ユメのはぎれ

・ユメからこぼれた「はぎれ」の物語。
・ジククリ、コンヨハのお話があります。
・がっつりネタバレ含みます。
・クリームヒルト絆5前提。












 ~合縁奇縁~ 
 ドン・キホーテさんとロビンさんのお話

 ガチャガチャという金属の立てる賑やかな音が、空を駆る艦、ストーム・ボーダーの通路いっぱいに響いた。
 壁に、床に、窓に、天井に。
 軽快にぶつかった音たちは、生みの親である金鎧の老人へと跳ね返り、その鼓膜を震わせる。
 大きな窓の向こうに広がる青い空。
 常に清浄を保っている機体内の空気。
 己を取り巻く環境に、胸の高鳴りを止められず、老騎士は荒い鼻息のまま、隣を歩く従者の名を呼んだ。

「サンチョや。これこそが召喚。此処こそがカルデアなる場所である。我々は遂にたどり着いた訳だ。そう、英霊たちの集う現代のヴァルハラに!」
「でもヴァルハラで迷っていては、勇士として格好つきませんね。締まりも、決まりも悪いです」

 頭のロバ耳をしょんぼりと下向きに、掛けた大きな丸い眼鏡をくいっと引き上げながら、サンチョ・パンサは困ったように盛大なため息をついた。

「いや、全然迷っとらんからね。自主的にぶらぶら散歩しとるだけだから」
「調子に乗ってマスターさんの案内を断らなければ、今頃こうして艦内を徘徊することなく、他の英霊の皆さんに、ご挨拶の一つや二つできたんですけどね」
「あれぇ……? 迷子になっている前提で話が進んでなぁい、これぇ?」

 とは言うものの、ドン・キホーテが当てどもなく彷徨っているのは事実だった。
 召喚されたハイテンションを引きずったまま、冒険と称して艦内の探検に繰り出したドン・キホーテ。
 初めはよかったのだ。そう、初めだけは。
 ストーム・ボーダー内は思った以上に広く、そして乗り物特有の同じような景色が続いたため、自分が今どこらへんを歩いているかが分からなくなってしまったのだ。
 少し乱暴な物言いになってしまうが、突き詰めてしまえば、これは空を飛ぶ箱。そこには必ず行き止まりがあるはずだ。
 地続きの場所を歩くより容易く、迷うことなどありはしないだろうと高をくくっていたのだが、そう思っていた数十分前の自分を叱りつけたい気分になる。
 サンチョの嫌味、もとい、進言通り、大人しくマスターの申し出を受けるべきだっただろうか。いや、しかし、自らの足で未開の地を開拓するという醍醐味も、魅惑的、かつ捨てがたいものであったのだ。
 とはいえ、歩けども歩けども、誰ともすれ違うことはなく。こうなってしまっては道を尋ねることもできはしない。今からでも引き返すかとドン・キホーテが思案していると、ふいに曲がり角から何者かが姿を現した。
 緑のマントに、フードをすっぽりと頭からかぶった人物。ちらりと覗く口元と若々しい体躯から、年若い青年であることが伺い知れた。

「おっと。見かけねぇサーヴァントがいると思ったら。新人さんかい? 格好からして、どこぞの立派な騎士サマって感じだが?」

 目の前の人物は、ぶつかりそうになったドン・キホーテに対して嫌な素振り一つ見せなかった。それどころか、気さくに話しかけてくるあたり、彼のひととなりの良さが滲み出ている。

「これは失敬。お初お目にかかる。我が名はアロンソ・キハーノ……ではなく、遍歴騎士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ! つい先ほどカルデアに召喚された者であります」
「ここぞとばかりに名乗りましたね、旦那様。ですが、バッチリ決まっていたと思います! あ、従者のサンチョ・パンサです。以後お見知りおきを」

 サンチョも丁寧にお辞儀をする。名乗りを受けた緑衣の青年は、フードの下から「ほー!」と驚きの声を上げた。

「ドン・キホーテ……っていやあ、自分が信じる姫さんの素晴らしさを口伝するために奔走したっていう、あのスペインの老騎士か。そりゃまた有名な騎士が来たもんだ」
「おお! 我が姫の偉大さ、高潔さ、そして美貌は、やはり遍く知れ渡っていたようだ! なんと感慨深い。いや、誠に嬉しいかぎり!」
「やりましたね旦那様。私も、ちょっと照れちゃいます」
「ん? なんでサンチョが照れるの?」

