
「ありゃ。誰かと思えば同業者(カプさば)。出会い頭に氷のつぶてたとは、とんだじゃじゃ馬娘がいたもんだ。見たところ魔術師(キャスター)って感じだが……」
「察しがいいわね。正解よ、クラスはキャスター。真名はロマノフ王朝の皇女アナスタシア。ところで人に名前を訊ねるつもりなら、先に名乗るのが礼儀ではなくて?」

 アナスタシアが腕に抱いた人形に力を込める。顔が真っ黒な人形の首が締め上げられ、不気味にこてんと倒れた。

「おっとこりゃあ失礼。オレはロビンフッド。ま、取り立てて名乗るほど、大したモンじゃありませんがね」

 これだから権力者ってやつは。ロビンフッドは恭しく一礼する顔の下で、ケッと嫌味を吐き捨てた。
 へそを曲げられては、後々めんどくさい事態に発展しかねない。それにキャスターといえば、陣地作成や道具作成を得意とするクラスだ。有利な場を形成したり、マジックアイテムを創り出したりすることは、戦いにおける重要な要素でもある。かなり貴重な戦力だ。もし協力関係になれるのならば、今後の戦いで楽ができ……あ、いや、マスターの安全を確固たるものにできるかもしれない。そのためにも余計な波風は立てない方が吉だ。
 ───って、なんか前にも似たような状況があった気がするな。ありゃあ、いつのことだったか……。
 打算だらけのロビンフッドが妙な既視感に襲われている一方で、皇女サマは機嫌よく軽やかに笑った。

「ロビンフッド───ロビンさんね。たしか英国の、シャーウッドの森に住まう義賊だったかしら。ええ、ちゃんと覚えているわ。……ふふっ。どうせなら、あの人もあなたと同じくらい器用に振舞ってくれると楽しいのだけれど」

 淡雪の皇女は微笑む。先ほどとは真逆の、暖炉に灯った暖かな焔のような笑みだった。

「あの人? もしやオタクのマスターのことかい?」
「ええそうよ。ぶっきらぼうで不愛想で、自分を卑下しがちなのが玉に瑕なの。もっと自信を持ってくれたら、最高にロックになれるはずなのだけれど。───ああ、でも……真面目でいじけた部分が可愛いくもあり、それでいて弄りがいもあるから、全部変わってしまうのは寂しくもあるわね。とても困ったものだわ」
「困った性格なのはオタクの方なんじゃ……。そういやアナスタシアは何をしてんです? もしやオレと同じくサボりだったり?」

 カプさばが理由もなくマスターのもとを離れて行動しているとは思えない。情報を引き出していると悟られないよう細心の注意を払いながら、おどけたふうを装って訊ねた。
 アナスタシアは見上げるように視線を巡らせたあと、出会った瞬間に見せた悪魔の笑みを形作った。

「半分正解で、半分ハズレよ。ほら、夏といえばプール。もうすぐ学園でプール開きがあるでしょう? 久しぶりに訪れるそこが、驚きと痛快に満ち溢れていたら、絶対に忘れられない素敵な思い出になると思って」

 なんだか分かりたくもないが、分かってしまった気がして、ロビンフッドは頬を引きつらせながら、「ほどほどにな」と声をかけた。
 触らぬ神にはなんとやらだ。正確には神ではなく皇女サマなのだが。
 アナスタシアはロビンフッドの諫める言葉に露ほども応えず、よりいっそう深い笑みをたたえたまま、ロビンフッドの真横を通り過ぎた。彼女の向かう先には、つい先日、学生による清掃で綺麗に磨かれたプール施設がある。まだ水は張っていなかったはずだ。彼女はいったいどんな悪魔の所業を考えついたのやら。

「そうそう。これは世間話っつーか、素朴な疑問ってヤツなんですがね」

 彼女が完全に去ってしまう間際、弓兵はそう呼びかけて、彼女の歩みを強引に止めた。
 あの日感じた『懐疑』の答えを得るために。

「この街のこと、オタクはどう思います?」

 自分でも笑ってしまうほど漠然とした問いだ。だが確信に近い推測が真であるのならば、ここで下手な言葉を口にすることはできない。

「街? ───そうね、いい街だと思うわ。カプさば三騎で守らなくちゃいけないのが大変だけれど」

 アナスタシアがオウム返しに訊ねながら振り返った。たっぷりと時間を使って考えたあと、仕事に振り回されるのはこりごりだわと呟いていた。

「……三騎? 七騎じゃなく?」
「そう、全部で三騎。私と、もう一騎の槍使いと、ここにいるあなた」

 どういうことだ、と弓兵は訝しむ。アナスタシア(キャスター)と、それからまだ見ぬランサーがいるのはいいとして、そのほかのカプさばが一騎もいないとは……。
 七騎……。───七騎?
 いや待て。それ以前に、どうして自分は七騎だと思ったのか?
 『七騎で』『悪と戦う』のだと。そう思い込んでいた。しかし、その思い込みこそが偽だとしたら?
 そもそも───そもそもだ。
 オレたちは何のために戦っている?

