ハルジオン 11

・一万字ちょいありますので、お暇な時にどうぞ。







 ぽつり、ぽつりと、感情が生まれていった。それは一つ一つがとても小さく、すぐに消えてなくなりそうなモノだった。けれど、どんなに小さくても、次々と集まり、複雑に絡み合えば、途端に姿を変えてしまう。
 それは──、点が集まり、線になり。
 線が縒りあって糸になり。
 糸が交差して美しい布を織り成すように。
 人間の夢で得た様々な事象の情報と、優しい姉とちょっと非情な兄の精神や人格、ついでに権能を借り受けて。そうして、「ワタシ」という魂(なかみ)が形成された。今になって思えば、これは、やがて現れる聖杯の影響があったのかもしれない。しかし、その考えには至らないほど、ワタシはすっかり舞い上がってしまっていた。初めて芽生えたモノに、正直ちょっと戸惑っていたというのも、言い訳がましく付け足しておこうと思う。
 魂(なかみ)ができて、漂っている場所が凍えるほど寒いことに気が付いた。次に必要になったのは身体(いれもの)だった。
 ワタシがいるのは虚ろな「夢」の底。その下には存在を保てないものが流れ着く「無」があるだけ(もっとも、ワタシがそう呼んでいるだけで本当の名前なんて知らない。便宜上、「無」と呼んでるだけだ)。
 ゆえに物質など存在するはずもなく、実体ある身体を創るなんて、夢のまた夢。それこそ、馬鹿げた夢物語でしかなかった。
 仕方ない、それならば。
 ワタシは「夢」の中だけで通用する身体を創ることにした。物体を形作る力のお陰で、「夢」の世界だけでなら、自分の望むモノは何でも創れたから。
 どんな身体にしようか。
 ──性別は?
 ──大人? それとも子供?
 ──どんな容姿で、どんな服を着ようかしら。
 魂全体が熱くなり、意図せずブルブルと震え始める。心が踊るというのは、こういう気持ちなのかもしれない。
 そうして魂を覆う身体ができた。鋼には遠く及ばないけれど、十分な強度のある身体は自己を守る鎧となる。纏うだけで「ワタシ」は補強され、漂うだけだった非力な存在は、自ら歩く手段を得た。
 さぁ、これから何をしよう。何をすればいいのだろう。生まれたからには、そこには何かしらの意味がある。きっとあるはずだ。だって、そうでなければ……。
 その時、ワタシの足元にハラリと光の粒が落ちてきた。ふと見上げた先、夢の世界の上空に、金色に輝く何かがあった。それは以前、人間の夢で見た、仮初の太陽にそっくりだった。
 直視できないほどの眩い光に導かれるまま、ワタシはそれに手を伸ばした。
 一気に浮上する感覚が身体に満ちる。
 「夢」の世界から「有」の世界へ引き上げられる。

 目を開き、最初に見たのは、ワタシを浮上させた光の発生源、───聖杯。次に見たのは、聖杯の向こう側。時計塔の軟禁部屋で一人、ワタシに気付き、呆気に取られてマヌケ顔を晒している、かつて、人類最後のマスターと呼ばれた少女。

 ───思い出した。
 初めて生まれた感情は、サーヴァントに対する羨望。
 生まれた願望は……アナタに会って話をすること。

 高次へと至らず夢の底を漂っていた、かつて神と呼ばれた伝達機構は、アイスブルーの透き通った瞳で少女を見つめる。そして花が綻ぶように穏やかに笑い、その可憐な唇を開いた。

「初めまして。ワタシの名前は────」






閑話休題






 道標の石を追って、リツカ達は森の中をグルグルと歩き回った。途中、何度か敵の襲撃にあったが、さほど時間をかけずに撃退することができたのは嬉しい誤算だった。ちなみに、「いやー、やっぱりバランスの取れた編成は楽できてイイっすね!」とは、戦闘後のアーチャーの言だ。それに関しては全面的に同意せざるを得ない。ランサーが加わっただけで攻撃の幅が、ぐっと広がったし、キャスターもアーチャーも楽に立ち回りできているのが手に取るように分かった。
 いや、よく考えたら、ランサーが強すぎる気がする……。二人がかりで苦戦していた死霊を、一人で、しかも一撃で倒せるって規格外すぎやしないだろうか? そう思ってアーチャーに尋ねると、「あまりにも強すぎて死ぬ機会を失ってしまった女王サマだからな」と、こっそり教えてくれた。どうしてそんな状況になってしまったのかは分からないけど、とりあえず戦闘狂の気がありそうなことだけは理解できた。