 パチパチと両手を鳴らすサンチョに、ドン・キホーテは高くなった鼻のまま、疑問符を付け足した。

「んで、ドン・キホーテの旦那たちは、こんなところで何を? この先には格納庫ぐらいしかないはずだが……」

 青年は漫才然としたやり取りが終わったのを見計らってから、真っ当な質問をドン・キホーテとサンチョに投げかける。

「あ、やっぱりそうなんです? 人気はなくなってきたし、明らかに艦の後方に進んでいるので、なんとなくそうじゃないのかなと思っておりました。旦那様、この際きちんと徘徊しているという自覚をもって、一度マスターの所に戻りましょう」

 サンチョがふんわりとした口調で提案してくる。
 変化球ではあるけれど、ちょいちょい悪口言われているような気がしなくもないのは、ワシの気のせいだろうか?

「徘徊は止めて!? ワシ、これでも英霊になったんだから! カッコ悪い老人の印象つけるの止めて!?」

 そのやり取りで全てを把握したのであろう青年が、マントの中から片手を上げ、ちょっとだけ首を傾げる仕草をした。

「ノウム・カルデアからストーム・ボーダーに拠点が変わって、多少手狭になったとはいえ、ここは結構な広さがあるからな。オレでよければ色々と案内しますぜ?」

 なんと心の広い、そして気持ちの良い爽やかな青年なのだろう。
 さぞかし名が通った、立派で善良な英霊に違いないと、ドン・キホーテは感動すら覚えた。
 しかし、と老騎士は背筋を伸ばし、鎧に包まれた胸をぐっと張った。

「お気遣い感謝する! だが未知の場所に自らが乗り込んでいくというのも、こと冒険においては代えがたい一興。例え、この先に雑多なものが押し込められている侘しい空間しかないと分かっていても、実際に自分の目で確認することこそ、最も大切なことだと思うのであります。そして、人から案内されてしまっては冒険の楽しさが半減してしまうと、ワシの中の騎士道も叫んでおりまして───」

 決して相手が不快にならないよう、ドン・キホーテは言葉を並べて断りを入れた。
 ───まあ、実際には迷っているのを認めたくなかっただけなのだが……。
 瞬間、緑のフードが微かに揺らめき、短く息をのんだ気配がした。しかしすぐに硬直は解け、青年は面白そうに少し笑う。

「ははっ、なるほどな。百聞は一見にしかずってやつっスか。それに、騎士道か。……騎士道ねえ。───だったら、もうオレの出る幕じゃねえや。ま、もしもどうしようもなくなったんなら、壁に緊急連絡用の端末があるから、それ適当に操作したら、誰かは駆け付けてくれると思いますぜ」
「おお、それは有難い! 有益な情報、まこと痛み入る」

 それさえあれば百人力。心強い後ろ盾を得たドン・キホーテは、ニコニコと破顔しながら、騎士風の礼を尽くした後、揚々と廊下を歩き始めた。

 ◇

「アンタも大変だな。騎士道を掲げて突っ走る主君の後ろは、ムダに気苦労が絶えねぇだろ?」

 先を突き進まんとする主君のガチャガチャ音を黙って聞いていたサンチョは、そう声をかけられ、ふいと青年に向き直る。
 フードに隠れて定かではないが、彼の視線はサンチョと同様に、ドン・キホーテへと注がれているようだった。
 ───いや、きっとそれは間違いだ。
 彼は旦那様を通して、別の誰かの背中を見ている。先程の問い掛けも、どこかひどく同情的で。まるで自身もそういった御仁に付き合わされて辟易したんだ、と物語っていた。
 サンチョは少しだけ考える。そして、ふんわりとした当たり障りのない笑顔と共に、青年の問いかけに答えた。

「いえいえ、そのようなことは。……と、言ってしまえば嘘になりますが。なんだかんだ振り回されるのも、それはそれで、案外楽しいものですよ」

 言外に「それもまた一興」という意味を込める。半獣の付き人は恭しく一礼し、主人の元へと走り寄った。

 ◇

 近付いてきたサンチョの気配を後ろに感じながら、ドン・キホーテは先程の青年に名をたずねていなかったことを思い出す。

「ワシとしたことが何たることだ! 騎士にあるまじき恥ずべき行為! 舞い上がりすぎるのも考えものであるな。親切なお方、貴殿の名はなんと───」

 申す、という続きはどこへやら。振り返った場所には、もう誰の姿もなかった。隣で同じように振り向いたサンチョの「足音もなく消えちゃいましたね」という呟きだけが、ぽつりとこぼれ落ちた。

