ハルジオン 12

・戦闘シーン、および流血表現があります。
・苦手な方は、あとがきに「ふわっと分かった気になるダイジェスト」がありますので、そちらをご覧ください。











 現界してからというもの、ワタシは彼女のそばを片時も離れなかった。
 時計塔から派遣された魔術師の監視があったせいで表立って実体化することはできなかったけれど、夢に潜り込めば、姿を見せることも、会話することもできたので、あまり不自由は感じなかった。

 彼女とは沢山の話をした。
 カルデアについて知っていると教えた時は、心底驚いた顔をしていたっけ? 夢を通して見ていたと告げたワタシに「何だか恥ずかしいな……」と、頬を赤らめて苦笑していたのは、もう遠い記憶の断片だ。
 数々の英雄達と出会い、時代と場所を巡り、世界を救った壮大な思い出話に花を咲かせる。
 彼女にとっては全て事実で、紛れもない過去の出来事で、何よりも大切な物語だ。例え誰かの都合のために、その物語の存在自体を抹消されようとも、ワタシは知っている。ワタシだけは同じ感情を分かち合える。
 それがとても嬉しくて、なぜだか少し誇らしくて。サーヴァントとして一緒に戦いたかった気持ちは押し込めたまま、来る日も来る日も、彼女と昔を語らっていた。

 でも……どうしてだろう。
 ずっと一緒にいるのに。
 沢山の言葉を交わしているのに。
 彼女の笑顔を見るたびに、こんなにも寂しさが募るのは、一体なぜだろう?
 光に近付けば近付くほど影がより濃くなるように、ワタシの中にある欲望が大きくなってしまったのだろうか?
 ───いいえ、ワタシは知っている。
 本当の笑顔を引き出す方法を。
 本当の幸せをもたらすことができる人物を。
 ───たった一度だけ。
 彼女には内緒で、夢の中で『彼』を見せてあげたことがあった。笑顔の裏にある「かげり」を拭い去れると。カルデアに居た時みたいに、また屈託なく笑ってくれると思ったから。
 でも、それは間違いだった。
 朝日と共に目覚めた彼女は膝を抱えたまま、声を押し殺して泣き始めてしまった。思えば、後にも先にも、彼女が『彼』を想って泣いたのは、それっきりだった。
 ごめんなさい。ごめんなさい、ごめんなさい! そんなつもりじゃなかったの!
 夢の世界に逃げ込み、己の失態に激昂し、身も張り裂けんばかりに叫ぶ。
 そして悟った。
 ───ワタシでは、どう足掻いても幸せにしてあげられない。
 拳を握りしめる。食い込む爪の痛みなど、きっと彼女の悲しみに比べれば可愛らしいものだ。
「神は全知全能、人を超越した存在だ」なんて、誰が吐いた妄言だろう。目の前にいる人間の心さえ救うことができない我が身の、どこが全能なのか。
 それどころか、優しさを騙った驕りと傲慢が、彼女の傷を抉ってしまった。
 行き場のないやるせなさと激しい後悔が、身体(いれもの)の中で暴れ回る。
 人は、───生まれ落ちてから死の瞬間まで、こんな……どうしようもない感情を、ずっと抱えているの? どうやって、このノイズを掻き消しているの?
 ねぇ、誰か……教えてよ……。
 蹲り、もう一度叫ぶ。目から熱いものがポタリと流れ落ちる。
 それが涙だと認識するのに、とても、とても長い時間を要した。
 
 結局、彼女が最期を迎えるまで、ワタシは「かげり」を消すことはできなかった。
 彼女がいなくなった世界に、ワタシと答えのない疑問だけが取り残された。
 ねぇ、どうして彼女を忘れたまま、世界は回り続けるの?
 ねぇ、どうして……彼女を置き去りにしていったの?
 どうして? どうしテ? どうシテ? ドウシテ?
 過ぎていく時間が彼女と過ごした記憶を悲しみで彩る。やがて、それが彼女の「かげり」を生み出した者たちに対する憎悪に変貌するまで、そう長くはかからなかった。

 許さない。
 世界も、そしてアイツも。
 絶対に、許さない。






閑話休題






「おい、マスター! 呆けてないで、しっかりしてくださいよ!?」

 アーチャーの叱責に、荷物よろしく小脇に抱えられたリツカは、ハッ、と我に返った。
 親友が敵だったという衝撃に脳が無意識に現実逃避をしようとしていた。
 オネイロスという神霊サーヴァントに命を狙われている。使役しているマスターは黒森姫乃。彼女たちは、リツカを、ひいては世界を滅ぼそうとしている。
 ───突拍子がなさすぎる。だから、だろうか?
 なかなか実感が持てず、フワフワとした作り話を聞かされている気分だ。親切な導入も、唸るような問題提起もなく、ただあるがままの事実と、釈然としない転換点を投げつけられたかのような不親切で理不尽な話。
 飲み込まないと……。かみ砕いて無理矢理にでも情報を入れこまなければ……。
 リツカは歯を食いしばった。
 さっきから目の奥が熱い。じんわりと視界が滲む。きぃん、と耳鳴りも聞こえ始めた。
 でも……。
 絶対に負けないと誓った。大切な人達を守ると決めた。だったら……やっぱり泣いている暇なんて微塵もない!
 辺りは更に光が薄くなり、ヒナゲシの白も帷を含んだ黒に塗れつつある。花の中を駆けるアーチャーに、リツカは慌てて叫んだ。

