ハリエットの絵本

・スマホRPG「メルクストーリア」の二次創作。
・死者の国親子メイン
・自分的解釈満載
・設定がおかしいところあるかもしれない

以上、生暖かい目で見ていただければ幸いです。





プロローグ 白紙の絵本

 ランプの灯りが薄暗い書斎の闇をぼんやりと丸く照らしている。その灯りの中、絵本を片手に持ち、ページを捲る影が浮かび上がっていた。
 陶磁器のような真っ白な指で、ゆっくりとページを捲るその絵本には何も描かれておらず、白紙が延々と続くばかりであった。
 夢紡ぐ陶指――─ハリエットは、しばらくその行為を続けていたが、やがて何かを思い出したように、腰かけている回転椅子をぐるりと回し、己の背面に向かい合わせで置いてあるもう一つの椅子をじっと見つめた。
 真紅の布の背もたれを持つその椅子には、まだ、誰も座っていない。
 ───そろそろ来る頃のはずなのだが……。
 そう思った瞬間。
 椅子の上の空間に、青い光が生まれた。
 人の拳ほどの大きさのその光球は硝子玉のように透き通っており、放たれる鮮やかな青色の光が書斎に満ち溢れた。
 海の中にいるようだ、とハリエットは以前旅の途中で立ち寄った、海の青を思い出していた。どこの国の近くだったかは覚えていない。けれど空の色をたっぷりと吸い込んだ海と、柔らかな春の日差しを受けて光を放つ波がひどく印象的で、泣きたくなるほど綺麗だったことだけははっきりと覚えていた。
 目の前の光球はそれに似ている。
 美しさと、優しさを湛えた海色の光球。
 その正体は――─人間の魂だ。
 本来、魂は人の目に見えない。それは肉体という殻で幾重にも覆われているからだ。
 つまりこの魂は肉体を失った、「死んだ人間の魂」ということになる。
 魂がむき出しになったこの状態はひどく不安定で、いつまでこうしてこの世に留まっていられるかは解らない。今この瞬間にも、跡形もなく消滅してしまうかもしれないのだ。
 ───急がなければならない。
 ハリエットは静かに小さな唇を開いた。

「よく来てくれたわね。時間が惜しいわ。早速貴女の話を聞かせてちょうだい。」

 ハリエットは手にした白紙の絵本のページに指を走らせる。
 その部分から黒い文字と、淡い水彩の挿絵が浮かび上がってくる。

「さぁ、物語を紡ぎましょう……。貴女の愛はどんな物語を紡いでくれるのかしら……」

 鮮やかな海色の魂がハリエットの声に呼応し、微かに揺らめいた。








 燃え立つ夕陽の朱と薄紫のヴェールに包まれた死者の国。
 ぽつりぽつりと家々の明かりが灯り始める頃、教会の時を告げる鐘が6度鳴り響いた。
 聖堂内にある長椅子に座ったまま、ジャントールは一日の激務の終了を告げる鐘の音に、ほっと胸を撫で下ろした。
 輝石祭が終わったこの時期は、教会を訪れる者が後を絶たない。輝石を砕いた者も、砕けなかった者も等しく、心に抱えた溢れそうな思いを神士に慰めてもらおうとするためだ。
 昨年までジャントールの元に訪れる者は、輝石を砕けない者ばかりだったのだが、今年はそうはいかなかった。
 8年もの間、輝石を砕かなかった神士が遂に亡き妻の輝石を砕いたらしいという噂がどこからか流れてしまい、その痛みを共有したい者や決心が着かない者まで、様々な境遇の人々がジャントールのいる教会を訪れる切欠となってしまったのだ。
 おかげで朝から晩まで迷える子羊達が列を成している。もういっそのこと牧場でも経営できそうな勢いだ。
 教会の高い天井をぼんやりと眺め、ポケットへと右手を伸ばそうとしたところで、はっとした。数日前までそこにあったはずの海色の輝石は、今やもう姿形もない。
 疲れた時、気分の落ち込んだ時に、妻の輝石を握り締めるのが癖になっていたものだから、無意識の内に手が伸びてしまったことに気が付いた。
 体に染みついてしまった癖はなかなか治らないものだ。
 苦い笑みを浮かべつつ、行き場を失ってしまった右手で後頭部をガリガリと力任せに掻いた。
 自然と思い出すのは最初に妻の輝石を砕いた夜と、不思議な夢の世界での出来事。久し振りに見た妻の表情は、記憶の中の彼女と寸分の狂いもなかった。彼女の時間が止まってしまっているのだという認識をまざまざと見せつけられた気がして、彼女に対する罪悪感と喪失感で押しつぶされそうになった。
 しかし彼女は、そんな私に向かって微笑んでくれた。笑いながら、幸せだったと言ってくれた。
 その言葉を聞いたとき、胸の中の孤独の氷がゆっくりと解かされていくのを感じた。
 私はきっと、彼女に赦されたかったのだ。
 周囲の反対を押し切り、体の丈夫でない彼女を家から連れ出した挙句、幼い命と引き換えに死なせてしまった罪を、ただ赦して欲しかった。
 神に仕える身でありながら、彼女に赦しを請うだなんて、滑稽だと思う。
 しかし、私が彼女を救いだと思っているのと同様に、彼女もまた私を救いだと思ってくれていた。
 私には、その言葉が聞けただけで十分だった。
 だからこそ、現実の世界に帰ってきた時、彼女の輝石を砕く決心が着いた。声に耳を傾け、そして呼びかけること。たったそれだけの、けれど最も大切なことを、随分長い間自分は忘れてしまっていたことに気付かされた。
 そしてもう一つ、彼女のおかげで気付くことができたことがある。
 それは……。
 ギィ……。
 思考の海を泳いでいた頭に、教会の大扉の蝶番が鳴る音が飛び込んできた。信者かと思い慌てて振り返ったが、そこに立つ小さな人影を認めた時、その考えは杞憂となった。

