さよならだけが人生ならば

「よ! 一人で呑んでるのか、呼延灼」
 
 濁り酒で満たされた金色の盃を手に、一人で呑んでいた呼延灼は、己の名を呼ぶ陽気な男性の声を聞き、ニヤリと口の端を上げた。

「あの黒幕に用事があったのではないですか? 燕青」

 傾きかけた夕陽を受けて、渾々と湧き落ちる酒滝は赤橙色に染まっている。汲み場に座っていた呼延灼は、手元にあった別の盃に酒を注ぐ。それを隣に立った燕青に差し出した。
 燕青は黙ったまま盃を受け取り、一気に飲み干す。やっぱり美味いなという独り言を溢してから、気持ちを整えるように彼は大きく息を吐いた。

「用事はあった。あったから行ってきたんだが、薄暗い地下牢で呆けている姿を見ていたら、すっかり体から力が抜けちまった。九紋龍殿の寛大すぎる処罰を無視する訳にもいかないしなぁ。───本心は、あいつら自体が黒い蹴鞠みたいになってるのをいいことに、毒酒にゆっくり浸してから何度も蹴って遊んでやろうと考えたんだが……」

 聖杯に願うほどの禍根。燕青の四奸六賊に対する───特に高毬に対する恨みは深い。いや、彼の過去を鑑みると目の前の無限滝と同じくらいの責め苦を与えても物足りないはずだ。
 しかし彼は復讐を選ばなかった。すんでの所で思い留まり、こうして引き返してきた。
 呼延灼は何もせず帰ってきた燕青を好ましく思う。ある者は「お前の怨みなどその程度だったか!」と叫び、またある者は「痛みによる懲罰を!」と嘆くだろう。
 彼らは知っているのだろうか。復讐や報復の先にあるもの───達成感や満足感よりも強く感じられる、あの言い知れぬ虚脱感を。
 彼らは知っているのだろうか。復讐の終わりは、新たな地獄の始まりだということを。

「それでいいのです。あんな小物への呪に縛られている天功星など見たくもない……。あなたの拳は、今度こそ主と定めた者を守るために振われるべきものなのですから」

 よわよわになった小物を死体蹴りよろしく攻撃するなど、四奸六賊がやった悪事と同じくらい低俗になってしまうではないか。アイツらと同等になるなんて真っ平ごめんだ。
 どうせ振るう力ならば誰かを守るためがいい。ただの人でありながら、足掻き、もがいている者にこそ手を差し伸べる強さ。我々の力は、そういう使われ方であるべきだ。
 呼延灼の脳裏にマスターの面影がちらつく。といっても人間の方ではなくカボチャ頭の人形の方だ。本来は人間の姿だということなど百も承知である。しかし彼女は誰よりもカボチャ頭の人形と長い時を過ごしたし、主と仰いだのは紛れもなく人形の姿だ。
 もしも次の召喚があるとするのならば、この歪んでしまった認識が正されていることを願うばかりである。初めてのマスターがカボチャ頭の人形だったと霊基に刻まれてしまっては、何ともまあカッコ悪いではないか。

「───もうすぐ私は消えてしまうでしょう。この地に召喚されたサーヴァントのさだめです。残された時間は、あと僅か……」

 盃の中の酒もあと一口ほど。減ってしまうのが悲しくて、ちびちび口をつけていたはずなのに……。無限に湧き出る酒を前にして盃の酒がなくなることを惜しむ。我ながらみみっちいとは思うけれど、これが人の性というものかもしれない。

「勧君金屈巵……満酌不須辞……」

 呼延灼の朗々とした詩を、燕青は黙って聞いている。酒滝が轟々と立てる音の中にあって、不思議とかき消されることはなかった。

「……人生足別離。もしそうであるならば……。燕青、出会いとは一体何なのでしょう? 言葉を交わし、心を通わせ、手を取り合う意味は真にあるのでしょうか?」
 
 戦場に咲く野の花や、チェイテ梁山泊に灯る光は───。一体、どうして其処に在るのだろう。
 呼延灼は考える。
 こんなにも離別の苦しみが大きいならば、最初から出会わなければよかったのだと。
 燕青は難しいなぁと一言呟き、両腕を胸の前で組みながら、うーんと悩み始める。
 しばしの熟考の後、彼は口を開いた。

