ハルジオン 9

 たっぷり十秒。やっと言葉の意味を理解し始めたところで、リツカはもっともな疑問を口にしながら首を傾げた。

「私の中に、聖杯? ……何で?」
「そりゃこっちが聞きてーくらいですよ。ただな、カルデアみたいに電力で魔力を補ってた特殊な状況ならまだしも、魔術師でもないオタクが三騎もサーヴァントを使役してるっつーこと自体が明らかに異常なんだ。そんな膨大な魔力を供給するなんて、普通の人間には到底不可能だからな」

 一気に説明したアーチャーは、少し間を置いて再び話し始めた。

「それを可能にしてるのは何か。そう考えたら、自ずと『オタクの中に聖杯がある』って答えしか出てこねぇんだよな、これが」
「じゃあ、アーチャーがわざと敵にやられそうになったのは……」
「どうもオタクの目を通して、必要な場面で最適解のサーヴァントが自動召喚されてる気がしたんでね。まぁ、なぜか召喚される場所が目的地から逸れてるっていう残念感が漂ってはいるが……。そんなワケで確認ついでに、ちょいと一芝居打ってみたんですわ」
「だからって、わざわざそんな危ないことしなくても!」
「反撃する余地くらいは残してましたよ。マスター置いて先に戦線離脱なんて、カッコ悪いマネできるかってーの。こう見えても仕事はキッチリこなしますよ、オレは」

 心外だと言わんばかりにアーチャーは深いため息を吐いた。
 アーチャーの行動の目的は分かった。聖杯も、きっとリツカの中にある可能性が高いのだろう。しかし納得したかと言われると話は別だ。何故そんな重要なものが気付かないうちに入り込んでいるのか。一体いつ、誰に入れられたのだろうか?
 リツカは己の体を隅々まで見回す。が、特別変わったことはない。先ほどの戦闘の余韻からか、心臓が少し早いリズムで鼓動を刻んでいるだけだ。

「でもさ、私の中に聖杯があるとして。それって大丈夫なの? ……突然爆発したりしない?」
「するかよ! いや、絶対とも言い切れないが……。ってか、今まで何ともなかったんだ。多分大丈夫っしょ。傍目には聖杯持ってるなんて思わないぐらい影響受けてないみたいだしな」

 どういう心配の仕方してんですかね、とアーチャーは呆れ顔だ。
 自分の体に異物が入ってるなんて言われたら、少なからず不安になると思うんだけど。しかもそれが膨大な魔力の塊なら、気を抜くと爆発しそうなイメージさえある。
 それとも魔術師にとっては、こんなこともよくある出来事の範疇なのだろうか。だとすれば、魔術師の日常、怖すぎる。将来の夢から魔術師だけは絶対に除外しておこう。こんなんじゃ心臓がいくつあっても足りやしない。

「私やランサーがマスターに疑問を抱かなかったことも、何か関係があるのでしょうか?」

 それまで会話を黙って聞いていたキャスターだったが、徐々に顔を曇らせ、申し訳なさそうに言葉を絞り出した。ランサーも口を挟まずに、槍を消し、空になった腕を組んで何やら考えこんでいる。
 アーチャーの口振りからすると、複数契約があり得ないというのは、サーヴァントとしては自明の理のようだ。だというのに、キャスターとランサーだけ、知識がすっぽり抜け落ちてしまっている。おそらく偶然ではない。そこには何らかの作為めいたものがある気がした。

「アーチャーだけが気付いて、二人は気付かなかった……。んー、もしかして、召喚方法の違いが関係してる、とか?」

 思いついたままをぼそりと呟くと、三人が一斉にリツカを注視した。美男美女の圧が凄まじくて、リツカはすぐには二の句が繋げず、僅かにたじろいでしまった。

「あ、いや、三人の違いってそこぐらいかなぁって、思って……」
「時々変に鋭いよな、オタク。となると、聖杯から召喚される際に、何らかの阻害がかかっているということか。──サーヴァントとしての機能に影響はねぇし、害はなさそうっすから、実際大した問題でもないんですけどね」

 これ以上の詮索は無意味だ、という意味を込めて、アーチャーは肩をすくめた。

「私としては先程の神性を持った死霊も気になります。死霊とは本来、人間の肉体や魂の成れの果て。神になり得るはずがありません。何をどうしたら、あのような歪な存在が生まれるのでしょうか」

 耳、もとい、立てた二本の髪の毛をへにゃりと下に向けて、キャスターが低く唸った。
 彼女なりに死霊という存在に理想というか、並々ならぬ思い入れがあるらしく、さきほど戦った死霊は、それから思い切り外れたものにあたるようだ。