「パパ、まだお仕事終わらないの?」

 白いネズミのぬいぐるみを小脇に抱え、扉の隙間からちょこんと顔を出していたのは、妻によく似た赤い瞳を持つ幼い愛娘。少し控えめな問いかけに、もう終わったよと努めて優しい声を返した。
 立ち上がり、娘の元へ向かう。

「どうした、コゼット。何かあったのか?」
「ううん……何でもないよ。もうすぐ夜になるのに、帰らないから心配だったの……」

 ネズミのぬいぐるみ――スクウィークを抱く腕に力が籠っている。
 もしあの夢の世界のように、スクウィークが動いたり喋ったりすることができたのであれば、苦しいうめき声を上げたに違いない。腕の拘束から必死に逃れようとする相棒の姿を想像しつつ、コゼットの柔らかな栗色の髪を撫でた。

「心配かけてすまなかった。折角迎えに来てくれたことだし、一緒に帰ろうか」
「……うん! スクウィークも一緒に、三人で帰ろう」

 愛娘が嬉しそうに笑うのを横目で見ながら、ポケットに入れてあった鍵を取り出し、教会の大扉を施錠した。
 コゼット、と優しく名を呼ぶと、幼いわが子ははにかみながら温かく小さな右の掌を伸ばし、そっと私の左手を握る。
 輝石祭の後、コゼットにも大きな変化があった。以前のよそよそしい態度はすっかり成りを潜め、色々な話をしてくれるようになった。
 それどころかこうやって手を繋いだり、気を使ってくれたりと、この子なりに私に歩み寄ろうとしてくれている。まだまだ会話に慣れていないのか、先ほどのように小さな体を震わせながら遠慮がちに訪ねてくることがあるが、そんな時は私からコゼットへと手を差し伸べる。
 そうすることでコゼットは真っ白な頬を薔薇色に染め、幸せそうに手を取りながら笑うのだ。花が綻ぶような微笑みが、今の私にとって何よりも大切なもので、守るべきものだ。
 8年……。
 当たり前のことに気付くまでにかかった年月だ。どんなに悔いたところで、過ぎ去ってしまった時間を巻き戻すことはできない。けれどまだ訪れていない未来を紡いでいくことはできるはずだ。
 これからは私の精一杯の愛を、今まで与えてあげることの出来なかった愛も含めて、彼女へ送ろう。
 幸いにも、私と娘の関係は始まったばかりだ。時間はたっぷりある。
 私は隣を歩くコゼットの体をふわりと抱きかかえ、ぎゅっと抱き締めた。
 突然抱きかかえられたコゼットは、スクウィークの黒いビーズの眼と同じくらい目を丸くさせたが、すぐに私の首元へ腕を回し、きゅっと抱き返してくれた。

「パパ、あのね」
「何だ?」
「今日の晩御飯はシチューなんだよ!」

 スクウィークも一緒に作ったんだよ、と得意げに語るコゼットに、一瞬だけ私は歩みを止めてしまったが、すぐに何食わぬ顔で再び歩き出した。

「どうしたの?」
「え、……いや、なんでもないよ。夕飯が楽しみだ」

 乾いた笑い声を上げるが、その脳裏に過るのは亡き妻の手作りシチューの見た目と味。
 あれは……あれだけは何年経っても決して忘れない。いや、忘れることなどできるはずがない。
 本来白いはずのルーは何故か紫色に発光しており、毒々しい臭気を放っていた。
 意を決して口に含めば、甘いのやら辛いのやら酸っぱいのやら、良く分からない味という味が口内に広がり、噛めば噛むほど涙が滲むほどの強烈な苦みが襲ってくるというありがたくないオマケつきのシチュー。
 あれはもうシチューではなく、毒薬と言っても差し支えないだろう。その証拠に一口食べた後の記憶がさっぱりないのだ。
 亡き妻の殺人シチューに比べれば、娘のコゼットの作るものはまだ食べられる味である。しかし、その見た目はやはり想像とはかけ離れた色をしているのだ。
 薄紫色の空の下で、愛しい体温を腕の中に感じながら、料理の腕まで妻に少し似てしまった娘に、どうすれば傷つけずに料理を教えられるかと頭を悩ませるのであった。








