ハルジオン 14
・戦闘描写・流血表現があります。苦手な方はご注意ください。
・フワッと分かった気になるダイジェスト書いておくので、そちらをどうぞ。
◇
ヒメノと共に森の中を駆ける。目指すのはリツカとアーチャーが逃げた先、マーリンが二人を転移させた東の森の端だ。
───あと百メートル。
……二人が動いている気配はない。それもそうだ。掠っただけとはいえ、アーチャーには致命傷を負わせた。すぐに動けないのも無理はない。
しかしマーリンが入れ知恵してる可能性があるのも事実。加えて、あのアーチャーのことだ。奇襲や騙し討ちのため、あえて動かない選択をするかもしれない。
可能性で頭を埋め尽くしながらも、相手との距離を詰めていく。
───あと五十。
……身体(いれもの)が重い。
自身を肥大化させるのではなく、聖杯と自前の魔力によって、強引に固有結界を展開した反動が、世界から絶えず襲ってきている。
揺り返しは大きい。世界は、異物の存在を許さない。
───あと十、五、……三。
目の前にある一本の巨木。地上から四メートルほど上の枝の根元。生い茂る黒い葉に隠れて姿は見えないが、確かに人型の気配が二つあった。
ヒメノに下がっているように言いつけ、双剣を構える。
攻撃を仕掛けてくる様子はない。出てこないのであれば……炙り出すまでだ。
剣を握る手に力を込めて、真空波を見舞おうとした。
その時、───四方の地面に、何かが刺さる音がした。音の中心から紫紺の霧が湧き上がり、周囲を包み始める。
「これは……毒の霧?」
間違いなくアーチャーの仕業だ。透明化した矢を打ち込み、そこから毒の霧を発生させている。
……この行為の意味が理解できない。神であるワタシに毒が効くはずがないからだ。神性のみならず、不死性まで持ち合わせているワタシに……今更、なぜ?
しかし毒霧を少し吸い込んだ瞬間、ワタシは咄嗟に手で口元を覆った。体内を襲った衝撃で、両手から滑り落ちてしまった剣を拾う余裕さえない。
入り込んだ毒が、喉と肺を焼いていく。内部を蝕む痛みに悲鳴をあげそうになったが、すんでのところで踏みとどまった。
そんなことをすれば更に毒を吸い込んでしまう。それに、そんな無様は晒せない。晒したくない。
何とか痛みを堪えながら、震える手で剣を拾い上げる。後ろに飛びすさり、剣を一振りした。
生み出された空気の揺らぎを増幅させ、風を巻き起こす。
早く、早く霧を払わなければ! これは危険だ。神でさえ効く毒なのだ。ヒメノが吸えばひとたまりもない。
風が毒霧を散らしていく。濃度が薄まり、視界も少しだけ明瞭になる。
───と、
「はああああっ!!」
毒霧の向こう、木の上から謎の巨体がすごいスピードで突っ込んできた。黒い獅子の体に女性の顔がついた、翼を持つ生物。あれは……スフィンクスだ。
「ニトクリスの神獣!? ……そうか、令呪!」
リツカが令呪でニトクリスとスカサハを呼び寄せていたのだ。そうでなければ、あの距離を、ワタシより早く駆け付けるなんて芸当ができるはずがない。
しかもスフィンクスに騎乗してるのは……。
二本の朱槍を携え、口元を布で覆い隠しているスカサハだ。
気合いの発露と共に、スカサハがスフィンクスの上から飛び降りた。
朱槍の連撃が襲い来る。
空間に点を打つ突きと、線の軌道を描く薙ぎ。それらを絶妙に絡ませ、的確にワタシを追い詰めてくる。
同時に、スフィンクスによる攻撃も加わってきた。
無駄を一切省いた殺すためだけに洗練された槍と、穴を補うような獣の野生的な爪。
防御するのがやっとだ。
いや、正確には、防ぎきれてなどいなかった。
「っ……ぐ、ぅ!!」
何回目かの凶器による打ち合いの火花が散った後、神を滅する槍の先端が、ワタシの左上腕を貫いた。
皮膚を突き破り、筋肉と神経と骨を断つ感覚が襲ってくる。
毒とは全く異なる、赤く灼ける痛み。
くらくらとする目眩の中、スカサハとスフィンクス、それぞれの次を予想する。
なんとしても、避けなければ……。
空間に縫いとめられた左腕が邪魔だ。
左肩に自らの剣を振るう。刃が肩の関節の隙間に入り込み、いとも容易く断ち切っていく。黒剣を握りしめた左手が、ぼとりと地面に落ちた。
「っ、ぁあああああああ!」
こんな痛みは、痛みじゃない。ワタシは、もっと鋭い、内から生まれる痛みを知っている。
傷口から零れ落ちそうになった血液を、「止まる」と思い込むことで止血した。現実ではあり得ないことだが、夢ならば可能な現象だ。
───眠りの中における夢とは、詰まるところ、過去の情報や、得た知識の集積から創り上げたものでしかない。
───あり得ないものを形作る固有結界。不可能を可能にできる場所。
万能そうに聞こえるかもしれないが、実は、そこには隠れた落とし穴が二つある。