「アーチャー、館に戻らないと! キャスターと師匠が!」
「アイツらなら大丈夫っしょ。それよりも、あのオネイロスってサーヴァント。どうにもオレ達を見逃してくれる気は、さらさらねぇみたいだ、なっ!」

 アーチャーは大きく飛び上がる。その下、ヒナゲシの花を薙ぎ払う二連の風刃が過ぎ去った。二人を切り裂くはずだった真空の凶器が、標的を失ったまま、前方の太い木の幹をバターでも斬るように、数本、貫通していく。暗い森の中に木々の倒れる音が、僅かな地鳴りを伴いながら響き渡った。

「鬼ごっこはもう終わりかしラ。案外、呆気なかったわネ」

 倒木の断末魔が終わると同時に、オネイロスの声が背後から聞こえた。愛らしい無邪気な声も、今や絶望を告げる鐘の音でしかない。近づいてくる気配に背筋がぞわりと粟立つ。
 ───攻撃が、来る!
 アーチャーはリツカを後ろに放り投げた。持ち前の運動神経を駆使して受け身を取ったリツカは、すぐに起き上がり二人を視界に捉える。
 激しい剣撃がアーチャーに向かって繰り出されていた。その速さは尋常ではなく、肉眼では二つの黒線の軌跡がオネイロスの周囲に幾筋も描かれているようにしか見えない。
 洗練された業には磨かれた美しさがあるものだが、オネイロスの剣の在り方はその真逆だ。型に捉われず、好き勝手に、思うまま振り回している。
 しかし荒削りだからこその美しさが、そこには確かにあった。ある種の剣舞を見ているような、不思議な優雅さが感じられるのだ。
 オネイロスの猛攻は止まらない。
 だがアーチャーも決して押されているだけではなかった。
 黒剣の間合いの外、計算された距離を維持しつつ、姿を眩ませながら隙を見て矢を射る。そうすることで回避と攻撃の両立を実現させていた。
 両者のスピードは凄まじいものだった。目で追うのがやっとだ。何かできることを、と思ったが、つけいる隙なんてこれっぽっちもない。それどころか下手に手を出せば、保たれている均衡を崩しかねなかった。
 これが……サーヴァント同士、───人の領域を超えた戦い。
 固唾を呑んで見守る。いや、見守ることしかできないの間違いだ。
 ───もどかしい時間がジリジリと身を焼く。
 永遠に続くかと思われた一進一退の攻防も、オネイロスが双剣を内から外へ薙ぎ払い、アーチャーが少し距離を取ったことで、一旦の終局を見せた。

「相変わらず逃げるのがお上手だコト。まるで霧でも相手にしてるみたイ。一太刀も浴びせられないなんて、ちょっと……いえ、正直に言って、かなり悔しいワ」
「そりゃどーも。オタクもムチャクチャだが、なかなかの剣捌きだ。……もっとも、それを剣と形容していいのかどうかは、よくわかんねーですけど」
「褒めたつもりはないし、アナタからのお世辞なんて地獄の番犬の餌にすらならないワ。不快だから、その口、閉じててもらえル?」
「───さっきからヤケに突っ掛かるな。初対面のはずなんだが、オレ、過去に何かやらかしましたかね?」

 わざと戯けた口調で、アーチャーはオネイロスを煽り立てる。彼女はその一言に、ニヤリと余裕の笑みで迎え撃った。

「……さぁ、どうかしラ。でも、その言葉が出るってことは、少なからず思い当たる節があるんじゃなくテ? 色男さん」

 皮肉と嫌味の応酬が続く最中、オネイロスの向こう側に姫乃が音もなく現れた。足にはルーン文字が薄闇の中で独特の光を放っている。

「ちょうどいいワ。ヒメノ、魔力を回しテ!」

 オネイロスが叫んだ。姫乃の左手の甲に浮かんだ令呪が眩く光り始める。リツカと形状の違う、左右対称なそれが、一つ分の行使権を使用し、色を失った。

「───疑似接続、開始。その身に刻まれた最期を思い出させてあげル……」

 どこからともなく二つの門が花畑の中に出現した。一方は荘厳な彫刻が施された象牙質の門。もう一方は驚くほど大きな角のついた門だ。
 二つの門で前後を挟まれたアーチャーは、それらを一瞥した後、険しい表情を隠しもせず盛大な舌打ちをした。
 それぞれの門の奥に、闇に包まれた二つの何かがいる。闇は焔の如く燃え盛っており、大きな人魂のような形をしていた。
 黒い焔が、ゆらりと動く。いや、動いたと感じた瞬間には、既に別の場所への移動が完了していた。
 ───瞬間移動。リツカの頭に浮かんだ一言だ。だが、おそらく語弊がある。脳が認識するよりも早く、炎が動き回っていると言った方が正しい。
 神速の闇がアーチャーを円形に取り囲む。何重にも分たれた全ての闇から、黒鈍色の切先が現れた。
 