 パタパタとはたきが本棚の上の埃を落とす音と、陽気で可愛らしい鼻歌が書斎に響いている。

「これでよし」

 コゼットは踏み台から足を下ろすと、満足そうに父の本棚を見上げた。
 黒檀で作られた本棚には、父のお気に入りの蔵書が所狭しと並べられている。難しい活字ばかりが連なっている聖書から、コゼットが読めそうな童話まで、そのジャンルは多岐に渡っている。
 コゼットの最近のお気に入りは、父の書斎の掃除がてら、読めそうな本をスクウィークと一緒に読むことだった。
ちなみにネズミのスクウィークは、紐でコゼットの背中にくくりつけられている状態だ。
 もうあと数刻もすれば太陽が沈んでしまう時間ではあったが、父が帰ってくるまでにはまだそれなりの余裕がある。
 今日は何の本を読もうか……。
 その時ふと、視線が一冊の本を捕らえた。
 本棚の一番上の棚の左端、濃い青色の装丁の本だった。背表紙には題名が描かれていない。それにも関わらず、所々が擦り切れており、何度もその本が読まれていることを示唆していた。

「こんな本、今まであったかなぁ……。」

 他の本と比べて少し古ぼけたその本に、コゼットは見覚えがなかった。
 前回掃除したときには無かったような気がするのだが……。
 不思議に思いながらも、コゼットは再び踏み台に足を掛け、その本を手に取った。

「わぁ!」

 本のページを捲ったコゼットは、思わず感嘆の声を上げた。
 描かれていたのは、大好きなスクウィークが巨大な竜と戦っている姿、そしてコゼットでも読めそうな優しい文体の文章だった。

「これ、もしかしてパパが描いた絵本なのかな?」

 ほぼ毎日のように父に話してもらっているスクウィークの冒険が描かれた絵本を片手に、コゼットは踏み台を降りて、意気揚々と窓際にある父のベッドへと向かった。
 白いリネンに包まれたベッドへ座ると、ほのかに父の香りがふわりと漂い、目を閉じれば父の膝の上にいるような気持ちになれた。
 コゼットはスクウィークを縛り付けていた紐を解き、隣にそっと座らせ、静かに本のページを捲り始めた。

 ぱらり、ぱらりと絵本のページを捲る音だけが耳に心地よい。
 ページを捲る度に進んでいく物語が面白くて、コゼットは夢中でゆっくり大切に絵本を読んだ。そして遂にスクウィークが竜を倒し、塔の上のお姫様を助ける場面が描かれた最後のページを読み終わった。充足感と共に本を閉じようとした時、最後のページに何かが挟まっているのに気付いた。

「これ……」

 挟まっていたのは少し古ぼけた写真だった。
 見知らぬ女の人がレースをふんだんに使った花嫁衣裳を身に纏い、手には生気あふれる花束のブーケを持ったまま、優しげに微笑んでいる。儚げに細められている赤い瞳はコゼットの瞳とそっくりなものだった。

「……ママ?」

 コゼットは写真を見つめながらぽつりと呟いた。
 今まで母親の姿を見た事が一度もなかった。それは元々体が弱かった母が、コゼットを産んですぐ亡くなってしまったからだが、最大の要因は父とあまり友好的な関係を築けていなかったことにあるだろう。
 今まで母について聞いてみることもなかったし、出来るはずがなかった。時折父が母の輝石を苦しそうに見つめている姿を、コゼットは知っていたからだ。
 きっと母の話をすれば、父は泣いてしまうだろうとコゼットなりに気を遣ってのことだった。以前までの父との関係なら無理だっただろうが、今なら母についても教えてくれるだろうか。

「今日パパが帰ってきたら、ママの話聞いてみようかな。」

 ふふっと笑いながら、写真を愛しげに見つめる。
 ママはどんな声だったのだろうか。
 ママもパパのお話が好きだったんだろうか。
 ママはどんな匂いがするんだろう。
 写真を見れば見る程、聞いてみたいことが後から後から湧き出てくる。

「ママに、会ってみたいな……」

 自然とその科白が口から零れ落ちていた。
 その瞬間、隣に置いてあったスクウィークがびくりと大きく跳ねた。

「え!? 何?」

 触っていないはずのぬいぐるみが突然動き出したことにコゼットは驚き、スクウィークから距離を取った。スクウィークの体はそのまま重力に反して宙に浮かび、あっけにとられているコゼットのすぐ目の前まで近づいてきた。

『コゼット、そんなにお母さんに会いたいの?』

 小さな男の子のような、甲高い声が部屋中に響いた。

「何、言ってるの? スクウィーク」

 恐る恐る震える手を伸ばしたコゼットを避け、スクウィークは書斎の扉の前まで音もなく宙を移動した。

『おいでよコゼット! ママに会いに行こうよ。僕に着いて来て! 会わせてあげる』

 スクウィークはまるで最初から壁などなかったように、すっと部屋のドアをすり抜けた。
 通常ではありえない現象にも関わらず、コゼットは反射的にドアを開け放ち、スクウィークの後を追いかけてしまった。
 そうしなければ、スクウィークがどこか遠くに行ってしまう。
 そう感じたからだ。

