Cypress 18


・軽いですがR18Gでございます。苦手な方はご注意を。ロビンさんごめんなさい。




 ◇

 ロビンフッドが街の異変に気付き、藤丸家にたどり着くまでニ十分。街の住人がきれいさっぱり消えたのだとしたら、電車も動いていないはずである。必然、立香は徒歩での移動を余儀なくされる。そう推測し、ロビンフッドは学校から家までの道中を、注意深く探し回った。

「……いないか」

 建物の屋根を飛び回りながら目を凝らすが、朱い髪は見当たらない。
 読みを間違えたか。
 ロビンフッドは苛立たし気に奥歯を噛み締める。
 だが立香の性格上、おとなしく学校に隠れているとは思えない。必ず帰宅しようと試みるはずだ。学校には他のサーヴァントだっているはず。簡単にやられるとは思えないが……。

「違うな。もう障害がないから、こんだけ大胆に攻めてきてんだな」

 となると、先ほどの消滅で全員やられたか。あるいは気付かなかっただけで、それよりも前に退場していたか。用意周到なんだか、衝動的なんだか、いまいち掴みきれねえんだよなと、ロビンフッドはため息を吐く。
 いずれにせよ立香と合流しなければならない。ロビンフッドは一縷の望みをかけて、自宅へと駆け続けた。

 ※

 玄関の扉に鍵はかかっていなかった。  乱暴に開け放ち、マスターの名を叫んだ。

「立香っ!」

 あがり口には几帳面に揃えられたローファー。家の中はひっそりと静まり返っている。
 わずかに眉を曇らせたロビンは、足音を忍ばせてリビングへと歩を進めた。
 右手にはクロスボウ。あらかじめ矢も装填済みだ。
 ドアノブに手をかけ、敵陣営を制圧する軍人のように武器を構えながら一気に踏み込んだ。

「ロビン!」

 いきなり影から現れた己がマスターに抱き着かれ、ロビンフッドは構えた弓を慌てて天井に向けた。

「もうちょい自己主張の仕方ってもんがあるっしょ! 危うく射抜いちまうとこでしたぜ!」
「ご、ごめん。ロビンの姿を見たら安心しちゃって。というか、めちゃくちゃ心細かったんだからね!? 今日家にいるって言ってたのに、どうしてこういう時にかぎって調査に出ちゃったかなぁ」

 照れたように後頭部を掻いてから、ぷんぷんと怒りをあらわにする立香。
 緊急事態だというのに緊張感に欠ける朱い頭に手刀を入れながら、「はいはいすんませんね」と、ロビンフッドは返した。

「そんでだ。この状況、どう見ます?」
「わたしにも、なにがなんだか。いきなり学校中の人が消えちゃって、怖くなったから走って帰ってきたんだよ。めっちゃ疲れた……せめて電車は動いて欲しかった……」

 膝がまだ笑っているよ、と立香は弓兵の身体にしなだれかかってくる。
 頼りなく細い肩を、しかし、ロビンフッドは抱き返さない。

「間違いなく敵の攻撃だが、こっからどうします? 反撃しようにも敵の居場所が分からねえ」
「うん、そのことなんだけど。どうも学校が怪しいと思うんだよね」
「ほう。根拠を聞いても?」
「逃げる途中、中庭に朝霞祢音が立っていた。何をしていたのかは見えなかったけど……。じゅうぶん怪しくない?」
「そりゃ確かに怪しいな。そんじゃ学校に戻ってみます?」

 立香は抱き着きながら、無言でうなずいた。
 ロビンフッドは立香を自分の身体から引きはがす。そして───

「は……? なに、やってるの、ロビン」

 立香の眉間にクロスボウを突き付けた。

「怪しさが隠しきれてないんだよ。異変が起きて帰宅したってのに、鍵をかけないヤツがいるか? 慌てているのにローファーを綺麗にそろえる余裕があるのか? オレは立香に黙って調査に行ったはずだが、なんで事細かに知ってんですかね。あとこれはもっとも重要なんだが」

 ロビンフッドは嫌味をこめた笑いを口元に浮かべた。

「異常事態の中、急いで帰ってきたオレに、『無事でよかった』って安心するのが立香なんですよ。どこまでもお人好しだからな。自分の不安を訴えるよりも、他人の心配をするのがアイツだ。オタクみたいに、自分が可愛いだけの言葉や、じめっとした雰囲気なんて出さないんですよ」
「…………ふふっ。気付いていて、私がアナタをどこに連れて行こうとするのか探ったの? 抜け目がないわね」