 ◇

 ロビンフッドは、目深に被っていたフードの中から、若草色の瞳で、去っていく二人組の背中を見つめていた。

「振り回されるのも楽しい、ね。……ああ、その感覚。分からないこともねーですよ」

 楽しかったかと聞かれたら、手放しに肯定することはできない。しかし、つまらなかったかと問われたら、即座に否を唱える記憶。いや、この場合は記録と言ったほうが正しい表現か。
 形の良い口元に、ふっと苦笑いが宿る。

「しっかり刻まれるくらいには、悪くないと思ってたのかねぇ……」

 ここではない場所での、在りし日々の奇跡を携えたまま。
 皐月の透明な風が、幻想にも似た花の香りを攫っていった。





騎士道を貫く老人に縁があるんだよ! お話書いたのに、なんで来てくれなかったんだろうな……(爆死)
そういえば、この二人、CVが〇ンダムのあの二人ですのよね。





 ~忘却スケッチ~ 
 シャルルマーニュ十二勇士のドタバタ

「うおー! ここがカルデアの空飛ぶ要塞か! 俺の宝具に負けず劣らず、カッコ良いじゃないか!」

 カルデアに召喚されたシャルルマーニュが、ストーム・ボーダーの要とも言える操縦室に入るやいなや、感嘆の声を上げ、わっと色めき立った。その全身には気力が満ち溢れ、目は少年のようにキラキラと輝いている。

「だろだろー!? 王様は絶対そう言うと思ったんだ! 本当はノウム・カルデアって基地が彷徨海にあったんだけど……この前、異星の神様にキレーイに吹き飛ばされちゃった!」

 一歩後ろで案内役をかってでたアストルフォが、あっはっはーと、重大な事件を能天気に語った。操縦室にいた全員が、「ノリが軽ッ!!」と声に出さずツッコんだのは言うまでもない。

「そうか。そっちもカッコ良かっただろうし、ぜひとも見てみたかったが……。壊されてしまったのなら仕方ない! 皆が無事だっただけで良しとしよう!」

 力強く頷くシャルルマーニュに、やはり一同が「こっちもこっちでメンタル強ッ! さすが十二勇士の王様だ!」と、謎の称賛を送っていた。
 そんなギャラリーを気にすることもなく、シャルルマーニュはキョロキョロと辺りを観察する。そしてアストルフォに向かって、ちょいちょいと手招きをした。トコトコと近づく友の耳に、王は口を近付けボソボソと尋ねる。

「ところでアストルフォよ。あれか。もしかしてこの飛行艦……波動的な砲撃とか。打てたりするのか?」
「そんなもの打てるわけがなかろう! いや、攻撃手段はいくつかあるし、霊子砲というものも搭載されてはいるが……。とにかく、資源もかぎりある現時点で、派手さを追求した兵器などないわ!」

 二人を遠巻きに観察していたゴルドルフが、耐え切れず声を上げて反論をした。

「あちゃー打てないかー。じゃあサテライトな力を集めて撃つキャノンとか、動き回ってビームを撃つ端末機とかは?」
「おーい、シャルルマーニュ陛下ー。その質問は、そこまでにしといてくれたまえ。撃てるか撃てないかの真偽はともかく、シオンがそれに近しい兵器(もの)を、割と真剣に取りつけようと考え始めちゃったからさ」

 ダ・ヴィンチちゃんの指の先では、シャルルマーニュの質問を受けたシオンが、真剣な目をして虚空を見つめていた。口元に浮かんでいる薄い笑みと、そこから漏れ出す楽しげな独り言が、彼女のよからぬ思考を物語っている。

「お? そうか。そりゃ悪かったな。……悪かったのか? でもまあ、乗組員を守る術は多いに越したことはない。ひいてはカッコ良さにも通じるからな! という訳でだ。アストルフォ、この艦の機能や設備を知るためにも、残りの場所の案内を頼む」
「オッケー! じゃあ次は……」
「大変ですー! 王様、助太刀を! お力添えをー!」

 やっと落ち着きを見せ始めた会話の中に、可愛らしくも凛々しい女騎士の声が転がり込んできた。

「どうしたブラダマンテ。その慌てよう、タダ事じゃないな!?」

 血相を変えて操縦室の入り口に立つブラダマンテに、シャルルマーニュが応える。そのキリッとした様は、まさに勇士を束ねる王の威光であった。

「そうですタダ事じゃないんです! 今しがた召喚されたローランが、『今日は裸記念日だ☆』とか叫びながら、マスターの前で服をっ」
「なっ、まさか脱いだのか!?」
「まだ未遂ですが、すぐにでも脱いでしまいそうなんです! マシュさんの守りも、いつまで保つか分かりませーん!」
「あははは! さすがローラン、カルデアに来てもいつも通り。全然ブレないやー」
「笑い事じゃねえだろっ、全力で止めに行くぞ! カルデアに来て早々、『十二勇士はイロモノ騎士の集まりだ』なんて風評被害が広がってみろ。父ちゃん悲しくて涙が出てくらぁ!」
「だから王様は父ちゃんじゃないだろー!? あ、そっちじゃないよ、王様! 召喚ルームはこっちこっち!」