「待って!スクウィーク!」

 誰もいなくなった部屋のベッドには、開かれたままの手作りの絵本、そして変わらない笑みを浮かべる母の写真だけが残されていた。








 もうすぐ陽も沈む黄昏時の街の中を、ルチアーノとジャントールは肩を並べて歩いていた。

「今日もお勤め、お疲れ様ー。ジャントール」
「全く……。誰のせいでこんなに忙しくなったと思っているんだ」

 能天気に笑うルチアーノに向かって、ジャントールは恨み言を呟いた。
 よく考えてみれば、エレオノールの輝石を砕いた時、間近にいたのは隣を歩くこの男だけだった。仕事終わりにふらりと教会に現れたルチアーノを問い詰めてみれば、悪びれもせず同僚の神仕に話したと答えてくれた。
 もう一生こいつに内緒話はしないでおこうと心の中で固く誓ったのがついさっき。
 現在一緒に帰路に着いているのは、可愛い娘の作る料理を図々しくも口にしたいと半ば強引に着いてこられたからだ。  今度絶対に何か驕らせてやる。
 何を要求してやろうかと黒い考えを巡らせているジャントールに気付く様子もなく、ルチアーノは夕飯が食べられると至極上機嫌だ。

「まぁ、この忙しさももう少しすれば落ち着くさ。現に今日は昨日より教会にくる人の数も減ってたんだろ?」
「それはそうなんだが……」
「それにしても、お前はいいよなぁ。家に帰れば可愛いコゼットちゃんが美味しいご飯作って待っててくれてるんだからよ」

 俺もお嫁さんが欲しいなぁと心の声をダダ漏れさせるルチアーノを横目で睨みつける。

「コゼットはやらんぞ」
「阿呆か! コゼットちゃんは可愛いけど、俺はもっと年上の女性が好みだ!」
「コゼットに魅力がないと言うのか!」
「めっちゃ理不尽! どう転んでも俺は怒られるの!?」

 涙目になりながら、ルチアーノはふと前方を見ながら疑問の声を上げた。

「おいジャントール、お前の家真っ暗じゃねぇか?」

 ジャントールは言われるがまま、ルチアーノの視線を追った。
 見慣れた我が家は、確かに暗い闇と静寂に包まれており、おおよそ人がいる気配などなかった。
 おかしい。今の時間ならコゼットがいるはずだが……。
 焦燥に駆られ、その場を駆け出す。
 ただならぬ気配を感じたのか、ルチアーノもそれに倣ってジャントールの後を追う。玄関扉を性急に開けるが、やはり中はひっそりとしていた。

「コゼット!」
「コゼットちゃん!」

 不安を抱えながら、二人は家の中に足を踏み入れた。いつもなら晩御飯の準備をしている時間の筈だが、愛しい娘の姿は台所にもリビングにも見当たらなかった。
 もしやと思い、ジャントールは自分の書斎へと足を運んだ。最近コゼットが書斎のベッドで本を読んでいることを知っていたからだ。
 もしかしたらそのまま寝てしまったのかもしれない。そんな一縷の望みに縋りながら、書斎の扉を開き、中を覗く。
 しかし、そこに愛娘の姿はなかった。
 あったのはベッドの上に残されたスクウィークを背負うための紐と、表紙の擦り切れた懐かしい絵本、そして愛しい妻の写真だけだった。
 ジャントールはそっと妻の写真を手に取り、じっと見つめる。
 コゼットはこれを見たのか……。だとしても、一体コゼットはどこに行ったんだ……。

「ジャントール、コゼットちゃんはいたか?」
「いや……。しかしこの部屋にいたことは間違いないようだ」

 開いたままの扉の向こうから姿を現したルチアーノを見て、ジャントールは怪訝な顔をした。

「……何故鍋を被っているんだ」
「コゼットちゃんの部屋を見に行こうとしたら、中から変な音が聞こえるんだよ。有事に備えて武装してから突入しようかと思って……」

 ないよりはマシだろ! と力説するルチアーノに、かなり間抜けに見えるぞとツッコミを入れようかと思ったが、時間が惜しいので敢えて追求しないことにした。
 そうか、と短い納得の言葉を返し、御玉を握り締めるルチアーノを尻目に、コゼットの部屋へと向かう。
 確かに、耳を澄ませると中から固い何かが扉を叩いている音がする。
 一瞬コゼットなのではないかとも思ったが、コゼットならばジャントール達が帰ってきた時点で姿を現しているはずだ。
 よってこの中にいるのは、コゼットではない別の誰か、という可能性が高くなる。

「……開けるぞ」
「お、おう!」

 御玉を構える親友に合図し、ドアノブに手を掛けゆっくりと回す。そして一気に力を込め、扉を開け放った。

「おうわぁ!」

 開いた瞬間、暗闇の中に光る青い光と、オレンジ色の物体が飛び出してきた。
 ジャントールは咄嗟に身を躱したが、ルチアーノは躱すことが出来ず、飛び出してきた何かに押し倒され、情けない叫び声をあげてひっくり返った。

「いてて……。これって……」
「コゼットのランタンだ」

 飛び出してきたものは、コゼットが肌身離さず持っているカボチャ頭の巨大なランタンだった。
 輝石祭の夜に出逢ったカボチャ頭の謎の人物に貰ったと記憶している。あの時はカボチャの中の光が黄色だったはずなのだが、今は海の様に真っ青な光がその大きな口から漏れ出している。

「こいつ自分で動けたんだな」

 いつもコゼットが持っているから気が付かなかったのだが、現に目の前でルチアーノの腹の上で元気よく飛び跳ねているカボチャを見ると、独りでに動くことができるらしい。
 一体どういう仕組みなのだろうか……。
 ランタンはしばらくルチアーノの上で跳ねていたが、突然移動を始めた。
 廊下を通り、家の玄関へと向かう。
 そういえば、とジャントールはカボチャのもう一つの特性を思い出す。
 あのランタンはコゼットの身に危険が迫った時、対象を自動(オート)で攻撃する。そのランタンが向かう先と言えば、一つしか思い当たらない。