 くすくすと嗤う立香。おおよそ彼女がしない表情に、ロビンフッドが気色ばむ。

「立香はどこだ?」
「ん? いるじゃない、目の前に。身体は間違いなく『本物』の藤丸立香よ。まあ、魂や記憶は夢に溶かしちゃったから、どこにいったのかなんて知らないし興味ない。自分の夢だけど、まだまだ分からないことだらけで嫌になっちゃうわ」

 片手を頬に添えて、立香の身体を乗っ取った朝霞祢音は、ふぅと悩ましげな息を吐いた。

「何が目的だ。何のために、お前は夢を重ねている」
「あらあら怖い声。あんまり怒らないでくれる? 威圧されるのは苦手なの。でも、やっぱり聡いわね。消しきれなかった記憶とも言える『塗り残し』。それを元に推測して、ほとんど確信に辿り着いている。だとしても、私の意図には気付かない、か。───悲しいなぁ。まぁ、『アナタ』は覚えていないから無理もないわね。それに意味も価値もない行為だから、説明したところで理解できないでしょう。分かってほしいとも思っていないわ」

 祢音が嗤う。
 と、ロビンフッドの構えていた右手が天井に跳ね上がった。ぎりぎりと引っ張られ、そのまま空中に固定される。 「なっ、これは……」  ロビンフッドは身を捩る。が、他の四肢も同様に、鋭い痛みとともに動きを封じられた。何かが身体に突き刺さっている。これは……『魔力で形成された釘』か?

「布キャンバスを張るときって、結構力業なのよ。昔々に手伝ったことがあるんだけど、ありえないぐらいぎゅうぎゅうと布を引っ張るの。波打っていると歪な絵になっちゃうから。タックスっていう釘で打ちつけて、動かないように固定したら、ハイできあがり。……痛いけど、我慢してね?」

 祢音の手に、魔力が凝集する。
 一振りの剣が現れた。
 刀身が細く、長い、真っ白な剣。
 時計の長針を想起させる切っ先が、ゆっくりとロビンフッドに突き付けられた。

 ◇

 哀れな昆虫標本のように、なすすべもなく彼が空間に固定されている。
 これ以上ないくらいの興奮を覚えながら、祢音は手の中の剣を握りしめた。

「アナタの最期と、立香(この子)に見せたことのない顔を、私に見せて? アナタが消えていく瞬間、宝石のような瞳に、アナタの記憶に、立香(私)を映して、刻みつけて……」

 ああ、なんて優しいのでしょう。
 ああ、なんて滑稽なのでしょう。
 何度夢を重ねても、私を見ない意地悪な彼(ひと)。
 戦いは嫌いだと、死にたくないと言いながら、けっして彼女を裏切らず、彼女を理解し、逃げ出さずに立ち向かってくる彼(ひと)。

「そういうところが、どうしようもなく……」

 だから───。
 愛に殺されてしまえ。

 女は剣を真横に振りかぶり、迷いなく彼の首へ。
 太い首の途中で止まった血濡れの剣に、女は歓喜した。

「あはははは! 痛い? ねぇ、藤丸立香(いとしいひと)に傷つけられるってどんな痛み? 怖い? 悔しい? 恐ろしい? 忘れられない記憶になった? ───ふふ、身の毛もよだつほどの憎悪をアナタから向けられたことは初めて。この子の身体を奪って正解ね。本当はそんなこと、絶対にしたくなんかなかったけど。でもアナタのその表情を見られたのなら、我慢した甲斐があったわ。そうね……今回の記録は、『顔』にしましょう。いつも恥ずかしくて直視できなかったから避けていたんだけど、せっかくですもの。勇気を出してみようかな。最後くらいは悔いなくやっておきたいし!」

 柄を握る手に力を込めて、一気に振り抜く。
 骨の硬さなど忘れたように、
 首が切れ、顔が、
 ───落ちた。
 切り離されたそれを持ちながら、女は高らかに嗤いあげる。

「知ってる? 夢占いにおいて、夢の中で死ぬという行為は、『新しい自分』になる予兆なんですって。縁起が悪そうだけど、実は吉夢だそうよ。だから私は、この夢の転換点を、“藤丸立香の死”に設定したの。幾度となくアナタを狙ったのは、もっとも“彼女の死”を誘発できたから。彼女は自分の身を守るより、アナタをかばって死ぬことが多かったのよ! その場合、アナタは何の反応も示さなくなっちゃったけど。つまらないから、すぐ新しい絵画(きせつ)で上塗りしたんだよね。……って、もう聞こえてないかな?」

