…--… 救難信号

・二人が付き合うお話。
・おどろくほど雰囲気小説。
・漢らしいぐだ子と乙女なロビン。苦手な方はご注意ください。






 何度も何度も、同じ夢を見る。

 深く深く、果ての無い水底に沈んでいく寂しい夢。
 どこまで落ちても襲ってくる孤独、息ができない苦しさが、夢を通して私の中に流れ込んでくる。
 その夢を見た時、決まって一筋の涙と共に朝を迎える。
 繰り返し見る、怖い夢。

 けれど何故か不思議と優しく、ひどく幸せな夢でもあった。










「おはようございます、先輩。最近、朝はひどく眠そうですが、きちんと眠れていますか?」

 食堂の椅子に座った眼鏡の後輩に欠伸を噛み殺しながら挨拶を交わす。マシュが両手で包み込むように持っているマグカップからは、コーヒーのいい香りと、ふわりとした白い湯気が立ち上っていた。

「なんか夢見が悪いんだよね。その所為であんまりゆっくり寝た気がしなくて…」
「夢、ですか。まさか、また特異点に意識が飛ばされているのでは!?」
「違う違う! 多分そういうのじゃないと思う」
「ではどんな夢を?」
「それが……何度も見ている気はするんだけど、よく覚えてないんだ。はっきり分かるのは水の中に沈んでいく感覚だけで、暗い雰囲気の夢なんだよね」
「つまり溺れる夢ということでしょうか。命の危険性も感じられますから、それを連日連夜見ているのは、確かに寝た気がしませんね」

 眼鏡の奥の目が険しく歪められたのを見て、心配させまいと慌てて手を横に振った。

「でも実際に命に別状はないから! この通りピンピンしてるし。放っておいたらそのうち見なくなるでしょ!」

 だから大丈夫だよ! と伝えれば、マシュはそうですか、と険しい顔つきを幾分か緩めた。それを見て内心溜息を吐く。これでは起きた時に泣いてます、なんて口が裂けても言えるはずがない。それでなくても目の前の後輩はとても優しい子だから、言えばいらない心配をかけてしまうことは明白だ。

「でも、もし何か異変があれば、すぐに教えてください。出来る限りのバックアップはするつもりです。先輩の身に危険が及ぶようなことがあってはいけませんから……」

 マグカップを握るマシュの手に、ぐっと力が入る。きっと以前、私の意識だけが特異点へ飛ばされた時のことを思い出しているのだろう。夢の中ではおいそれと助けにいけないもどかしさを、特異点から帰ってきて切々と語られたのは、ある意味いい思い出だ。また同様の心労をかけていると思うと心苦しいが、反面その真っ直ぐな気遣いが嬉しくもあった。

「うん。ありがとう、マシュ。さて、私も何か食べようかな!」

「今日はエミヤさんが朝食を作ってくださってますよ。私も先程頂きました」
「やった! よし、今日も一日頑張るぞ!」

 気持ちを切り替えるように、私は大きく伸びをして、赤い外套のアーチャーに朝食を頼むため厨房へと向かった。











 ああ。またこの夢だ。
 私は森の中を歩いている。
 暗い夜の森。照らすのは、嫌に明るい月の光。
 導かれるように森を進んでいくと、少し開けた場所に出た。
 大きな木が生えていないため、僅かな下草が生えたその場所の中心には、小さな池があった。池は空の黒を写し取っていて、まるでそこだけぽっかりと穴が空いたように、不自然に存在していた。
 池のすぐ側には人影があった。
 銀色の月明かりに照らし出された、見慣れた深緑の外套。
 時々脱いでいることもあるそれを、今は頭からすっぽりと被っている。
 彼の顔は見えない。
 けれど視線は池の中に向けられている。
 私は彼に近付く。
 足音に気付いたのか、外套の頭がこちらを向いた。翡翠の瞳と視線が交わる。その顔には不気味なくらい表情というものが感じられなかった。

「また来たのか」

 彼はうんざりとした表情で視線を再び池に戻した。歓迎されていないのは分かっているものの、他に行くあてもないので、私は彼の横に並び立つ。

「物好きですねぇオタクも。こんな三下サーヴァント、放っておけばいいだろうに」

 自嘲するような乾いた笑いが聞こえる。私はそれを聞いて、少しむっとしながら言い返した。

「そんな風に思ってないよ。私のアーチャーを貶めるのは、それが例え貴方自身であっても許さない」
「はっ! お優しいこって」

 皮肉が頭の上から降ってくるものの、どこか力がない。隣に立つロビンフッドは相変わらず池ばかり見ている。何をそんなに見ているのだろうか。彼に倣って、一歩踏み出し池の中を覗いてみる。水面は波一つ立っておらず、月光を反射させ目に痛いほどギラギラと輝いている。
 しかしただそれだけだ。池の中に何かがいるような気配も、何かが沈んでいる気配もない。タールを溶かし込んだような暗い水が、音もなく満ちているだけだった。