「永久(とわ)に眠りなさい、───『幻視にて、死を忘ること勿れ(トロイメライ)』!」

 ───オネイロスの宝具。今まで見てきた三人と同じ、サーヴァントの奥義にして秘技。
 一斉に鋏が口を開き、獣のように牙を剥いた。
 アーチャーが動く。周囲に迫った刃から逃れるため、上方へと姿を消した。
 鋏はアーチャーのいた空間を虚しく切り刻んでいく。
 ───闇が消える。門も同時に消失していた。
 全てが消え去った花畑の中にオネイロスと姫乃、そしてリツカが立っている。アーチャーの姿だけがない。
 ……アーチャーは、どこ?
 
「避けたはず、なんだがな……」

 リツカから一メートルも離れていない場所で、ぼんやりとアーチャーが姿を現す。彼は蹲ったまま苦痛に顔を歪めていた。
 アーチャーはオネイロスの宝具を避けていた。リツカの網膜には先ほどの交戦がしっかりと焼きついている。攻撃には絶対に当たっていないはずだ。
 だったら……。だったら、なぜ……。
 なぜ彼は“腹部から血を流している”のだろう。
 夥しい量の朱がアーチャーの緑衣を濡らしていく。じわり、じわりと広がっていく染みがアーチャーの命の時間であるならば、刻一刻と削られているのは明白だった。

「回避なんて不可能ヨ。だって、何人たりとも死からは逃れられないんだかラ。でも……あぁ、そっカ。アナタ、“色々混ざってる”から、これと言った死因を引き出せなかったのネ。その様子だと、霊基に刻まれた一番の死因は失血死ってところかしラ?」

 オネイロスがゆっくりと歩みを進め、痛みに耐えるアーチャーに近付いてくる。
 ダメだ……。これ以上近付けさせてはいけない。だって、きっと、次は───ない。
 リツカはアーチャーへと駆け寄った。膝を地へつけた彼は、前に出るな、とばかりに、傷口を押さえていない片腕でリツカを後ろへ庇う。
 オネイロスとの距離は、もう二メートルほどもない。
 視界に鋏が映る。
 死を告げる鐘がなる。
 と、その時───

「近付いてくれて助かったよ。あまり離れていると、二人同時に転移できないからね」

 脳内の警鐘を遠く霞ませるような明るい男性の声が辺りに響いた。リツカは森を見回すが、最初からいた四人以外、他には誰も見当たらない。オネイロスの歩みも完全に止まっていた。
 地面がぼんやりと、淡く、白く、光り始める。ヒナゲシの花を塗りつぶすように、リツカ達を中心に桃色の花が咲き乱れた。
 突如咲いた謎の花から、無数の花びらが不自然に空中へ舞い上がる。それらはリツカとアーチャーを球体状に包み込みながら、ゆっくりと回り始めた。
 花びらの数と回転速度が徐々に増していく。もはや、それは外界を隔てる花の壁と化していた。
 内から外の景色が完全に見えなくなった瞬間、壁は中心にぎゅっと集まった後、膨らむように弾けて、解けて、はらはらと重力に従いながら散った。
 リツカとアーチャーの姿もない。花びらと共に、すっかり消え失せてしまっていた。
 二人がいたはずの空間をオネイロスが睨めつける。目の前に飛んできた一枚の花弁を、忌々しげに剣で両断した。

「あのハイブリッド夢魔……。傍観を決め込んでいたのに、ここにきて介入してくるなんテ。想定はしていたけど、実際にやられると不愉快極まりないワ」
「もしかして、今の……」

 姫乃の問いに、オネイロスは一つ大きく頷いた。

「ええ、もしかしなくてもマーリン。どうせまた千里眼で覗きでもしてたんでショ。本当に悪趣味よネ」

 ───まぁいい。冠位クラスと言えど、所詮は幽閉された身。せいぜい覚えのある魔術で茶々を入れるぐらいしか出来ないはずだ。
 加えて、ここは固有結界内。どんなに隠れようと、どこまで逃げようと、決して獲物を見失うことはない。
 オネイロスは意識を集中させる。自身の心である領域を隅から隅まで索敵した。

「……見つけタ。随分と遠くに飛ばしてくれたみたいネ。行くわよ、ヒメノ。今度こそアイツを殺し尽くさなきゃ……」

 二つの黒剣を握りしめた夢色の少女の呟きが、冷たい闇の中に落ちていった。



ふわっと分かった気になるダイジェスト

・花畑の中、オネイロスに追いつかれる。
・ロビンさん、オネイロスと戦闘。
・オネイロスの宝具発動!
・無敵貫通持ちだった!
・ロビンさん負傷。
・花のお兄さんが助けてくれる。

夢と言えば、この人。
2022.1.22