一つは、「自分が知り得ないものを作り出すことは出来ない」こと。
そしてもう一つは、「覆らない事実として深く印象付けられている知識ほど、抗えない強制力に縛られてしまう」ことだ。
ワタシは「適切な処置をすれば、いつか血は止まる」ということを情報として知っている。だから「適切な処置をした。血は止まる」と思い込むことで止血を可能にした。
しかし、先の毒霧。あれは、思い込みでどうにかできるものじゃない。
あの毒は、「ヒュドラの毒」だ。
ギリシャ神話において最強の毒性を有し、不死性を持つ者に永劫の苦痛を与え、結果的に死へと追い込んだ毒。
……そう、ワタシはどうしようもなく知ってしまっている。
ヒュドラの毒は神性や不死性を持つ者にも有効であること。
加えて、解毒薬の存在などないこと。
今さら、毒は効かない、解毒は可能だ、という浅はかな思い込みで快癒するものではない。解毒薬の存在も、知識もない。薬を作り出すことは不可能だ。
───だけど……。
ワタシはすぐ背後にあった巨木を垂直に駆け上がる。
確かに身体は痛く、そして重い。
だけど……、それがどうしたというのだろう。
まだ足は動く。手も片方だけあれば十分だ。
今ある魔力の全てを以て、宝具を展開した。
地面に咲き乱れるケシの白。現れる二つの門。
ワタシはその情景を、木々の上、遥か上空に飛びながら眺める。そして落ちながら叫んだ。
「ミンナ、消えろォ!!」
「いいや。消えるのはお前さんだ」
───声が、背後から聞こえた。
耳を疑った。
空中で身を捩り、空を仰ぐ。
───遥か遠くに開く穴。
いつか、夢の底から、手を伸ばした眩い光。
あの光によく似た逆光の中、黒と藍の色彩を背に、弓兵の影があった。
ワタシよりも上空を飛んでいる。おそらくは、ワタシが空で体勢を立て直すと見込んで、木の上で待ち構えていたのだろう。
制空を果たした弓兵は、緑の外套を着込み、ご丁寧にフードまで被っている。
だから、表情はほとんど見えない。
ただ、毒矢の鋭い鏃(やじり)が、静かにワタシを捕らえて離さなかった。
───時が、止まったような気がした。
一瞬が永遠と錯覚するような、短くて、けれど、とても長い時間だった。
弓兵の無貌が風に煽られる。
闇に慣れた視界の中、彼の顔が見えた。
……憐憫と同情。二つが混ざり合った顔。
───やめて、やめてやめてやめて!
そんな目で見ないで。ワタシはゴミじゃない。ワタシは、いらないものなんかじゃない!
神として必要とされていた。だから望まれたように与えたのに! あんなにも導いたのに! 全て忘れて、捨てていったのは、お前たちの方だ!
高みにいる男を睨みつける。もし視線だけで殺せるなら、何百、何千回でも足りないくらいに殺していただろう。しかしそれは叶わず、空を落ちながら、お互いの視線が交錯するばかりだ。
弓を装着した男の腕に力が込もる。
まだだ。まだ、負けるわけには……。
片腕だけで剣を構える。
真空を作り出し、弓を無効化して、それから……。
その時、ワタシの微かに開いた口が、あ、と弱く短い音を発した。
───細められた翡翠。
───その深奥に。あの人と同じ、「かげり」を見た。
…………。
……構えた剣の切っ先を、そっと下ろす。
───なんだ、そうだったんだ……。
目の前の男は、彼女を忘却した訳でも、捨てた訳でもなかった。
過去の事象、感情を全て背負い、自らの想いに蓋をしたまま、それでも彼女のヒトとしての未来を願ったのだ。
『現在が過去を否定せず、前を見据えて未来へ歩む』
その姿こそ、ワタシが、神と訣別した人間に望む理想(イデア)。
それは、彼女───藤丸立香が選んだ道でもあった。
とても強い人だった。でも、どこまでも普通の、何の変哲もないヒトだった。だからワタシは立香に惹かれた。一緒にいたいと願い、言葉を交わしたのだ。
そして、そんな彼女と言葉を交わし、想いを通わせる英霊達が羨ましくて。そして……心底妬ましかった。
ワタシのちっぽけな願いと醜い感情。自分でもうんざりするぐらい嫌悪していたけど、何よりも大切にしていた始まり。ワタシは、どうして忘れていたんだろう。
「かげり」は、どうしようもない寂しさだった。身を引き裂く哀愁だった。
けれど、それは、代え難く、狂おしいほどの愛しさの裏返しでもあった。愛しさが深ければ深いほど、寂しさも濃くなるのは当たり前。
消そうだなんて、そもそもの前提が間違っていた。間違えたまま、間違いを認められなかったワタシは、現在(いま)に存在していたにも関わらず、過去というしがらみで自らを縛った。
ならば……。
過去(ワタシ)の剣は、もう彼には届かない。届くはずがない。