「出会って感じた楽しさは嘘偽りないものだろ。というか、誰もそんなに用心深く未来を予測して悲観しちゃいないさ。楽しく飲んで、騒いで、技を磨いて、己の忠義や義侠を信じて戦って。そうして寄り集まったのが梁山泊だ。あのへべれけ達にマトモな思考が残っているなんてあるはずないない! それは今も昔も変わらないんじゃないか?」

 燕青は笑いながら滝へと歩き、豪快に盃に酒を汲んだ。

「一時の楽しさ、ですか。史進殿は再会を愛しいと捉え、梁山泊を再結成しようとし、私は別れを虚しいものと捉え、結成を阻止しようとした。───必ず訪れる別れの未来。意味は……ないのかもしれない。でも、それは決して無価値ではなかった。悲嘆することなく、あるがままを受け入れ、淋しさをも糧にして、新たな出会いを求めることこそが、先へ進む強さに繋がるのかもしれませんね」

 呼延灼は懐から小型の四角い端末を取り出す。煌々と光る電子板を見る呼延灼に、燕青は酒を含みながら眉をひそめた。

「? 何やってんだ?」
「我ながらいい言葉を生み出してしまったので、サーヴァント同士のSNSに流してみようかと思って。先ほどマタ・ハリさんに教えてもらったのです」
「そ、そんなんあったのか……。まあ、やるのはいいし止めはしないが、依存しすぎるなよぉ?」
「う、うむん……。黄飛虎殿にも釘を刺されたから、気をつける、と……思う。……たぶん」
「あんたも幻霊と混ぜられて面倒臭い仕上がりになってるな! そこははっきり否定しようか!」

 燕青のツッコミに被せるように、おーい、と呼びかける声が背後から聞こえた。
 振り返ると、九紋龍エリザが手を振って走り寄ってくる姿が見えた。見事な丈夫であった九紋龍殿が、随分とまぁ可愛らしい形(ナリ)になったものだと、二人はほぼ同時に苦笑する。既知であるからこそ、誰よりも容姿のギャップに吹き出してしまいそうになるのだ。しかし実際に笑ってしまうと、エリザベートが泣き喚いてしまうことなど容易に想像できる。だから何とか堪えているのだが……。果たして、その努力はいつまで保つのやら。

「そうだ、一つ聞きたいことが」

 呼延灼が燕青にボソボソと問いかける。燕青は視線だけで先を促した。

「ハロウィンって、結局……何?」
 
 至極単純で真っ当。それ故に難解な質問に燕青は頭を抱えた。彼の心中は、おそらくこうだ。
 そんなの俺が一番聞きたいわ!

「…………『チェイテ』で、『エリザベート』が『わちゃわちゃする特異点』。ついでに『かぼちゃ』を添えて。それが揃うと、そこはもうハロウィンだ。あ、あとエリザ粒子。あれは恐ろしいぞー? 一度でも関わると呪いみたいに付き纏われるからな。心してかかってくれ」
 
 悩みに悩んだ末、燕青はこう答えた。

「そうですか。カルデアのハロウィン……記録情報にあるハロウィンよりも大変なものなのですね。てっきり飲んだくれつつ戦いに明け暮れる催事だと認識していました」
「いや……うん、まあ……。今回はかなり異色だったからなぁ。いずれにせよ修羅ってることに変わりないさ」

 こうして呼延灼の記録に、間違ったハロウィン情報が刻まれることになったのである。





そして───第四次SNS聖杯戦線が勃発する!
血で血をあらう争い。
一進一退の激しい攻防。
「数多のイイね」(負けたサーヴァントとフォロワーの魂)を取り込んだ聖杯は、いったい誰の手にっ!?
……嘘です、始まりません。




この漢詩に関しては(ギャグじゃないです)、伊伏鱒二さんと寺山修司さんの二人が好きなのです。
訳した伊伏鱒二さんの方が有名ですが、それに返信した寺山修司さんの詩が最高にカッコよくて!
まさかこんな風に、好きな詩を語れる日が来るとは思いませんでした笑

2022.11.3