AM 6:00 "M"

・色んな所が大きな、きわどいあの子とのお話。
・絆5前提です。
・主人公の性別はお好みで


サクライン


 がしゃん、ずるずる。
 がしゃん、ずるずる───。
 何か硬いものを引きずる音が扉の向こうから聞こえてきた。枕元にあるデジタル時計に目をやる。時間は、起床を報せるアラーム音より三十分早い、午前六時。
 寝ぼけたままの頭を必死に働かせる。
 硬い金属音。かなりの重量があり、ゆっくり引きずらなければ移動できない。……うん、間違いない。音の主はパッションリップだ。
 ───がしゃん、ずるずる。
 ずるずる、がしゃん。
 音が止まる。次いで、マイルームの扉が開く機械音がした。
 そういえば部屋の鍵をかけてなかったな……。昨日疲れてそのまま寝てしまったから……。
 ブランケットにくるまったまま、霞む視界で入り口を確認する。
 部屋の中は薄暗いが、廊下は照明の光で明るい。その光を背にパッションリップが立っていた。まるで格闘技の選手が入場してくるような絵面だ。不思議な勇ましささえ感じる。
 部屋の扉が閉まると同時に、彼女は決心したようにキッとこちらを見据えた。そして両手に力を込め、床を押す。その反動を利用してリップの体が宙を舞う。
 ん!? こっちに飛んで来てる!?

「マスターさああああん!」
「ぎゃああああ!」

 間一髪。
 リップの体が上に落ちてくる直前で、ベッドから転がり落ちた。
 彼女はそのまま、その巨体でベッドを押し潰す。
 ───ガターン、グチャ。
 ベッドの断末魔が聞こえた。跡形もなく破壊された亡骸が無残にも床に散らばった。

「ああっ! 逃げないで! そのまま、じっとしていてください!」
「いや無理だから! さすがにリップのボディープレスは死んじゃうから! あと、また谷間に落ちちゃう危険性もあるし!」
「でも、でもそうしないと……。わたし、座に還ることになっちゃうんですっ!」
「……ごめん、ちょっと話が見えない」

 最近は他人を傷付けないよう行動していたリップが脇目も振らず突進し、半泣きで脈絡のない不穏なことを訴えてくるあたり、何かがあったに違いない。
 泣き出しそうなリップを宥めてから、部屋の照明をつける。椅子に身を預けながら、詳しい状況の説明を求めた。

「実は、かくかくしかじかで……」
「それはまた。BBちゃんにも困ったものだね」
「本当にそれですよ。お母様───BBはやると言ったらやる人なので、こういう悪ふざけの途中離脱(ギブアップ)は基本許しません。呪いも九十パーセントくらいは確実に実行されると思います」
「残りの十パーセントは?」
「勇気を出したサクラファイブを無下に扱い、恥をかかせた立香さんが消される可能性です」

 なんてこったい。呪いのとばっちりが知らない間に、しっかり我が身に降りかかっている。

「それでマイルームに襲撃……いや、訪ねてきた、と。なるほどね。リップが座に還っちゃうのは嫌だし、出来ることなら協力するよ。でも、リップは本当にいいの?」

 呪いを解くためとはいえ好きでもない相手とキスをする。格好や身体的特徴に反して、かなり純情なリップが耐えられるのだろうか?

「えっ!? えっと……それはぁ……」

 問われた彼女は顔を赤く染め、視線をウロウロと彷徨わせた。そして俯いたままポツリと言葉を溢した。

「ま、マスターなら……大丈夫です、よ……?」

 リップが少しだけ上を向いたまま、静かに目を閉じる。
 これは……キスしてくれという意思表示だろうか?
 というか、いいんだ!? 案外すんなり許してくれたリップに驚いた。
 ベッドの残骸が散らばる中で、巨大な鉄の手に座ってキスを待っている女の子。何ともミスマッチな情景には、この際しっかりと目を瞑ることにして。きっと恥ずかしいのだろう、リップの頬がうっすら赤い。……こちらにも恥ずかしさが伝播してきそうだ。
 立香は椅子から立ち上がり、ゆっくりとリップに近付く。
 これは呪いを解くためだ。いわば不可抗力。童話の中の王子もやったことであって、やましい気持ちは一切ない。人命救助と変わらない……はずだ。
 それでも、やはり緊張してしまう。手が汗ばむし、反して喉はカラカラだ。ゴクリと無意識に喉が鳴った。
 あと一歩。そうしてリップに唇を寄せて……。
 と、その瞬間。