 ドタバタと、喜劇も裸足で逃げ出しそうな寸劇を繰り広げながら、シャルルマーニュ十二勇士(三人)は、問題の人物がいる部屋へ走り去っていった。
 カルデアスタッフは皆一様に、ほっと胸を撫で下ろす。何故かは分からない。しかしあの三人と接していると、とんでもない事件が巻き起こりそうでハラハラするのだ。

「これまた賑やかな騎士が増えたな。新たな事件の呼び水にならなきゃいいけど。……おい、ダ・ヴィンチちゃん。スケッチブック携えて、どこ行くつもりだ?」

 椅子から立ち上がったダ・ヴィンチちゃんをムニエルが引き留める。

「ん? いや、ちょっと用事を思い出しただけさ。ゴタゴタしてて、すっかり忘れてしまっていたけれど、なぜだか急に蘇ってきた大切な用事だよ」

 斜め上の遠い空間を仰ぎ見てから、ダ・ヴィンチちゃんは颯爽とどこかへ消え去ってしまう。

「もしかしてあの子、まだ裸体のスケッチ、諦めてなかったんじゃ……」

 ゴルドルフが可能性を呟く。
 ムニエルがカッと目を見開いた。

「ホームズ! ……は、いないんだった! 俺たちで止めるしかないのか!? くそ、早く戻って来いよ経営顧問ー!」

 ダ・ヴィンチを止めろー! と、二人は慌てて小さな背中を追った。
 結局、ダ・ヴィンチちゃんの野望は、残念ながら果たされないままだったらしい。






朝まで生全裸の破壊力よ。





 ~復讐妃は笑わない~ 
 ジククリのお話。

「マスター、お願いがあるの」

 開口一番。
 マイルームに訪れたクリームヒルトが、立香にそう告げた。
 彼女が纏っているのは喪服を思わせる華やかな漆黒のドレス。霊基再臨を果たした彼女が、わざわざ姿を変えているのには、唯ならぬ理由があると伺えた。

「はい、なんですかクリームヒルトさん」

 だから椅子に座っていた背筋を伸ばして、ごほんと一つ咳払いをしながら、立香は復讐妃の美貌を見つめた。
 彼女はそわそわと落ち着かない様子で、ウロウロと視線を彷徨わせた後、伏し目がちに、こちらをチラリと一瞥する。
 そして高貴さの漂う小さな口を、静かに開いた。

「その……ジークフリートに会ってみようと思うの。ついてきてくれる……?」

 ───聞き間違いではないだろうか? 今、彼女は何と言った?
 カルデアに召喚されてからというもの、絶対にジークフリートには会わないと宣言していた彼女が。
 彼の話を執拗に避け続けていたクリームヒルトが。
 自らの意志で夫に会いに行くと決心してくれたのだ。
 立香は弾丸よろしく椅子から立ち上がる。そしてクリームヒルトの両手を掴み、ぶんぶんと上下に振った。

「うんうんうんうん! いいと思うよ! ジークフリートなら、ちょうど素材集めから帰ってきて部屋で休んでいるだろうし! 気が変わらないうちに、さっそく行こう。すぐ行こう。間髪入れずに今すぐ行こう!」
「ちょっと!? テンションの上がり方がおかしくないかしら!? 手を、手を引っ張らないでってば! あぁもう!」

 不平不満を並べつつも、クリームヒルトは大人しく後をついてくる。
 何だかんだ言っても、彼女から会うと言った手前、振り解いて逃げるつもりはないようだ。

「それにしても一体どういう風の吹き回し? あれだけ話題にするのも嫌がっていたのに」

 廊下を二人で歩いている途中、それとなく探りを入れてみる。クリームヒルトは繋いだ手のまま、目を伏せて、心底嫌そうにため息をついた。

「あの特異点での出来事は記憶にないけれど……。朝起きたら忘れてしまっていた夢と同等に扱いたくないと思ったのよ。私ったら、ガラにもなく、そして思っていた以上に、あそこでの出来事が嬉しかったみたいね。……あなたに、うっかり感謝を吐露してしまうほどには」