「……逆なのかもしれんぞ」

 今度はランサーが重い一言を呟く。リツカと同じように見つめられても、影の国の女王は臆することなく、薄い笑みを形作りながら言葉を紡いだ。

「いやなに。死霊が神になったと仮定するから話がややこしくなるのだ。ならばいっそのこと、神が自身の代わりとして、先の死霊を創り出したのだと考えれば、諸々の辻褄が合うのではないか?」
「それならば多少は理解できます。多少は、であって、神が人に身をやつすような行為、決して真似しようとは微塵も思いませんが。しかし、そうなると敵は……神霊、ということになりますね」

 キャスターの導き出した結論を聞き、アーチャーが端正な顔を思い切り、うえ、と、嫌そうに歪めた。

「あーあ、やだねぇ。分からないことだらけで、そのうえ敵は神サマときた。ホント、神が絡んでよかった話なんて、ひとっつもねぇですよ」
「人のために行動している訳ではない。だからこそ神が神たる由縁だ。しかし分からないことだらけと言ったが、分かることもあるぞ」

 ランサーは右手の人差し指を、すっと上空へ向けた。つられて見上げた先には、木々の隙間にぽっかりと浮かぶ白い月がある。

「月がどうかしたんですか?」
「あれは月ではない。地上の光だ」

 リツカは眩暈で倒れそうになった。
 衝撃の事実もここまでくると、もはや笑い話の域に達してくる。決して笑えない状況だし、出たとしても乾いた笑いでしかないが。

「ランサー先生。驚きすぎて私の理解力が追いついてません」
「弟子を取った覚えはないが……。どうしても呼びたいのならば、先生より師匠と呼べ。その方がしっくり来る」
「あれが地上の光? 何かの冗談では?」

 目を凝らしながら見上げるキャスターに、ランサーが補足をした。

「そう思いたいのも、やまやまだがな。残念ながら冗談ではない。あの穴の向こうに青が広がっていた。あれは間違いなく空の色だ」
「つまり、あれだ。オレ達がいる場所、いや、この街全体が……」
「光の届かぬ地下深くへと沈んでいる。落下していると言っても過言ではなかろう。しかもご丁寧に、ただの地下ではない。次元をも超えつつあるようだ。もし地上と同じ次元ならば、周囲は闇ではなく土塗れだろうからな」
「もしも……これ以上落ち続けたら、どうなるんですか?」

 恐る恐る尋ねたリツカに、ランサーは静かに両目を伏せた。

「死霊を作り出す神というのも考慮すれば、行き着く先は冥界かもしれん。どこの神話の冥界かは知らんが、いずれにせよ、そこは死者の世界だ。生者が生きていくことは難しかろうよ」

 それは暗に、“街にいる全ての人間の死”を意味していた。学校の先生や生徒、街の人達、そして家族の顔が次々と脳裏に浮かぶ。
 その人達が、全員、死ぬ? 想像した途端に、体中を言い知れない怖気が走った。
 
「い、急がなきゃ!」
「待て待て。そう慌てなさんなって」

 焦って動こうとしたリツカの首根っこを捕まえて、アーチャーはどうどうと落ち着かせる。

「このまま闇雲に動いたって仕方ないっしょ。せっかく近接戦闘こなせる味方が来てくれたんだ。ここら辺で、さくっと敵の本拠地見つけてきますよ。斥候はオレの十八番だからな」

 アーチャーは、「そんじゃあ、ちょっくら失礼しますよっ」と、ちょっと生き生きとした言葉を残し、人外の軽やかな跳躍を見せながら、枝影の中に消えて行ってしまった。

「行っちゃった……」
「元から根無草のような男だ。ちょうどよかろう」
「同盟者も今のうちに休んでおきなさい。おそらく、次は異変の元凶と対峙することになりますよ」

 キャスターの提案に、うん、と返事をしながらも、リツカの頭は別のことを考えていた。
 これだけ森の中を移動したにも関わらず、学校の影さえ見当たらなかった。つまり言い換えれば、そこにいた全員がいなくなってしまったということだ。その中には友人である姫乃も含まれている。
 ──やっぱり無理やりにでも連れてくるべきだった。
 リツカは激しい後悔の念に苛まれた。だが嘆いたところで、今のリツカには消えてしまった者を探す手立てもなく、時間の猶予も残されていない。
 お願い、どうか……無事でいて……。
 組んだ両手を胸の前に当て、祈るような気持ちで目を閉じた。