 やがて、石が役目を終えてポトリと地面に落ちたのと、古びた洋館が不自然に開けた森の中に、ぬっ、と姿を現したのは、ほぼ同時だった。
 地上から落ちるわずかな光に、洋館の薄汚れた白い壁と煤けた鈍色の三角屋根が照らし出されている。周りの木々よりは低いものの、建物として十分な高さのある二階建てのそれは、正面に長方形の本館部分、左右に円形の塔が張り出している造りをしていた。壁には明り取りのためであろう、楕円を引き延ばして半分に切った形状の大きな窓が等間隔にはめ込まれている。しかし肝心の明かりとしての光が弱く、外から中の様子を窺うことはできなかった。
 加えて、建物をぐるりと取り囲んでいる広大な花畑も、その場の異質さを助長していた。
 微細な柔毛が生えた細い茎は、ひょろりと長く、その先には和紙を彷彿とさせる真っ白な花弁がついている。所せましと咲いたそれらが、冷たい風に吹かれて、リツカ達においでおいでと不気味に手招きしていた。

「こりゃあケシの花だな」

 花畑のすぐ外側に立ったアーチャーが、自身の丸いブーツの先を注視しながら呟いた。

「ケシって……。まさか、あの危ない植物じゃ……」
「違いますよ。ケシはケシでも、コイツはヒナゲシ。何の毒性もない植物だ。場所によっちゃあコクリコ、あとは……虞美人草とも呼ぶな」

 さすが毒を扱うだけあって植物には詳しいみたいだ。
 そんなことはどうでもいいとばかりに、アーチャーはヒナゲシから視線を外し、館全体をザッと見渡した。

「さてと、どこから侵入するかだが……」
「まどろっこしいことをする必要はありません。どうせ裏口や勝手口など存在しているはずもないでしょう。それに今更コソコソしたところで何も変わらないのですから、ここは一つ。正面から! 堂々と! 潔く! 入った方が! こちらの威厳も保てるというものです!」

 揚々と語り、キャスターは花畑をずんずん突き進み始めた。

「存在がバレてしまっている以上、うだうだ考えても仕方なかろう。たとえ罠があったとしても……まぁ、それはそれとして対処すればよいだけだ」

 そう言うと、ランサーも花をかき分けながら歩を進めた。
 アーチャーだけが妙に遠い目で、我が道を征く二人を見つめる。

「敵にまで威厳を示す必要性がこれっぽっちも理解できねーし、出たとこ勝負をフォローする度量の広さも、あいにく持ち合わせてねーんですけど。できることなら事を荒立てず、静かに終わらせたいと思ってるオレがおかしいんですかね?」
「いや、普通普通。女王様ズだからね。仕方ないよ」

 女王である二人はブレない自己としての軸があるからこそ、堂々と人の上に立てるのかもしれない。しかし、それはある意味では人としての感覚を逸脱しているとも言える。反してアーチャーはどこまでもリアリストというか、ずいぶん庶民的な節があった。
 当たり前だが、何から何まで全く同じ人が存在しないように、ひと口にサーヴァントと言っても、能力から人格まで、彼らはまったく異なっている。
 この場にいる三人でさえ個性派揃いなのだから、数多のサーヴァントが一堂に介していたカルデアは、とてつもなく賑やかで、話題には事欠かない場所だったのかもしれない。

「なんか……アーチャーがカルデアで、どう過ごしていたのか想像できちゃった。あれでしょ、色々クセのある人達の使い走りや、尻ぬぐい役が回ってきてたんでしょ」
「そーそー、だいたいお察しの通りですよ。アイドル志望なのに絶望的にオンチなドラゴン娘にはじまり、果てはアビシャグアビシャグ言って女に声かけまくる、迷惑千万な王様のお守りをしたこともありましたっけ」
「何その、めちゃくちゃ面白そうな人たち」
「それは第三者の立場だからだ! 実際に当事者と関わってみろ? 怒りを通り越した先を味わえますぜ」
「ほう、その心は」
「諦観。全部がどーでもよくなる」