「一体、何を見てるの?」

 たまらず問えば、ロビンフッドは細い目を僅かに見開いた。

「……その質問は初めてだな。いつもはアンタ、ここらへんで目が覚めちまうから」

 そう言いながら緑衣の彼はこちらに近付いたかと思うと、徐に外套の中の両腕を私の肩口へと回した。後ろから抱きしめられるような体勢になり、びくりと体を緊張が走る。そんな私に構う事なく、ロビンフッドはさらに逃がさないという風に腕の力を強めた。

「なぁマスター。この池が人の心を表しているんだとしたら、どれくらいの深さがあるんだろうな」

 顔も上げられないくらい拘束されているため、ロビンフッドの表情は伺えない。けれど彼が何かにひどく悩んでいるのは痛いくらいに伝わってきた。
 どうしてそんな風に一人で悩むのだろう。
 私には言えないことなの?
 密着するぐらい近くにいるのに、ひどく遠くに感じるのは。
 彼が私の干渉を拒んでいるからなのだろうか。
 それとも───
 私が彼の領域に踏み込むことを恐れているのだろうか。

「ロビン……私は……」

 何か言わなければと口を開いたけれど、すぐにロビンフッドの長い指が唇に当てられ阻止されてしまった。

「これはオレの問題だ。アンタを巻き込むつもりはない。そろそろ帰りな、もうすぐ目が覚める頃合いっスよ」

 抗い難い睡魔が襲ってきて、視界がぐらりと揺れた。崩れ落ちる体をロビンの力強い腕が抱きかかえる。閉じていく意識の中、最後に見たのは、彼には似合わない寂しそうな微笑みだった。











 意識が浮上する。
 上体を起こすと、頬を伝う生温い感覚。
 手を添わせば、やはり涙だ。

「会わなくちゃ……」

 会って、話がしたい。
 そう呟くものの、会いたい誰かが分からない。まるでお使いの途中で迷子になってしまった子供のようだ。
 窓の外を見る。
 彷徨海は今日も嵐だ。
 黒い雲と同様の陰鬱な気分を払い除けるため、立香はベッドから立ち上がり、身支度を整えて食堂へと向かった。

「おはようございます、って先輩!? 今日は一段と顔色が悪いです」
「おはよーマシュ。私そんな酷い顔してる?」
「青を通り越して真っ白です! これはダヴィンチちゃんに報告して、今日の予定を変更しなければ……!」
「えっ! そんな大事にしなくても大丈夫だよ!」

 大丈夫、大丈夫じゃないと押し問答をしていると、今日の食事当番だったロビンフッドが入ってきた。

「おー、お二人ともおはようさん。……って、マスター、あんたどうした? 生気が全くありませんって顔してますよ!」

「そうですよね! やっぱり今日は休みましょう、先輩!」
「でも皆に迷惑かかるし……」

「かかりません! とりあえず私は伝達に行ってきます!」

 ロビンフッドさんは先輩をお願いしますと言い残し、マシュは管制室へと消えていった。
 食堂には私とロビンフッドだけが残された。

「あー、じゃあ部屋に戻りますか? 」
「うん……」

 情けない。たかが夢くらいで憔悴するなんて。
 気落ちした声で返事をすれば、ロビンフッドの手が私の頭にぽんと置かれた。

「一日休んだところで何も変わりませんよ。むしろしっかり休んだ方が効率も上がるってもんだ。それとも……歩けないならオレが抱いて運びましょうか?」

「それはいい! 遠慮します!」

 揶揄う口調で言われ、思わず頭に置かれた手を払い除けながら彼を見上げた。その瞬間、ロビンの悪戯っぽい笑顔が少し翳った。ほんの一瞬のことだったから、見間違いだったのかもしれない。けれど何故か、その寂しそうな表情に私は既視感を覚えていた。
 どこかで、見たような……。
 ぼぉっとしていると、ロビンが目の前でおーい、と手の平をひらひらさせていた。