 ◇



 時は少し遡り、リツカ達が死霊を撃破した頃。

 ブツリ、と回線が切れるような感覚が脳内を走った。それは己が生み出したモノの敗北を意味する、魔力の繋がりが絶たれた感覚だった。

「あら、負けてしまったワ。やっぱりお人形だと英霊三騎には敵わないみたいネ」

 天蓋付きの豪奢なベッドの上、白いシーツの海に寝そべりながら、声の主である少女が呟いた。
 その声は鈴の音を転がしたように愛らしく、聞くものの意識を妙に心地よくさせる甘さを孕んでいた。その上で蠱惑的な口調にも感じるのは、少女が見た目どおりの子供ではなく、人外の力を持ったサーヴァントで、大人を優に超えた精神性を持ち合わせているからだ。
 そして残念そうではあるものの、まったく悔しそうではない。むしろ、どこか楽しんでいるような、彼女達はどこまで抗ってくれるのだろう、という期待感まで滲み出ている。
 シーツの上には淡い薄桃色の長い髪が、敷き詰められた桜の花弁のごとく広がっている。毛先だけが波打っている、滑らかな手触りのそれを手で梳きながら、少女は天蓋の外へ向かって声をかけた。

「本当にいいのかしラ? このままだとあの子達、ここにたどり着いちゃうわヨ?」

 少女の問いに反応はない。ただ耳が痛くなるぐらいの沈黙が流れるばかりだ。

「まぁ、ワタシの好きにさせてる時点で、ここまで来ようが、途中でお人形にやられて野垂れ死にしようが、どちらでもいいってことなんでしょう? それとも……最初からワタシのお人形が負けると予想していたのかしラ?」

 部屋にいるはずのもう一人は、それでも言葉を返さない。
 全く煽りがいのない人間だ。こういうのはクールとは言わない。単に意固地に冷徹を装い、むりやり貫こうとしているだけだ。
 少女はつまらなさそうにベッドの上で大きな欠伸をした。身に纏っているレース調の、白い花を彷彿とさせるシフォンドレスが、微かな衣擦れの音を立てる。
 そこでやっと短く息を吸う音が聞こえた。ベッドの外側にいる人物が何か喋るつもりらしい。

「私は、私の仕事をするだけよ。結果が全てであり、そこに至る過程や手段は問わないだけ」

 ──可愛げのない内容。期待などしてはいなかったけれど、あまりにも、どうしようもなくつまらない返答だった。
 ベッドの中の少女は、お返しとばかりに、あっそ、と言い放つ。

「そうよネ。アナタはそういう性格だもんネ。もうちょっと他人に優しさを見せれば、結構モテると思うヨ? 容姿は悪くないんだからサ」
「余計なお世話よ」
「そうかしラ? 女の子にとって重要なことだと思うケド。ああ、そっか。アナタは女の子である前に魔術師として振舞いたかったんだっケ。じゃあ興味なかったヨネ、ごめんネー」

 サーヴァントの少女は、一方的に会話を打ち切った。
 これ以上、言葉を重ねるのは無意味だ。何の面白みもない。それどころか、自分らしくなく振る舞おうとする人間にイライラが募るばかりだ。無理に演じるくらいなら、早々に諦めてしまえばいいのに。どれもこれも中途半端に手放せないから、色々な歪みが生じて、結果的に弱くなってしまうのだ。
 やめた。このままだと説教モードに突入してしまいそうだ。別のことを考えよう。うん、そうしよう。
 ──侵入者がここに至るまで、きっと、もう少し時間がかかるだろう。あの森は正しい道順を辿らなければ、延々と同じ場所を歩き続けるハメになるからだ。
 ああ、楽しみだ。やっと願いが叶う。
 しかも、だ。全部消えてしまう終わりの間際に、アイツの体に鋏の刃を突き立てる僥倖が訪れるなんて。考えただけで身震いしそうなぐらい幸せな気持ちになれる。
 闇を纏った少女の笑い声が、暗い部屋に響き渡った。
 ──固有結界が完成するまで、あともう一息。それまで特にすることもない。忙しいのは好きではないが、ただ待つだけ、というのも退屈で性に合わない。
 そんな時は大人しく寝るに限る。果報は寝て待て、というやつだ。……決して不貞寝というわけじゃない。ベッドの外の人間に、相手にされなくて寂しかったとかじゃあ、断じてない。
 意地悪ついでに「寝るからカーテン閉めといテー」と顎で使ってやった。いい気味だ。

「一応、私はあなたのマスターなんだけど……」

 苦言を呈した人物は、けれど仕方なく、言われた通りにカーテンを引くため、明かりが差し込む部屋の、身長の倍はある大きな窓に近付いた。

 ────紺のプリーツスカート、白い丸襟シャツの学生服。二つに結んだ金色の巻き毛。
 そこに立っていたのは、紛れもなく桜井リツカの友人、黒森姫乃だった。



スカサハ師匠大好きです! 足の綺麗な女性は見てて至福。
そしてやっとオリジナルサーヴァントの影が。趣味詰め込むぞー。
次はちょっと脱線話を挟んだ後、お話の終盤へ突き進みます。
2021.11.13