「ルチアーノ、追うぞ」
「え……。ちょ、待って、くれ。腹が……」

 ランタンに踏みつけられた腹を押さえながら、ルチアーノは息も絶え絶えに着いてきた。
 ランタンは開け放たれた玄関扉をくぐり抜け、街の闇を青く照らしながら跳ねていく。
 ジャントールは有事に備えるため、自室に置いてあった愛刀を引っ掴み、奇妙な武装をした親友と共に、ランタンの後を追って夜の街に飛び出していった。








 どれくらい走っただろう。
 周りの景色は見慣れた街のものから、普段訪れることのない街の外の森のものへと変わっていた。

「待って、スクウィーク!」

 ぬいぐるみの名を呼びかけるが、静止の声も虚しく、スクウィークが止まる気配はない。スクウィークは宙を滑るように森の奥へとコゼットを誘う。
 息は上がり、足に感じたことのない疲労の痛みが走り始めた。けれど止まってしまえばスクウィークを見失ってしまうかもしれない。
 コゼットは小さな足を懸命に動かし、スクウィークを追いかけた。
 永遠に動き続けるかと思われたネズミのぬいぐるみは、しかしあっけなくその移動を突然止めた。コゼットもつられて駆けていた足を止める。
 スクウィークが止まった場所は、森の中にぽかりと円形に開いた空き地だった。空き地と言っても、木々が一本も生えていないその場所は、せいぜい大人が2,3人寝転がれるぐらいの広さしかなかった。
 その中心にふよふよと漂っていたスクウィークだったが、突然糸が切れたマリオネットのように力なく落下した。コゼットは慌ててスクウィークに近付き、地面に横たわるその白い体を優しく抱き上げる。スクウィークの双眸は虚空を見つめたままで、もう声を発する様子もない。
 一体何だったのだろう。確かにスクウィークは動いていたし、喋っていた。それにママに会えるとも言っていた。 俄かには信じがたいことだけれど、確かにスクウィークはそう言っていた。よく考えれば死者に会えるなど到底無理な話だ。何も考えずに着いて来てしまったが、冷静になって思えば危険なことだったかもしれない。
 コゼットはここでようやく辺りを見回した。
 とっぷりと日は暮れ、太陽の姿はもうどこにもなかった。そのかわりに紫紺の空には一番星と大きな満月が浮かび、森全体をその銀色の光で照らそうとしていた。木々は黒々を夜の闇を縫い付けられ、目を凝らさなければあちこちに飛び出した木の根に足を取られてしまいそうだ。時折吹く風は枝葉を揺らし、目に見えない何かに取り囲まれているような錯覚を覚えた。

「きっとパパが心配してる。早く帰らないと……」

 コゼットはスクウィークを強く抱きしめると、たった今走ってきた道を引き返そうとした。
 しかしその背後に何かの気配を感じ、コゼットはふと後ろを振り返った。
 先ほどまでスクウィークが落ちていた地面に、インクを一瓶ぶちまけたような黒い滲みができていた。
 その滲みは次第に大きくなる。
 何か言い知れない恐怖を感じ、コゼットは地面に縫い付けられそうになる足を叱咤し、後ずさりした。
 滲みはなおも大きくなり続け、遂には直径一メートルほどの大きな穴にまで成長した。
 背筋に冷たい恐怖が這い上がり、逃げろという脳の命令とは裏腹に、コゼットの足を竦ませた。
 呆然と立ち尽くしていると、穴の中からぬっと何かが姿を現した。

「ひっ!」

 それは手だった。けれど人間の手というにはあまりにも指先が鋭すぎる。それに皮膚の色は夜の闇を吸い込んだように黒く、おおよそ人の物とは思えなかった。
 不気味なその手は穴の淵を掴むと、力を込めて更に這い出してきた。姿を現した謎の生物に、コゼットは目が離せなくなった。
 大きさはコゼットより2倍以上大きい黒く丸い塊に、先ほどの不気味な手が何本も、何十本も着いている。口も鼻も足もない。けれど黒く丸い塊の、無数の手の中心に一つだけ大きな目玉がついていた。血走ったその目は時折、ぐちゃりと音を立てて瞬きを繰り返している。
 ぎょろぎょろと忙しなく目を動かし、何かを探しているその黒い生物は、立ち尽くしているコゼットの姿を見つけると、うっすらと目を細めた。
 笑って、いる?
 コゼットは弾かれたように踵を返し、全力で森の中を走り始めた。
 あれに捕まったら、終わりだ。何故そう感じたか分からない。
 けれど無意識に、あれが私をここにおびき寄せて、連れてきたのだと分かった。
 そして捕まえた私をあの穴の中に連れていってしまうつもりなんだと感じた。
 逃げ去るコゼットの背後から、あの甲高い少年のくすくすという笑い声が追い掛けてきた。ちらりと振り向くと、化け物は無数の手を器用に使い、巨体を地面から浮かせ、木々の間を移動しながらコゼットの方へと向かってきている。