忘却への恩讐や、無への回帰に囚われただけの神の剣など、未来を願うものの前には……。
───静かに目を閉じる。
ああ、これが満ち足りるという気分なのだろうか。身体の奥が多幸感でいっぱいになると同時に、満たされた虚無感も襲ってくる。両者を繋ぐのは、これ以上はないと知る、幾許かの寂しさ。
それはきっと、未来を想ったが故の副産物だったのだと、ワタシはこんな状況になって、やっと気付くことが出来た。
「墜ちろッ!!」
緑衣の弓兵の声が闇の空に響く。
無数の矢が、流星の群れのごとく天から降り注いだ。
それは狙い通り、神の体躯を貫く。
───神は、音もなく地へと堕ちた。
◇
右手を握りしめ、胸の前に構える。赤々と再び輝く令呪の二画目。次いで訪れる、体を走る魔力の本流。そこに聖杯の魔力を上乗せする。
「これは……」
アーチャーが己のクロスボウをまじまじと見つめる。そこには特製の毒矢が装填されていた。
「令呪で弓矢を強化してみたの。───ヒュドラの毒を付与してね。神話で一番強い毒って言ったら、ヒュドラか八岐大蛇だから」
どうやって、と言葉少なに問うアーチャーに、リツカは慌てて説明を付け加えた。
「私の中にある聖杯は、もともとオネイロスが持ってるものと同じものでしょ? だったら、その聖杯で展開された固有結界なら、私も干渉できるんじゃないかなーって思ったんだ。あり得ないものを創造できる場所なら、聖杯の魔力を使えば、こういうのも作れるんじゃないかって。ちょっと反則じみてる気がするけどさ」
苦笑したリツカに、アーチャーが探るような視線を送る。彼は何か言いたげに口を開いたが、すぐに引き結んでしまった。
「どうしたの?」
「…………いや、なんでもねーっす。オタクがここまでお膳立てしてくれたとなりゃあ、命中させねぇと弓兵の名折れだな」
意味ありげに笑いながら立ち上がるアーチャー。攻撃を受けた後とは打って変わって、全身に気力が満ち溢れている。彼は、もう負けることはないだろう。
「ねぇ、ロ……アーチャー。オネイロスのことなんだけどさ。あの子は、たぶん迷子になっているんだと思うの。ずっと一人きりだったから、初めて芽生えた感情を、どうやって整理していいのか分からないんだよ、きっと。けど、元々は優しい子……な気がするんだよね……。だから……」
助けてあげて、と懇願を口にする。彼は黙って聞いた後、つまらなさそうに鼻を鳴らした。
「迷子ねぇ。そこらの人間よりも人間みたいな神サマだな。なーんか、そういう困ったちゃんを押し付けられがちっスよね、オレ」
「それは……アーチャーの面倒見が良すぎるからじゃないかな?」
「好きでこうなったんじゃねぇですよっ! ここいらで、そういうのと縁切り願いたいんですがね! ……はぁ、仕方ねぇか。その迷子の神サマとやらの暴走を止めに行きますかね」
そういうところだと思うよ、というリツカの一言に、アーチャーは「言ってろ」と半ばヤケクソ気味に返事をした。
◇
そうしてアーチャーと別れたのが数十分前。
オネイロスが来る少し前に、アーチャーの『顔のない王』の切れ端を貰って木の上に隠れていた。それから示し合わせた通り、最後の令呪を使用してランサーとキャスターを呼び出した。空間の隔たりを無視した呼び出し。花のお兄さんが茶化していた瞬間移動めいた技だ。
突然呼びつけられたにも関わらず、二人は瞬時に状況を把握し、オネイロスを攻撃してくれた。
そして組み立てた作戦は見事に功を奏した。
結果、神は地に墜ちている。
リツカはキャスターと共にスフィンクスの背に乗り、木の上から地面へと移動しつつ、墜落する神を見上げていた。
アーチャーの矢が体中に突き刺さり、ボロボロになった姿は、朽ちかけて変色した花弁が散る様を連想させた。
「ごめんね……」
知らず、漏れ出た言葉に首を傾げた。
どうして謝っているんだろう。
何だかさっきからおかしい。
意識が遠くなったり、知らないはずの知識を知っていたり。まるで自分が自分じゃないような、不思議な感覚がリツカの身に降りかかっている。
これも聖杯の影響なのだろうか?
まだ残っている謎に居心地の悪さを覚えながら、リツカは前にいるキャスターの背に、きゅっと引っ付いたのだった。
フワッと分かった気になるダイジェスト
・オネイロス、二人に追いつく。
・戦闘開始! ところが毒霧が立ち込める。
・神性、不死性持ちにもめっちゃ効く! ヒュドラの毒!
・令呪で呼び出されたスカサハさんと、スフィンクスの猛攻。
・オネイロスたまらず空へ逃げる。宝具発動、全員消えろー!
・待ち構えていたロビンさんが、オネイロスのさらに上空から攻撃!
・オネイロス、自分の間違いに気付く。そして敗北。
おや、リツカちゃんの様子が……。
2022.2.3