「答えが不満だった? もう少し具体的な事例を挙げた方がいいかしら?」
「……あ、いや、もう情報でお腹いっぱいなんで大丈夫っすわ。お気遣いドーモ」

 あまり表情の変わらないアナスタシアが、ロビンにむかって小首を傾げる。それを戯けた調子と当たり障りのない笑みでかわしながら、ロビンフッドは会話を打ち切った。
 アナスタシアが持っている情報と、自分が所持している情報の矛盾。
 当たり前だと信じ込んでいた記憶の不確かさに、足元が揺らぐ。
 しかしこれでハッキリした。
 オレたちは、揃いもそろって記憶を操作されている。
 そして───
 重ねられている事象。
 不自然な記憶の剥離。
 導き出されるのは、この世界が幾度となく───

「(問題は、何のために、こんなに面倒で悪趣味なことをしてんのかって話なんですけどね)」

 なおも考え込むロビンフッドに焦れたアナスタシアは、「それじゃあ私はもう行くわね」と一言だけ告げ、今度こそ当初の目的地であったプールへと歩を進めた。

「ああ、変な質問して悪かったな。……っと、最後に一つだけいいかい?」
「まだなにか?」
「その服さ、暑くね?」

 ニヤリと笑いながら問いかけるロビンフッド。アナスタシアは意表をつかれたのか、一瞬だけ答えに窮した。しかし即座に大きく深呼吸し、腹から声を出した。

「めっさ暑いに決まってるでしょ(ガッデム・ホット)!!!」

 捨て台詞を吐き出して、アナスタシアはプール方面へと消えていった。
 ロビンフッドは、しかし難しい顔で黙り込んだままだ。

(明らかにオレの認識とズレてんな。細かいが、こりゃ大きなズレだ。アナスタシアが違うのか、それともオレが違うのか……)

 アナスタシアは守るために戦うのだと言った。それは彼女にとってのマスターであり、この街を指しているのだろう。
 反して、ロビンフッドは『何かを得るために』戦っているという認識だった。マスターを守るのは当たり前だが、本来の目的は戦うことの先にあるもの……だったはずである。
 初日、立香に諸々の説明をしようとしてはぐらかしたのは、己自身もそれが真に正しいことなのか、どうにも確証が持てなかったからだ。

(チクショウ。ぜんっぜん思い出せねー。認めちまうのは癪だが、認めねぇことには先にも進めねー)
 記憶領域にぽっかり空いた虚が嘲笑う。
 此度、現界した己は、いったい何のために戦っているのだろうか。
 何のために朝霞祢音という人物と敵対しているのだろうか。
 中心に据えられた物を忘れている。おそらくは、この世界の根幹であり、事象を成り立たせている物。確かにそれを求めていたはずだが、遠く灰色のもやで覆われて、見ることも掴むこともできない。

「ま、どうでもいいか。んなことは」
(どうでもいいわけねーだろうが。すでに『固有結界』の中なんて、全然笑えねーんだよ)

 言葉とは真逆のことを考えながら、ロビンはふたたび葉影の下に寝転がる。柔らかい土の感触が背中を包み、熱を孕んだ湿っぽい風が、彼の金髪と、紫より深い藍に染められたアジサイを微かに揺らした。

 ◇

 時間と場所は移り変わり、同日、夜の藤丸邸では───。

「という訳で、新聞部の活動を手伝うことになったんだよね。調査日時は一週間後、金曜日の夜。場所は、当たり前だけどカルデア学園。さすがに一人じゃ危ないから、マシュやオフェリア先輩もついてきてくれるんだってさ」

 機能性を重視した白いTシャツに、これまた色気のない紺色のハーフパンツ姿の立香が、濡れた髪をタオルで拭きながら勉強机の前の椅子に座った。机の上にはカプさば姿のロビンがいる。置かれた資料を得体が知れないものを見るように観察していたが、立香が出向くとなれば自分にも無関係ではいられないと気付いたらしく、トテトテと資料に歩み寄り、全身を使ってページをめくりはじめた。

「見慣れないお嬢さん方やマシュのお嬢さんと連れ立って歩いてたんで、何に巻き込まれたかと思ったら……。七不思議の調査ねぇ。オタクも人がよろしいこって」
「何で知ってるの。というか、どこで見てたの?」
「さあ? 草葉の影からじゃねえですか?」
「サーヴァントとしてブラックジョークすぎるでしょ」

 ロビンに動向を言い当てられ、立香は怪訝そうに問いかけるが、のらりくらりとはぐらかされてしまった。その間にも、ロビンは置かれた資料に目を通していく。やがて最後までめくり終わった彼は、なるほど、と一言だけ発した。

「当然オレも行きますぜ。次期生徒会長様も使ってたワードだ。罠が仕掛けられていないともかぎらないしな」
「がっつり活動時間が夜だけど、ロビン、家で寝てなくて大丈夫? 最近わたしより眠そうだよ?」

 ここ最近、彼があくびをかみ殺していたり、眠そうに目をこすっている姿を立香は幾度となく目にしていた。聞くと、「やんごとない事情ってやつの影響ですよ。気にせんでください」と流される。おおかた夜遅くまでトラップの作製でも行っているのだろう。いくらサーヴァントといえども、夜更かしによる眠気には抗いがたいようだ。