『待ってよ、コゼット。一緒に……いこうよ』

 後ろから響く誘う声に聞かないふりをして、コゼットは全力で森の中を逃げ始めた。

 ◇

 街を抜け、森へと入っていくランタンを追いながら、ジャントールとルチアーノは足を止め、お互いに顔を見合わせた。

「まさかコゼットちゃん、森に入っていったんじゃないだろうな」
「そのまさからしいぞ」

 青い光を体内に灯すランタンは、二人を急かすかの如く木々の間で飛び跳ねている。

「森の中には魔物がいるから入ってはいけないと、あれほど言っていたのに。何故だ、コゼット……」
「今は後悔してる場合じゃないだろ。コゼットちゃんは賢い子だ。意味もなくお前の言いつけを破るような子じゃないさ」
「……そうだな。急ごう」

 跳ね続けているランタンの後を追って森へと足を踏み入れた。








「はぁ……はぁ……はぁ……」

 上がる息を整えることも出来ず、コゼットはスクウィークを抱きしめたまま夜の森を走っていた。後ろからは気持ちの悪い笑い声を上げながら、一つ目の化け物が迫ってきている。
 このまま逃げ続けられるとは思えない。体力の限界も近づいてきた。
 どうしよう、どうすれば……。
 一瞬意識が別の方向へと向いたためか、足元にあった木の根に気付かず、足が引っかかってしまった。

「きゃっ!」

 こけてしまった拍子にスクウィークが地面へと放り出されてしまった。すぐに立ち上がろうとするが、足を捻ってしまったらしく踏み出した右足首に激痛が走る。生理的な涙が滲み、視界がじわりとぼやけ始めた。

「逃げなきゃ……」

 それでも捕まってしまえば終わりだ。
 腕だけで這って行こうとしたコゼットだったが、無情にも目の前の茂みががさりと大きく揺れ、中からあの化け物がぬっと姿を現した。

『どうして逃げるの? お母さんに会いたくないの?』

 小さな男の子のように、無邪気に化け物はコゼットへと問いかけてくる。
 おそらく化け物には罪悪感というものがないのだろう。だからどこまでも純粋に、コゼットを穴の中へ連れて行こうとしているだけなのだ。その結果が、コゼットの命を奪うことに繋がろうとも、化け物にとってはそんなことは関係ない。

「ママは……もう死んでしまったの。もう二度と会えないんだもん!」
『だから僕と一緒に夜の世界へ行こう。皆そこにいるよ。君のお母さんも、きっと君を待っている』
「あなたにママのこと分かるはずない! ママと一番一緒にいたのはパパだもん。パパはそんなこと一言も言わなかった。だからあなたの言ってることは嘘よ!」

 そう強く言い放つと、目の前の化け物はうぅと苦しそうなうめき声を上げた。そして突然、腹の底から響くような低い声で雄叫びを上げ、コゼットへと無数の黒い手を伸ばしてきた。
 コゼットは恐怖のあまり耳を塞ぎ、ぎゅっと目を瞑った。
 嫌だ、怖い……。誰か、誰か助けて……パパ!
 心の中でそう叫んだ瞬間、閉じている瞼の上からでも分かるほどの眩い光が辺りを照らし、化け物が苦しげに呻く声が暗闇に響いた。
 コゼットがゆっくりと瞼を開いた先にいたのは、見慣れたカボチャ頭のランタンと、化け物と対峙している見慣れた人影だった。

「パパ!」
「大丈夫か、コゼット」

 レイピアの切っ先を化け物へと向けながら、横目でジャントールがコゼットの安否を伺う。思い描いていた騎士の姿に、コゼットはひどく安堵した。

「コゼットちゃん、大丈夫かい?」
「ルチアーノおじさんも来てくれたんだ」
「うぐっ……。おじさんじゃなくお兄さんね」

鍋を頭に、御玉を片手に持ったルチアーノがコゼットの傍に膝をついていたが、鍋も御玉も意味をなさない方向からダメージを受けたようだ。

「少し足を捻っただけ。それよりもスクウィークが……」
「はい、これだろ」

待ってましたと言わんばかりに、ルチアーノは白ねずみのぬいぐるみをコゼットの前に差し出した。コゼットは嬉しそうに友を受け取ると、きゅっと抱きしめた。

「くそっ、こいつは一体何なんだ。まるで攻撃が効かん」

 レイピアで化け物に切りかかっていたジャントールは一人ぼやく。信じられないことに、繰り出す攻撃は全て化け物の体をすり抜け、虚しく空を裂くばかりだった。

「これじゃあキリがない。一旦逃げるぞ、ルチアーノ」
「おう、準備万端だ!」

 コゼットを背負い、逃げる気満々のルチアーノをかばうように化け物からじりじりと距離を取る。しかし化け物はなおもコゼットへと近づこうとする。

「コゼットには、指一本触れさせん!」

 化け物が悔しげに雄叫びを一つ上げると、ジャントールへ向かって突進を仕掛けてきた。しかし今避ければ逃げるルチアーノ達へと化け物が突っ込んでいく形になってしまう。ジャントールは衝撃に備え、ぐっと体に力を込め、両の腕を顔の前で交差させ、受け身の体制を取った。
 しかし予測していた衝撃は一向に訪れなかった。
 化け物はジャントールのすぐ目の前に現れた大きな棺に阻まれて、その巨体を反対方向へとふっとばされていたからだ。
 音もなく現れた棺に、ジャントールは驚き見つめる。
 薔薇の装飾やピンクの電飾でデコレーションされた棺は、不思議なことに倒れず自立している。そしてその棺の上には、見慣れない少女が座っていた。
 木々の隙間から入り込んでくる月光に照らされ、少女の銀色の長い更紗の髪がキラキラと光っている。頭の上には黒いミニハットをちょこんと乗せ、紫を基調とした洋服は、襟や裾にふんだんにレースがあしらわれていた。ふわりと広がるスカート部分には幾重にもフリルが重ねられている。
 縦縞の入った靴下で覆われた足を組みながら、柘榴の瞳を楽しげに細め、少女はジャントールを見ている。