 首を切って生きているのは十五秒くらいって本当なんだ。ま、鶏とかでも同じだもんねー。
 彼の死をつぶさに観察しながら、祢音は頭部を持って藤丸家をあとにする。
 エーテル体でできた彼が消えてしまわないように、思い描くことで顕現させた『保存容器』に頭部を保存する。
 容器を胸に抱きしめながら、祢音は学校(いえ)へと向かう。
 カツカツと足取りは軽く。
 心は弾むボールのようにドキドキしている。
 もうずっと何も口にしていないのに、躰の中はひどく満たされていて。
 きっと今なら空も飛べるはずだ。

「生きている。ああ、私は生きている───」

 ※

 とある場所から行くことのできる秘密の場所。
 窓に『星月夜』が貼りつけられた病院の一室で、彼女はほっと息をつく。
 外出は疲れてしまうからいけない。倦んだ痛みを孕む病熱は、躰を灼き続けているけれど、おもだるい躰が生を実感させてくれる。悦びを呼び覚ましてくれる。
 彼の一部を大事にしまった容器(から)を、音も立てないぐらいに優しく、そっと棚に仕舞い込む。無数の容器に混ざって、並べられたそれを、袮音は感慨深く───空っぽの心で───眺めた。
 この行為に意味はない。
 この行為に価値はない。
 どんなに想ったところで、彼が私に応えてくれる未来など、どこにもないのだ。
 それでも───やめられない。
 想うのを、欲するのを、害するのを、記憶し、記録するのを。
 これは恋ではない(とうの昔に乖離してしまった)
 これは恋とは呼べない(そも、恋とは不可侵にして受動的だ)
 変質してしまった夢の真奥で、彼女は恍惚とした笑みを浮かべる。

「これでまた一つ、私の中の記憶と記録が増えた。そして、私も……」

 消毒液のにおいを感じながら、

「ふふ、うふふふ……。あははははは!! ────!!!」

 女が嗤う。己を、他人を、夢(せかい)を。すべてを無意味で無価値な空間に落とし込み、慈しみ、愛しみ、蔑みながら。女は呪いの唄を囀る。それは、もはや嬌声に近い。しかしそれすらも、ゴボゴボと喉からあふれてくる赤い血に溺れて聞こえなくなった。
 みずから喉を剣で貫いたのだ。
 薄い皮膚を突き破り、血管を引きちぎり、食い込んでいく白剣は、彼女の身体に傷を創り出していく。
 時計の長針を模した細い剣は、夢を創る『夢幻の創造』───伝達機構の権能が形を成したものの一つ。固有結界内において、術展開者と夢の主のみ使用可能な、創造を司る剣である。
 暗澹たる部屋の中、女の背後には一騎のサーヴァントがいた。彼女が捨てた男の姿で、彼女が喉を貫いたのを見届けていた。
 けっして混じり合うことのない上塗りの世界。油に浮いた水の彩りは、紫の瞳を閉ざす。

「やはり止まらなかったか。ならば、俺も夢(せかい)を始めた存在の片割れとして、成すべきことを成し遂げよう」

 朝霞ネオンの姿が揺らいだ。
 空間が捩れる。
 正常を取り戻した場所に、男子学生の姿はなかった。
 かわりに───男が立っていた。
 黒影で染めたマントを、夜のごとく纏う男。フードは取り払われている。幼さが消え、年月を経てより精悍になったネオンの顔があらわになっていた。頼りなかった幼木が、しなやかな強さを持つ成木に成長したかのような風貌だ。しかし、彼の左半分の輪郭は失われていた。亀裂の走ったそこからは、夜を宿した青い靄が夢のように漏れ出し、虚ろに揺れ動いている。
 主のために用意した仮初の身体を捨て、本来の姿に戻ったオネイロスは、手にしたアゾット剣を女の背に突き立てた。ぐらりと前に倒れる仮初の姿をした主。醒める夢のように消えていく身体を、オネイロスの紫だけが、観測し続けていた。

 夢(せかい)が白く染まる。
 新たな四季(いちねん)が描かれる。
 どこかで見た絵画(きせつ)は、塗り残しを無視したまま、最後の刻の再生を始めた。



クライマーックスジャンプ!
2024.3.30