 歩きながら他愛もない話をする。本当は気を引き締めなきゃいけない場面のはずだ。敵は目前に待ち構えている。それでも、リツカはアーチャーと話がしたかった。
 なぜなら、彼と話せる機会は、これを逃せば二度と訪れないことが確約されているからだ。どう転んだとしても、やがて座に還ってしまうアーチャーと、もう一度会える奇跡など万に一つもないことぐらい、リツカはちゃんと理解していた。
 きっとアーチャーもリツカの意図を汲んで話をしてくれている、気がする。そうでなければ、彼の性格上、昔話の大盤振る舞いなどしてくれないだろう。
 ───本音を言えば。彼とおばあちゃんを会わせてあげたかった。しかしリツカがどう足掻いたとしても、死者を蘇らせることはできない。
 だからせめて、思い出ぐらいは共有したかった。たとえ、カルデアでの出来事や、リツカと共に歩んだ数時間の出来事が、彼の中から消えてしまうとしても。リツカが覚えていることで、確かに彼らが存在していたという証になればいい。それは取るに足らないほど脆く、夢幻のように儚いものかもしれないけれど。
 ───彼らが去った後、かけがえのない、大切な「何か」が残りますように。
 アーチャーとの会話の裏側で、リツカはそう願わずにはいられなかった。

 花畑を通り過ぎ、入り口である扉の前に四人がずらりと立ち並ぶ。一応、敵の本拠地ということもあって、即時対応可能なランサーが先陣を切って、茶色い扉の、塗装が剥げかけた金色の丸い取手に手をかけた。
 ギィィ、と蝶番の軋む音が、やけに耳につく。中は想像通り薄暗いものの、目を凝らせば辛うじて内部の様子を窺うことができた。
 リツカ達がいる場所、───西洋風の玄関ホールは二階までの吹き抜け構造で、ひときわ広く造られている。左右に一本ずつ伸びている廊下は、おそらく塔部分にまで伸びているのだろう。奥の壁には二階へと続く階段があり、途中の踊り場で二手に分かれて、二階の廊下へと繋がっていた。床には赤い絨毯が隅まで敷かれ、踏みしめるとサクリとした硬い布の感触が伝わってきた。

「思ったより部屋数が多いね……。手始めに一階から回っていく?」

 リツカが提案すると、キャスターが腰に両手を当て、えっへん、と、これ見よがしに胸を張った。

「ふっふっふ。甘いですね、同盟者。私は気付いていましたよ。二階の右端から二番目の部屋です。あそこだけ、ぴったりとカーテンが閉じていました!」

 誰かがいる証拠です! と、鼻高々に報告するキャスターに、猪突猛進気味に突き進んでいただけじゃなかったんだと、素直に感心したリツカは称賛の拍手を送った。
 気をよくしたキャスターが、「さぁ、急ぎましょう」と、迷いなく歩き出す。しかし、それを見たアーチャーが急に顔色を変え、彼女に向かって切羽詰まった声を上げた。

「って、ちょっと待てキャスター! 考えなしに突っ込むとロクなことが……」

 アーチャーの静止の声も虚しく、キャスターが階段の一段目に足を掛けた瞬間、体が不自然にぎくりと固まった。

「か、カラダが……。動かない……!」
「だから言わんこっちゃねえ! そういう分かりやすい情報は、あからさまなワナって相場が決まってんですよ!」

 頭を抱えて嘆くアーチャーだったが、すぐに気配を察知して後ろに飛び退った。
 アーチャーがいた場所に、よく見知った錫杖の先がものすごい勢いで叩きつけられる。攻撃しようとしたのは、もちろん、錫杖の主であるキャスターだ。

「あっぶねっ!」
「よ、避けてください! 勝手に動いてるんです!」

 キャスターから焦りの声が上がる。しかし上がるだけで体がいうことを効かないのか、リツカ達への攻撃の手を緩めようという意志は感じられなかった。

「キャスターだから攻撃自体は怖くないんだが、いかんせん味方だから戦(や)りづらいなっ!」
「それってランサー師匠じゃなかったことを喜ぶべきなのかな!?」
「儂はそんなアホみたいなトラップなぞ、最初から引っかからんわ!」

 無差別に繰り出される地味に痛そうな打撃を各々で躱す。しかしいつまでも茶番に付き合っているわけにはいかない。
 操られているキャスターから距離を取り、じっと観察していると、暴れ回る彼女の上で何かがキラリと光るのが見えた。

「師匠! キャスターの上、なんか糸みたいなのが見えます!」
「……なるほどな。キャスター、そこを動くなよ。動けば首が飛ぶぞ」
「む、無理に決まってるでしょう!?」
「曲がりなりにもサーヴァントだろう! 気合いで何とかせんか!」