「うわっ!」

 破壊されたベッドの残骸を足で踏みつけてしまった。ムダに丸っこい形になっていたそれにバランスを崩され、なすすべもなくリップの方へと倒れ込んでしまった。

 ◇

 こういう時って、目を瞑るのがいいんですよね。
 そう思って待ってはいるものの、やはり相手の動向は気になるもので。パッションリップは薄目でマスターの様子を伺った。
 確かめるような足取り。徐々に近付く体。
 パッションリップの胸も自然と高鳴る。
 そしてあと一歩、と言ったところで、マスターの体が急にガクリと縦に揺れた。足元には先程壊してしまったベッドの残骸。
 
「うわっ!」
「立香さん、危ないっ!」

 倒れ込んできたのは胸の谷間だ。
 もう以前のような失態は犯したくない。だからといって手で受け止めるのも、それはそれで危険だ。パッションリップはすかさず上体を正面から少し横にずらした。
 ぽすん、とマスターを左胸の膨らみで受け止める。敏感すぎる肌にマスターの皮膚の感触や息がかかり、思わず鼻にかかったような声が漏れ出そうになった。しかし何とか押し殺し、マスターの安否を伺った。

「お怪我はありませんか!?」
「あいたた……うん、大丈夫。助かったよ、リップ」

 マスターはわたわたと焦って離れてしまう。それを寂しく思いながらも、マスターの姿を見て安堵の息が漏れる。どうやら最悪のシナリオだけは回避できたようだ。
 ほっとしたのも束の間、どこからともなく「ピンポーン」という気の抜けたSEが聞こえてきた。二人で部屋を見回す。

「何、今の。クイズ番組でよく聞くような音だったけど」
「おそらくBBの仕業ですね。呪いが解けると鳴らすようにしてるんでしょう。だとすると……」

 やっぱり監視してたんだ、と心の中で続ける。それもそうだ。キスされたという判定を下すのは呪いをかけた張本人しかいない。
 ───それってノゾキとか、デバガメって言うんじゃないかな。
 言葉に出した覚えはないのに、パッションリップの心を読んだように、今度は「ブー」というSEが鳴り響いた。

「何に対してのダメ出し?」
「気にしないでください。おそらくわたしに対するBBの抗議だと思いますので」
「? そっか……。でも口限定じゃなくてよかった。やっぱり、そういうのは本当に大切な人とじゃなきゃダメだよね」

 マスターは照れ臭そうに頭を掻いて笑った。
 その行動と言葉に胸が張り裂けそうになる。
 ああ、その本当に大切な人は……。
 もういっそのこと言ってしまおうか。そうすればきっと、今よりずっとラクになれるはずだから。
 ふと俯いた視界の中に己の両手が映りこむ。
 少し重いかなと感じる『普通』の手。それを見た瞬間、高まっていくだけだった熱が、すっと冷めていくのを感じた。

「……そう、ですね。……はい、わたしもそう思います」

 伝えられない想いを抱いたまま、リップは殊更ゆっくりと頷いた。
 マスターが自分と同じように想ってくれているとは限らない。わたしの想いをぶつけるのは簡単だけど、それだけじゃイミがない。
 だってわたしは、一方的に求めるだけの愛は間違っているのだと、ここではない遠い世界で学んだのだから。

「お互い消滅の危機も回避できたことだし、とりあえずは安心かな? すっかり目も覚めたし、この調子で今日もお仕事頑張ろうね、リップ」

 マスターは気分も新たにと言った調子で同意を求めてくる。
 大きすぎる淡い気持ちは胸の谷間に仕舞い込んで。パッションリップは咲き誇るような笑顔を浮かべた。

「はい! マスターに仇なす敵は、ぜーんぶクシャクシャっと纏めてポイしちゃいますね!」
「頼りにしてるよ。じゃあまた後で」

 マスターにガシャガシャと手を振り、パッションリップはマイルームを後にする。
 優しいマスター。こんな至らない私の無理なお願いにも、ちゃんと付き合ってくれる大切なマスター。
 アナタがわたしに振り向いてくれるその時まで。
 戦闘はやっぱり怖いけど、アナタを守るためなら、この冷たい両手も案外捨てたものでもないと思えるのです。
 ずるずるガシャガシャ。
 廊下に響く金属音は、いつもより早く、ちょっとだけ上機嫌だった。

 ◇

「さてと。ベッド壊しちゃったからな。ダヴィンチちゃんとシエルさんに叱られに行くか……」

 体重は一トンではない、とリップが自己申告していたが、この惨状ではまるで説得力がない。……通信時の負荷とかではなく、本当に一トンあるのではないだろうか。
 掃除しやすいように破片をまとめながら、立香はふと気が付いた。

「ん? ちょっと待った。もしかして今日一日、サクラシリーズ全員とこんな感じで過ごすことになるのかな……?」

 何気なく呟いた独り言をどこで聞いていたのか。空間の彼方から、あの脱力してしまう「ピンポーン」という効果音が律儀な返事をしたのだった。


サクライン




おや? 下のサクラインが怪しいですね。
さてさて、次はガオーなあの子ですよー。
2022.2.26