「こんばんは、神仕さま。月の綺麗な夜ね」
「君は、一体……」
「私はミスティカ。夜の契約者。他人(ひと)は、私のことを死霊使いとも呼ぶわね」

 ミスティカと名乗った少女は重力を感じさせない身のこなしでひらりと棺桶の上から飛び降りると、弾き飛ばされて倒れていた化け物に向かって迷いなく歩を進めた。

「ねぇ、そこで転がっているあなた。私と一緒に来る気はない? 残念ながらあなたが気に入った女の子には振られちゃったみたいだし」

 化け物は巨体を震わせ、大きな目玉を潤ませながらミスティカに問う。

『どうして僕はあの子に嫌われたの? あの子はお母さんに会いたがっていた。僕ならあの子のお願いを叶えてあげられるのに』

 化け物に似つかわしくない幼い少年の声が、嗚咽交じりに訴える。
 必死に答えを求めるその姿は、まるでおつかいの途中で迷子になってしまった子供のようだった。
 ミスティカは静かに諭すように化け物へ言い聞かせた。

「確かにあの子は死者に会いたいと願ったわ。けれどあの子を魂だけの存在にしたところで、あの子のお母さんに会わせることは出来ない。永遠に夜の世界を彷徨うだけの存在になってしまう」

 そう、今のあなたのようにね。
 銀髪の少女は静かに化け物に告げた。
 驚き化け物を見遣る。その言葉が事実ならば、目の前にいる目玉の化け物は、かつて人間であったことを意味している。

「あなたは……寂しかったのでしょう? 何かを求めて夜の世界へ入り込み、けれど探すうちに、何を求めていたのかも分からなくなるぐらいの長い時を過ごして、自分が何者であるかも忘れてしまった。だから、あの子を引き込むことで自分の失ったものを取り戻そうとしたのね」

 ミスティカは細く白い右手を化け物へと伸ばした。

「あなたの探し物は、恐らく遠い昔に失われて取り戻すことは出来ない。けれど私なら、あなたという存在を理解してあげられる。だから……私と一緒にいきましょう」

 化け物は大きな目玉から透明な虹彩を放つ雫を一粒落とすと、差し出された白亜の腕に、己の黒影の手を伸ばした。
 ミスティカがそっとその手を掴むと同時に、今まで沈黙を続けていた彼女の棺の蓋が音もなく開く。
 棺の中は空だった。
 いや、正確には空ではない。何故なら棺の中には底がなく、どこまでも深い深淵が広がっていたからだ。
 死霊使いの少女は優しく化け物の手を引き、棺の中へと誘導する。
 化け物は抗うことなく、その巨体を深淵の闇の中へと移動させ、やがて棺の中の闇と同化して見えなくなってしまった。

「危ないところだったわね、神士さま」
「あ、あぁ……。助かった、礼を言う」

 目の前で起こった一連の出来事に放心していたが、ミスティカに声をかけられ、はっと意識が戻ってくるのを感じた。おざなりにだが少女に感謝の言葉を述べると、少女は面白そうにくすくすと笑いだした。

「貴方じゃないわよ。危なかったのは、さっきの可愛い女の子の方」

 ミスティカは愛おしそうに化け物が消えた棺を見つめ、そしてわが子をあやす様に優しく撫ぜた。

「あの子は他の人よりも、よるのいきもの達に好かれやすいみたい。あの子の持つ命の光に惹かれるのか、それともあの子の寂しさに共鳴してしまうのかは分からない……。何にせよ、気を付けた方がいいわ」

 ミスティカは棺を撫ぜるのをやめ、その場で大きく跳躍し、棺の上に飛び乗った。

「深淵の闇を覗かせないこと。こちらが深淵を見つめているとき、深淵もまたこちらを見つめているのだから」
「……忠告ありがとう。肝に銘じておこう」

 レイピアを納刀しながら言えば、ミスティカは妖艶な笑みを浮かべた。

「私に言えることはそれだけ。さようなら、神士さま。ごきげんよう……」

 言い終わらないうちに、棺の下の地面から黒く禍々しい巨大な影の手が生まれ、棺と彼女を包んだ。音もなく形を崩していく影は次第に地面へと溶けて行き、最後には文字通り影も形もなくなってしまった。
 嵐のような出来事にぽかんとしていると、遠くの方から自分の名を呼ぶ声が二つ聞こえてきた。