 一喝され、キャスターのプライドに火がついたのか、無茶苦茶な攻撃を繰り出していた制御不能の体がピタリと止まった。隙を見逃さず、ランサーはキャスターに走り寄り、頭のすぐ上の空中を朱槍で薙ぎ払う。
 ブツリ、と何かが切れる音がした。まるで太い糸を切った時のような感覚が、離れた場所にいるリツカまで伝わってくる。
 断ち切ると同時に、キャスターがその場にへたり込み、一息吐き出しながら、緊張で固まった体を弛緩させていた。どうやら呪縛から解放されたようだ。

「そこかっ!」

 階段を登りきった先、壁に沿って部屋を囲んでいる二階廊下の中腹あたりにランサーが槍を投射する。木製の手すりをも突き破り、真っ直ぐ空中を貫く槍を、横っ飛びで避ける影があった。
 追撃としてアーチャーが矢を射る。しかし、それも難なく躱した影は、目にも止まらぬ早さで階段へ走り、遂には、一番上から階段途中にある踊り場に、ヒラリと軽やかに飛んで着地した。

「まさか……冗談で仕掛けた罠に、見事に引っかかってくれるサーヴァントがいるなんテ。驚きを通り越して、逆に心配になるわネ。アナタ、最後の詰めが甘いってよく言われるんじゃなイ?」

 独特な甘い女性の声がホールに響き渡る。キャスターでも、ランサーのものでもない。導かれる答えは一つ。声は影から発せられたものだ。
 影の言葉が終わった直後、薄暗かった館内に光が溢れた。壁に取り付けられたランプ型の照明や、ホール真上の巨大なシャンデリアに、一斉に明かりが灯ったのだ。
 眩みそうな目を手で覆いながらも、リツカは踊り場に佇む影を見た。いや、もうそれは影ではなかった。
 ───真っ赤な絨毯の上に、小さな女の子がいた。
 身長はリツカの半分ほど、小学生ぐらいの高さしかない。薄桃色の髪は地面届きそうなほど長く、毛先だけが緩やかに波打っている。ふんわりと膝の下あたりで裾が広がった、ミルク色のシフォンドレスは、スカート部分の布地の重なり具合から、館の外に咲いているヒナゲシを思い起こさせた。
 薄い菫色の、編み上げた短めのブーツの先をコンコンと鳴らしながら、少女は妖艶な笑みを形作った。

「初めましテ。ようこそ皆さん、ワタシの館へ。と、言いたいところなんだケド……。主人に断りもなく勝手に侵入してくるなんて、非常識にもほどがないかしラ? 親から礼儀ってものを習わなかったノ?」

 人形と言っても差し支えないほどの愛らしい相貌に、呆れの色を織り交ぜながら、少女がリツカ達を見つめた。

「えっと……お邪魔してます?」
「アンタは何で素直に返事してんですか! ありゃ迷惑を引き起こしてる張本人でしょうが!」
「いや、つい……」

 目の前にいる敵があまりにもフレンドリーに話しかけてきているので、選ぶ言葉を間違えてしまった。すかさずアーチャーにツッコミを入れられたが、リツカの返事に気をよくしたのか、少女は無邪気な笑い声をあげた。

「元凶だろうと何だろうと、相手に対する最低限の礼儀は必要だと思うわヨ。リツカは話の分かるいい子ネー」

 あれ? と、リツカは言いようのない違和感を覚えた。しかしそれはキャスターが発した恨み言に押し流されて、意識の向こう側に消えていってしまった。

「屈辱です……。いえ、完全なる侮辱です! ファラオの玉体をいいように弄ぶなど……。その上、私を愚弄しましたね? 撤回なさい! そして今すぐに、その身を以て償いなさいっ!」
「ちょっと!? 言い方が妙にいかがわしいのは気のセイ!? あのさ、糸に引っかかったのはアナタの不注意が原因だよネ? 本人にも直せないそそっかしさにまで、責任取らなきゃいけない義理も権利も、ワタシにはないはずなんだけどナー!」