「アンタ本格的に疲れてんじゃねぇか。ほら、さっさと休みますよ」

 ごく自然に手を引かれ、引き摺られる形でマイルームへと連行されてしまった。











「ほい、横になって目ェ閉じろー」

 ぽいっとベッドに投げ飛ばされ、ばさりとブランケットをかけられる。

「扱い雑! それに、そんなすぐに眠れないよ…」

「よく言うよ。マシュの嬢ちゃんから聞いたが、初めて会った時、カルデアの廊下で寝こけてたんだろ?」

 確かにそうだが、あの時は突然のレギュレーションで負荷がかかって眠ってしまっただけであって、むしろどちらかと言えば気絶に近かったと思う。
 現在の状況は、さっきまで寝ていたのに、さらに寝直せと言われているのだ。無茶にも程がある。

「部屋暗くしてたら自然と眠れるだろ。じゃあな、ゆっくり休んでくださいよ」

 ロビンフッドはマイルームを出て行こうとする。その後ろ姿に追い縋るように、無意識のうちに外套の裾を掴んでいた。びん、と外套が引っ張られ、ロビンフッドの歩みが止まる。

「ちょっと、マスター? 離してもらえませんかねぇ」
「ね、寝るまでここにいて!」
「……オレに子守唄でも歌えと?」
「歌ってくれるの!?」
「歌わねぇよ!」

 盛大な溜息を吐いたロビンだったが、嫌味を交えつつもベッドに腰をかける。どうやらいてくれるようだ。

「ね、ロビン」

「……ほいよ、何ですか?」

「手、繋いでくれる?」

 ブランケットの中から差し出した手を見つめた彼は、躊躇した後に渋々手を繋いでくれた。
 彼の少し低い体温が手からじんわりと伝わってくる。

 そうだ、私はこの温もりを知っている。
 彼に、会いにいかなければ…。
 ぼやけた思考で決意した次の瞬間、私はふっと意識を手放していた。





「……嘘だろ。目瞑って三秒だぞ。寝るの早すぎだろっ!」

 小声でツッコミを入れるも、返ってくるのはすよすよと気持ちの良さそうな寝息だけ。どうやら寝入りが深いようだ。試しに立香の柔らかな頬をロビンフッドの人差し指がぷにぷにと押してみても、瞼は開く様子がない。
 もう繋いだ手を離しても問題はないだろう。けれどロビンフッドはそうしなかった。むしろ繋いでいない方の手で、優しく頭を撫でる。綺麗な朱色の髪がさらさらと指の間をすり抜けていく。その感触を楽しむように、ロビンフッドはにやりと口角を上げた。

「ま、役得ってことで。これくらいは許してもらわねぇとな」

 もう少しだけ、この少女を独り占めしても構わないだろう。ロビンフッドは握り締めた手を離さないまま、己も瞼を閉じた。











「やっぱり来ちまったか。そうだよな、オタクはそういう奴だもんな……」

 月が煌々と光る夜の森。ここに来るのももう慣れてしまった。私は池の辺に立つ緑衣のアーチャーと対峙する。

「ここに来るの、最後にしようと思ってる。これ以上、皆に心配かけるの嫌だから」

 そう告げれば、外套の中から面白そうに、へぇ、と声が上がった。

「どうやって? オレを溶かしますか? それもいいかもしれねぇなぁ……。ま、大した資源にもなりゃしませんがね」

 相変わらず池の中を見つめながら、アーチャーは毒を吐く。

「これ以上踏み込めば元に戻れなくなるのはアンタも分かってんだろ。ここいらが潮時だよ。分かったらとっとと現実の世界に戻った方がいいですよ……」

 消え入りそうな彼の本心が悲鳴を上げた。
 しかし私はそれに応えなかった。
 私が応えるべき相手は、目の前の彼ではない気がしたから。
 緑衣のアーチャーの脇を抜け、池の淵に立つ。

「上から見てるだけじゃ、確かに深さなんて分からないよね」
「何を……」
「会いに行くの。毎夜あんな寂しい場所に沈んでいくのに、それに安心感を得ているどっかの捻くれたアーチャーさんにね」