「ジャントール! 無事か!?」
「パパ!」
「コゼット! ルチアーノ! こっちだ!」

 二人がこちらへ走ってくる。コゼットは相変わらずルチアーノに背負われたままだ。小さな体が私に手を伸ばしてくる。それを優しく受け止めると、コゼットはぎゅっと抱きついてきた。

「パパ……よかった……怪我してない?」
「あぁ。親切な人が助けてくれたお陰でね」

 それよりもコゼット、と話題を変えると、幼い娘は腕の中でびくりと体を震わせた。

「何故夜の森なんかに来たんだ、助けに来られたからよかったものの、一歩間違えればどうなっていたことか!」
「ご、ごめんなさ……」
「私は理由を聞いているんだよ?」

 優しく、けれど厳しい口調で問いただせば、コゼットは一瞬ためらった後、ぽつりぽつりと話し始めた。

「パパの書斎でママの写真を見つけたの。会いたいな、って思ったらスクウィークが動き出して、ママのところへ連れて行ってくれるって言ったから……」

 腕の中に抱いている相棒をちらりと見る。俄かには信じがたいが、先ほどから信じられないものを見続けていたため、驚くほどすんなりと受け入れることができた。

「コゼット……どんなに望んでもママにはもう……」
「分かってるよ、パパ」
「では何故?」
「最初は寂しくてママに会いたいって思っていたけど、もしかしたら、パパを元気付けられる方法を教えてくれるかもって思ったの。パパ、最近お仕事で忙しくて元気なかったでしょう?」

 私ははっと息を飲み、コゼットの顔を見た。この子は自分の寂しさよりも、私の身を案じてくれていたのか。娘の優しさに鼻の奥がつんと痛む。ルチアーノなんか始終涙目だ。

「そうだったのか。私のことを心配してくれていたんだね、ありがとうコゼット。しかし無理はしないでくれ。コゼットにもしものことがあったら……私は……」
「うん、本当にごめんなさい。もう危ないことはしないよ」

『なんにせよ、気をつけた方がいいわ』。脳裏にネクロマンサーの言葉が蘇る。
 大丈夫だ、何があってもこの子は守ってみせる。
 固く心に誓い、ぎゅっと縋り付いてくる幼い体を、私も力強く抱きしめ返した。



 さすがに夜の森に長居すると危ないため、三人で連れ立って家路へと急いでいた。ふとコゼットの持つかぼちゃのランタンに目がいく。視界を覆う闇を払うように、その目にはオレンジ色の明かりが灯っている。

「コゼット、そのランタンの光はいつもオレンジだったか?」
「うん、オレンジ色しか見たことないよ?」
「ありゃ? そういえば……さっきはもっとこう、ふかい藍色のような寒色系だった気がしたんだけどな?」
 
 ルチアーノも気づいたらしく、不思議そうにランタンを見つめている。

「しかも独りでに動いてたし」
「えっ……ランタンが動いたの見たことない……」

 コゼットの言葉に、ルチアーノの顔からさっと血の気が引いた。

「えっ……嘘だろ。それってまさか……幽霊……?」

 ランタンから距離を取ろうとするルチアーノ。
 神に仕える身で心霊現象が苦手なのはいかがなものかと思うが……。
 ルチアーノに苦笑いを送りながら、私は思い返す。
 そういえばあの藍色の光、妻の輝石の色にそっくりだった。

「……まさか、な」
「どうしたの?」
「なんでもないよ、早くうちへ帰ろうか」
「うん!」
「ちょ、俺を置いて行くなよ!?」

 森の入り口に差し掛かったところで、勢いよく走り出す。
 明かりを無くしそうになった親友の泣き言を背に、私は愛しい温もりをしっかりと抱きながら、夜の街を駆け抜けていった。

 明日は、彼女の話をしよう。娘と一緒の布団で眠りながら。
 きっともう、寂しくも悲しくもないはずだから。






エピローグ 始まりの物語

 ハリエットはパタンと絵本を閉じた。

「これで、夢語りの神仕と夢路を歩く者の物語は終わり。あなたの愛の物語は綺麗な色をしているわね」

 目線の先、椅子の上に浮かぶ魂が徐々に人の姿を成していく。現れたのは紅の瞳を持つ美しい花嫁だった。

「コゼットのことが心配で、思わず助けに行ってしまったわ。遅れてごめんなさい、ハリエット」
「いいのよエレオノール。お陰で素敵な愛の物語を書くことができたし」

 それよりも、とハリエットはエレオノールに問いかける。

「魂が消えてしまうまで、二人の側にいなくていいのかしら? 生前あなたの物語をいつか聞かせてもらうと約束はしたけれど、あなたがあなたでいられる時間は、もう残りわずかよ」
「……あの二人なら、私がいなくてももう大丈夫。きっとどんな暗闇の中でも歩いていけるはずだから」
「そう……あなたがそう言うのなら遠慮はしないわ。そうね、次はあなたとジャントールの最初の物語を聞きたいわ。話していただけるかしら?」

 エレオノールは嬉しそうに返事をした後、静かに始まりの物語を語り始めた。



友人への贈り物として書かせていただきました。
と言いながら自分の好きなキャラを主人公にしているあたり、せとりの身勝手さが伺えますね。
いや、コゼットちゃん可愛いから……どうしても書きたかったんだ……。
私の罪を許したまえ、友人よ……。

2015.10.18 pixiv掲載
2022.3.13 サイト掲載