 毛を逆立てた猫よろしく威嚇するキャスターと、困り顔で応える少女。ランサーがわざとらしく咳払いして、二人の間の袋小路になりつつあった険悪なムードを払い去った。

「話を元に戻すが……此度の街の異変、貴様が引き起こしていると捉えて相違ないか?」

 少女はハッとした表情でランサーに向き直った。

「え……ええ、そうヨ。ミンナを眠らせたのも、街を創り直したのも、ぜーんぶワタシ」

 楽しそうに紡がれるとんでもない発言に、リツカの口から、ただ純粋に疑問の言葉がまろびでた。

「何で……? 何が目的なの?」

 敵だし、リツカの苦手なものをピンポイントで差し向けてくるあたり、RPGに出てくるラスボスみたいな、おどろおどろしい見た目をしているのだと勝手に想像していた。しかし蓋を開けてみれば、洋館にいたのは何とも可憐な女の子だ。
 意思疎通も可能で、会話をしているだけなら、とても街を冥界に変貌させた人物には思えない。だからこそ、目の前の少女の意図が理解できなかった。

「……いらないのヨ、こんな街。いいえ、こんな世界、かしラ」

 忌々しげに細められたアイスブルーの瞳の奥で、シャンデリアのオレンジがゆらりと揺らめいた。

「この世界は一度終わってしまったノ。ごく少数の人間を残してネ。でも残された人間と数多の英霊達の活躍で、人理は見事に修復され、世界は何事もなかったかのように再び時を刻み始めタ。そこまではよかったのヨ。文句のつけようもなイ。合格、花丸、拍手喝采の大団円だワ」

 でもね、と少女は続ける。

「一部の誰かさん達によって、事実は捻じ曲げられ、都合よく改竄されてしまっタ。そのうえ、そんな大事件なんて最初からなかったかのように、キレイさっぱり歴史の闇に葬られる始末。誰のおかげで存在できているのかも考えず、己の行動を省みようともせず、ただ使えるものだけを搾取し、いらなくなったものを切り捨てていっタ」

 これは……。この話は。
 間違いない。おばあちゃん──藤丸立香の、ひいてはカルデアの話だ。
 なぜ目の前の少女が、世界から失われた時間の出来事を雄弁に語っているのだろう。
 混乱しているリツカをよそに、少女は両手を後ろに組み、ふふっと微笑んだ。

「ワタシも同じなノ。昔は神と呼ばれて必要とされていたのに、扱いきれなくなった瞬間にポイっと捨てられてしまっタ。人間って愚かよネ。どうして過去を否定したがるのかしラ。過去の蓄積によって現在(いま)があるにも関わらず? ああ! 本当にくだらないわ!」

 少女は左手を体の横に広げる。レースをあしらった袖から覗く幼い手の中に、黒い鋏が握られた。少女の身長と同じ大きさのそれは、巨大な死霊が有していた得物と全く同じ形状をしている。ただ一つ違うのは、持ち手の部分に痛々しい茨が巻き付き、深紅の薔薇が花をつけていることだ。

「だからね、全部消すノ。そんなに過去を否定したいのなら、過去に置き去りにされたワタシが、現在のアナタたちを否定したって何の問題もないでショ?」

 鋏の切っ先が床に打ち付けられた。重さなんて感じさせないほどの優雅な動きだったはずなのに、切っ先は絨毯を突き破り、ガツンと派手な音を立てながら、いとも簡単に硬い石床を抉った。

「この街がどこに向かっているのか教えてあげル。アナタ達は冥界に落ちていると思っていたみたいだけど、それは見当違いヨ。可視風景(テクスチャー)はワタシが漂っていた冥界そっくりに創ったけれど、ここはもう実数空間じゃナイ。なら虚数の海? ううん、これも違う。ワタシがいた世界は、この世のどこにも存在しナイ」

 アイスブルーが瞼の奥に隠れる。その姿は、さながら眠った状態の人形だ。

「ここはワタシの固有結界で、夢の世界になったノ。人が見る夢。あやふやで、現実世界にはありえないけれど、確かにそこに存在する世界。そして……やがて『夢』を通り越し、その先にある『無』にたどり着く。神も、人も、時間も、空間さえもナイ。そこは存在できなくなったものが至る、忘却と無意識の彼方。そして開いた『無』の穴は広がって、やがて世界の全てを塗り替えル」

 人形が目を見開いた。冷たい意志を宿したまま、夢色の少女は薄く笑う。

「でも悲しむことはないワ。だって、『何もない』は『全部ある』と同じことだから。嬉しいことも、楽しいことも、悲しいことも、辛いことも、なぁんにもナイ。だけど、だからこそ、そこでは真の安寧を得られるノ。始まらなければ、終わりだってこないんだカラ」