 それに、と私は付け加える。

「私を呼ぶくらい想ってくれてるのに、迎えに行かないのは失礼だと思うから」

 振り返りながら淵に掛けた足を、たんっと蹴る。
 アーチャーは唯一、露わになっている口元をあんぐりと開けてこちらを凝視していた。
 背面から池に潜った私は、くるりと体を回転させ、底に向かって必死に泳いだ。
 水は、少し冷たい。
 もがく手や足に重く絡みついてくる。
 彼に届くまで、息は保つだろうか。
 あぁ、でも。
 保たなくても構わないのかもしれない。
 溺れることで彼の心が少しでも近づけるのなら、それもまた幸福なことだと思えるのだ。
 月の光も届かない真っ暗な闇の中、必死に手を伸ばす。
 もう少し、あと少し。
 でも、もう、息が…。
 肺の中の空気が苦しさに負けて水中へ逃げ出した時、ふいに暗闇の底から体を引き寄せられた。同時に唇に柔らかな感触が当たり、肺に空気が送り込まれる。
 驚いて見れば、目の前にいたのは探していた外套を纏っていない弓兵の姿だった。真っ暗なはずなのに、彼の姿だけははっきりと視認できる。ロビンはしょうがないなという風に微笑むと、上に向かって泳ぎだした。手を引かれ、私も一緒に浮上する。
 水面の上に顔を出し、二人で荒い息を吐く。森のひやりとした夜気が肺全体に染み渡った。

「アンタやっぱりアホでしょ。普通得体のしれない池に潜りますか?」
「だって他に迎えに行く方法が分からなかったんだもん! それを言うなら、こんな所に一人で沈んでたロビンもロビンじゃん!」
「それもそうか」

 池の中、二人でずぶ濡れになりながら軽口を叩き合う。
 とりあえず池から上がりながら、最初に観念したように笑い出したのはロビンだった。

「あーあ、折角気付かれないように沈めてたのに、何で見つけちゃうんですかねぇ」
「あれだけ夢で呼ばれれば嫌でも探すよ!」
「放っとけばいいだろうに……。ま、助けていただいて感謝してますわ」
「全然気持ちこもってないんだけど!?」
「マスターの気の所為です」

 池の淵に腰掛け、足を水につけながら会話する。いつの間にか地上に立っていたもう一人のロビンフッドはいなくなっていた。おそらく彼もまた、ロビンの本心の一部だった。きっと沈めた本心を隠す必要がなくなったため消えてしまったのだろうが、それはそれで何だか名残惜しいような気もした。

「あっ! それよりも、私まだ重要なこと言われてない!」
「……何を?」
「へぇ~、意外とロビンって甲斐性ないんだぁ…」

 惚けようとする彼を、じとりと睨む。
 ロビンは暫く固まった後、降参を示すように両手を上げた。

「分かった、分かりましたよ! オレの負けだ! 好きですよ、マスター。こんな格好悪く告白するつもりなんて、全くなかったけどなっ!」

 ヤケクソになって叫ぶロビンに、思わず吹き出す。彼の頬が赤いのは、おそらく気の所為ではないだろう。
 貰いたかった言葉に満足しつつ笑いながら手招きし、ロビンにそっと耳打ちする。
 彼は少し視線を彷徨わせた後、ゆっくりと私の体を抱き寄せた。

 美しい月光の光が、二つの重なる影を静かに照らし出していた。











 夢から覚めた体は羽が生えたかのように軽くなっていた。今ならアメリカ横断のニ往復も軽くこなせてしまえるんじゃないかと呟く。

「いや、あれは正直骨が折れたとオレの霊基が訴えてる。二度とゴメンですわ」

 マイルームの壁にもたれていたロビンが、げんなりとしながら首を横に振った。確かに、もう一度あれをしろと言われたら私も断るだろう。それぐらいにきつかった。

「二往復は言い過ぎた。往復ぐらいに撤回しとく」
「往復でも嫌ですけどね!? 」
 
 二人の間に沈黙が流れる。
 ロビンは罰が悪そうに頬を掻き、今回は迷惑かけたなと聞こえないぐらいの小さな声で呟いた。

「本当だよ。これに懲りたら自分だけで解決しようと思わないでね」

 ぐさりと言葉のナイフが刺さったのか、ロビンはあからさまに凹んでいる。こんな彼を見るのは新鮮で、存外に楽しい。暫くこのネタで遊ぼうかと思ったけど、行方をくらませられても困るので、この件はこれ以上掘り下げないことにした。

「まぁ、例え同じようなことがあっても、私は何度だってロビンを見つけ出すけどね」
「随分と漢らしいな」
「だから私が沈んだ時も、必ず迎えに来てね?」
「分かってますよ。当たり前でしょうが……」

 嬉しくてロビンに抱き付けば、返すようにぎゅっと抱きしめ返される。彼の体温に包まれながら、今日からまた始まる激動の日々を生き抜こうと心に誓うのだった。



メーデーということで。某バンドの曲をイメージして。
ロビンがめっちゃ女々しくなってしまった。
そんなつもりではなかったのだが……。
2021.5.1