「あのな……人を子供扱いせんでくださいよ。さすがに仕事となりゃあ、寝ずの番でも何でもやりますですよ」
「そうなの? でもまぁ何にせよ、無理はしないようにね」

 若干むきになって言い返してくるロビンをちょっぴり心配しつつ、立香は日記をつけるため黒いボールペンを手に取った。大量のハートが印刷された表紙を開き、ぱらぱらと記入済みのページをめくる。三日坊主が祟って長らく中断していたのだが、四月から心機一転、また書き始めることにしたのだ。今のところ二ヶ月半は書き続けているので、このまま習慣化したいところではある。
 今日の出来事と、それに対する感想を、よどみなく書き連ねていく。十分後、ページは黒い字できっちり埋め尽くされていた。
 日記のかたわらで寝ころび、目を閉じていたカプさばが、立香がペンを置くのと同時に起き上がる。大きく伸びをして、それから、よっしゃと短く気合を入れた。

「腹が減ったんでそろそろ晩飯にしますか」
「それなんだけどさ……今日もわたしが作るんじゃダメ?」

 ロビンの提案に、立香は頬を引き攣らせながら問いかける。八割がた、断られるだろうなという推測を含めてだ。
 案の定、ロビンは断るように口をへの字に曲げていた。

「また可哀想な肉じゃがという名の黒コゲ物体(ダークマター)を、錬成させない自信があるのでしたら」
「うっ、やっぱり痛いところついてくるなぁ」

 同棲することになって数日経った頃、晩御飯の調理担当となった立香は、宿題を片付けながら料理をするという強行策をとったのである。その結果は、火を見るよりも明らかだった。いや、見ていないのは火加減だったのだが。とにもかくにも、黒く焦げついたユキヒラ鍋の片付けは、できれば二度とやりたくない。
 悔しげにうめいた立香は、渋々、お風呂上がりでつるりと綺麗になった右手を突き出した。

「それじゃあ……じゃんけん、」

 ポン、と立香の掛け声。
 軍牌はロビンに上がる。立香の上体が机に崩れ落ちた。ジャンケンに負けただけなのだが、今回の負けは、それ以上の意味合いがある。
『罰ゲームみたいにならないように、勝った人が料理当番ね!』
 そう決めたのはロビンと出会って間もない自分だ。そして立香は料理当番を熱望していた。しかし立香は負けてしまったのである。つまり夕食を作るのはロビンだ。彼が作るってことは、すなわち……
 思考を妨げるように、立香の唇に小さなキスの感触。一瞬の後、椅子に座る立香の横には元のサイズに戻ったロビンが立っていた。

「ロビンってさ、こういうこと、誰とでもできちゃう人なの?」

 自分でも「低っ!」とツッコミを入れたくなるほど地を這う声で訊ねる。……どうしてわたしは、こんなに怒っているんだろうか。

「は? そりゃまあ後腐れなきゃ好きな方っすけど」

 ちっとも悪びれなく答えるロビン。それが立香の怒りに火をつけた。なんなら火種に固形燃料を直接投下した勢いにも等しい。

「……やっぱりわたしが作るからいいよ。ロビンはどこかの誰かさんと、いくらでも好きなことしてたら?」
「なんでいきなり不機嫌になってんですか、オタク」
「知らなーい。ロビンには関係なーい」

 立香本人にだって、このモヤモヤの正体が分からないのだ。むしろ、こっちが教えてほしいくらいである。
 立香は椅子から乱暴に立ち上がり、足早に自室を抜け出した。
 この不純な行為を許しがちになっているのは、高確率で美味しい食事がついてくることが一番の原因だと思っていた。しかし改めて考えなおしてみると、どうにも「小さいロビン」だからということの方が大きな要因となっているようだ。
 その証拠に、元のサイズに戻った彼が、歯の浮くような台詞を並べながら、そういう行為を見ず知らずの女性としている姿を想像してみる。
 ───うん、やっぱり。どうにも気分が悪い。胸のムカムカも、モヤモヤも、際限なく大きくなってくる。

「あーもう……。なんだかなぁ……」

 正体不明の嫌悪感。己の名を呼び、後をついてくる大きいロビンを完全に無視しながら、立香は慣れない舌打ちをした。しかし、やはり違和感のある音しか生まれてこず、気分はさらに地面すれすれを飛び続け、今にも墜落寸前だ。
 生じた不快感から距離を置こうと、昼間にスマートフォンで調べた週間天気予報の画面を無理やり思い出す。
 たしか大気が不安定とか書かれていたっけ?
 七不思議の調査は週末の夜。梅雨入り間近のこの時期、天気が崩れないことを祈るばかりだ。


おや? 立香ちゃんの様子が……
そしてすでに敵の固有結界の中でしたね。な、何だってー!(白々しい)
ちょっと急いで書いたので一人称とか設定とか間違っているやも。気付きしだい腹パンしながら書き換えます。
クリプターの皆さんはかっこ可愛く、そして面白く書きたい。頑張ります。
2024.2.2