 開いた口が塞がらない。少女の目的は街なんて小規模なものじゃなかった。街を起点に、世界そのものを消し去ろうとしている。しかも「忘れられた腹いせ」という、神様らしい、何とも身勝手な理由で。

「よくもまぁ、ペラペラと。寝言にしちゃあ口が回るもんだな……」

 リツカが言い返すよりも早く、隣に立っていたアーチャーの低音がホールの床を這った。
 驚いて思わず彼を見る。唯一あらわになっている左目が、少女を射殺さんばかりに真っ直ぐ睨みつけていた。

「くだらないから消し去るだァ? 馬鹿げたこと言ってんじゃねえぞ、おい。───確かに人間は勝手な生きもんだ。都合が悪くなりゃ簡単に切り捨てたり、裏切ったりする。だがな……だからって、お前さんの身勝手な考えで消していいような、そんな単純なモンでもねぇんだよ。カルデアが、───アイツらが必死こいて取り戻した『日常』を、そう簡単に壊させてたまるかってんだ!」

 アーチャーが外套を右手で払う。その手には既にクロスボウが装着されていた。
 彼が本気で怒っている。出会ってからというもの、リツカの中でアーチャーは「いつも冷静で、飄々とした皮肉屋な青年」というイメージだったが、それはほんの一部分、どうやら上辺でしかなかったようだ。
 他者のために激昂し、理不尽に抗い、臆することなく敵に立ち向かう。それはリツカが目にしたことのない、アーチャーの「英雄」としての顔だった。
 しかし彼の逆鱗に触れてもなお、少女は余裕を保ったまま嗤っていた。

「……吐き気がするくらいのキレイゴト。さすが、世界を救う戦いを経験した英霊様は違うワ。ねぇ、カルデアのロビンフッドさん?」

 静かに矢を構える青年の眉がピクリと動いた。あまり表情は変わってはいないが、わずかに漏れ出たアーチャーの動揺が空気越しに伝わってきた。
 ──ロビンフッド。
 それが彼の真名。そこでようやくリツカは得心が行った。
 ロビンフッドとは森に住む弓の名手で、悪徳な領主に反抗し、苦しむ村人を救った義賊だ。実際に存在していたか定かではないが、幼い頃、彼について描かれた絵本をリツカも読んだ覚えがある。そう言われてみれば、なるほど。他の誰でもないぐらい、アーチャーは「ロビンフッド」を見事に体現していた。

「ワタシがアナタの真名を知っているのが不思議? もちろんアナタだけじゃないワ。そっちのキャスターはエジプトの女王、ニトクリス。ランサーは影の国の女王にして門番、スカサハ。全部知ってル。だってワタシは、アナタ達がいなくなった後も、ずっと、あの人と一緒にいたんだカラ」

 リツカも知らない全員の真名を看破した少女は、小さく独白を呟いた後、薄ら笑いを引っ込めてリツカ達を一瞥した。

「一方的に真名を暴き立てるのはフェアじゃないわネ。いいでしょう、教えてあげル。───ワタシの名前は『オネイロス』。かつて人間に神意を伝えていた、夢の神とも呼ばれた存在。訣別の時より忘れられ、打ち捨てられた伝達機構。そして、現在を否定する過去からの復讐者」
「ギリシャ神話の神か! しかし夢の神とはいえ、街一つの人間すべてを眠らせるとは。明らかに自らの権能を逸しているのは気のせいか?」

 ランサー、スカサハが構えた槍を握り直し、怪訝な声を発した。

「そこはホラ、近親者のよしみっていうノ? 権能とか、その他諸々を借りてるのヨ。ワタシ自身にはたいした力も、人格もないからネ。さてと、正義の味方は無事に世界を救えるかしラ? ねぇ、ヒメノ?」

 少女、オネイロスが階段を見上げる。視線を追った先、誰かが階段を一歩、また一歩と降りてきていた。いや、誰か、だなんて分かりきっている。ただ頭で理解していても、感情がついてきていないのだ。

「……ひめ、の? なんでそこに……」

 嫌だ、信じたくない。だってあそこにいるのは……かけがえのない友人だ。

「なんでだなんて、随分と察しが悪いわね、リツカ。貴女は知らなかったでしょうけれど、私の家系は代々魔術師なの。と言っても、もう落ちぶれて傾きつつある、哀れな弱小魔術師の寄せ集めみたいなものよ」

 姫乃の綺麗な金色の髪が階段を降りるたびに揺れている。リツカの大好きなそれが、燭台の明かりを受けて、絶望的なまでに美しく輝いた。

「誰にも期待されていない、歯牙にも掛けられない一族。そんなだから、魔力も一般人並みしかない、成り行きでサーヴァントを数多く従えただけの元マスターを監視しろ、なんて時計塔から命令されたのよ」
「私も監視していたの? 一体、いつから?」
「貴女はついで。本命は貴女のおばあさま、藤丸立香。彼女が時計塔を出て、この街に住み始めた時から。でも、そんな彼女も数年前に亡くなった。私で三代続いた監視業も、やっとお役御免かと思った矢先に、この聖杯騒動。いくら未熟な魔術師といえども、こんなおいしい話に飛び付かない訳にはいかないでしょう?」

 姫乃が唇の端を吊り上げた。リツカは姫乃と小学生からの付き合いだったが、彼女がこんな風に笑う様を見たことがない。
 親友だと思っていた。何でも気軽に話せる、唯一の人間だと思っていた。でも、それは独りよがりでしかなかった。
 口の中が異様に乾いている。喉の奥で何かがつかえて、言葉はそこで引き返して体の中に溜まっていくばかりだ。

「用があるのは貴女の中にあるもう一つの聖杯。例え魔力リソースぐらいの力しかないものでも、オネイロスに使えば、世界を壊す時間を早める足しぐらいにはなるでしょうし」

 姫乃がオネイロスの隣に立つ。気心知れた距離感が、彼女達の結束を物語っていた。

「私のオネイロスか、貴女自身か。どちらかが倒れたとき、聖杯は封印から解放される。過程は問わない、結果こそが全て。私は、目的のために、叶えたい夢のために。初めて貴女に喧嘩を売るわ、リツカ!」
「さぁ、雑談もこのくらいにしておきまショ? 言葉は飾れば飾るだけ、無意味になっていくモノ。死という安らかな眠りヲ。微睡の淵で、みんなで『無』へと至りましょウ!」
「アーチャー! 同盟者を連れて外へ! 嫌な予感がします!」

 キャスター、ニトクリスが叫んだ。アーチャーは数本の威嚇射撃をオネイロスに放った後、呆然としているリツカを担ぎ、入ってきた扉へと走った。

「罠にかかる割には察しがいいわネ! 大正解! アナタ達の相手はお人形さんに任せるワ。ワタシ個人としては……用があるのはロビンフッド、アナタよ!」

 オネイロスが矢を払いのけながら、大量の死霊を創り出した。小型の死霊から、厄介な大型死霊まで。数えきれないほどの“人形”が広いホールを埋めつくす。その死霊の合間を尋常ではない速度で走り抜け、オネイロスがロビンフッドとリツカの二人を追った。

「させんぞ!」

 スカサハは死霊を無視して、走るオネイロスを追おうとした。しかし狙いすました一条の閃光が、スカサハの行く手を阻む。階段の踊り場で、姫乃が指を差していた。閃光は姫乃の指から放たれたものだった。

「ガンド……。まさか、よりにもよって、このスカサハにルーンで攻撃してくるとはな」
「身の程知らずは承知の上よ。でも、さすがに貴女達とは戦いたくないから、私もここらでオネイロスの後を追わせてもらうわ」

 姫乃は両脚に早駆けのルーン文字を刻んだ。直後、彼女は踊り場からホールを抜け、風よりも早く館の外へと出て行ってしまった。
 ニトクリスは襲いかかってくる死霊に攻撃を加えながら、スカサハに向かって声を張り上げる。

「二人を外に逃がしたのは悪手だったでしょうか!?」
「いや、身動きが取りにくい此処よりはマシだろう。後を追いたいのはやまやまだが、先にこいつらを片付けなければならんようだ」

 夥しい数の敵を前に、二人はそれぞれの武器を握る手に力を込めた。



注 オリキャラ周りの設定は完全にせとりの創作です。
無理がある? 忘れるな、これは二次の世界だワン!(キャット風味)
考えるな、感じるんだ……。

もしもオネイロスちゃんの簡易プロフィールを知りたい方がいらっしゃいましたら(いるのだろうか?)、ホーム画面下にある「モエガタリ」の「オリ鯖の設定1」を参照ください。
2021.12.18