 あなたは迷惑だったでしょうけど、と放たれる可愛くない締めくくりに、立香は苦笑した。

 確かに、まったく迷惑じゃなかったとは言い切れない。
 それでも───。
 満足そうに寄り添いあう二人を見送ることができたのだ。サーヴァントを従えるマスターとして、あの姿は十分すぎるほどの報酬だった。
 数々の剪定事象を渡り歩き、そのたびに、あり得たかもしれない世界の可能性を摘み取ってきた。前を向かなければと、ひたすらに走り続けてきた。心が痛まなかった訳じゃない。いつも思考のどこかに、「他の世界を踏みにじってまで、存続させる世界に意味はあるのだろうか」と、繰り返す問いがあった。
 でも違った。
 きっと、そこにあんまり意味なんてない。
 そんなもの、血眼になって求めるほうが間違っている。
 ただ、わたしは───。
 自分の信じたもののため。
 自分の守りたいもののため。
 自分の納得のいく終わりに向かうために、ひたすらに生きたいと思うだけだ。
 ……醜い欲望だ。
 けれど、どんな時でも、それだけで前に進んできた。
 そんなわたしが、自我を出して敵に回った(おそらく生前を含めて初めてかもしれない)彼と彼女を、どうして責めることができるだろう。
 ヒトはいつだって、少なからず自分のために生きている。
 そこにあるのは意味ではなく、何者にも侵しがたい欲があるだけ。そして、それが結果的に、他人のためになったり、ならなかったりする。
 どちらの欲が強くて、弱いか。より強い可能性が生き残る。厳しいかもしれないけれど、生存競争に、まやかしみたいな道徳の入る隙間なんてないのだ。
 だから、もう悩むのは止める。
 これからも「生きたいという欲」を抱えて進む。
 でも決して驕ることなく。
 置き去りにしてしまったモノを捨てることなく。
 大切に、胸の中に仕舞いこんで。
 繋いでくれたモノを、決して忘れないようにしながら。
 それこそが、わたしがここに立っている証だから。

 こちらこそ、と立香は声なき声を発する。
 忘れかけていたモノを改めて思い出させてくれて、本当に、本当に───。

「───とう」
「え? 声が小さくて聞こえなかったわ。もうちょっと大きく、しゃっきり言いなさい?」
「ううん。何でもないよ」

 誤魔化しの言葉で会話を打ち切って、廊下を歩いて、歩いて。サーヴァントの休憩室として使われている一室に辿り着いた。
 クリームヒルトを見る。彼女の色素の薄い瞳には、立香の姿が映っていないようだ。目の前にある扉を、夫の仇のごとく睨みつけている。
 ……うん、部屋の中にいるのは、その愛する夫のはずなんだけどな。
 立香は扉の開閉スイッチを遠慮なく押した。中の人物には、あえて声をかけなかった。大英雄である彼のことだ。誰かが扉の外にいることぐらい、気配で察知しているだろうから。
 そして立香は、その場に踏ん張ったまま、クリームヒルトの手をぐいっと前方へ引き、部屋の中へと押し込んだ。
 振り返ったクリームヒルトのまんまるに見開かれた二つの目が、今度は立香を見ている。それに爽やかな笑顔で応え、手を振りながら、立香は再び扉のスイッチを押した。

 ◇

「えっ、ちょっとマスター!? ついてきてって、部屋の前までって意味じゃなくて、中までなんだけど! ……あ、開かない! ご丁寧に鍵まで閉めたわね!? このっ、開けなさいよ!」

 びくともしない扉と格闘していたクリームヒルトだったが、先客がいたのを思い出し、そろりと後ろを振り向く。壁にもたれるように床に座りこんでいたジークフリートが、彼女を静かに見つめていた。

「君から訪ねてくれるとは……。まさか想像もしていなかった」

 ジークフリートが立ち上がり、一歩一歩、確かめるように、ゆっくり近付いてきた。やがてクリームヒルトの目の前で、彼は立ち止まる。
 二メートル近い長身に、肩幅のある恵まれた巨躯。
 決して身長が高いとは言えないクリームヒルトは、すっぽりと覆われるような威圧感と共に見下ろされた。ともすれば見下されているような気さえする。もっとも、ジークフリートは、そんなつもりは毛頭なかったのだろう。しかし彼女にとっては、その事実がひたすらに不愉快きわまりなく、とてつもなく腹立たしかった。

「……相変わらず図体が大きいですね。そのままだと私の首が痛くなりますので、ちょっと座っていただけますか、ジークフリート様?」
「ああ、分かった」

 なにひとつ疑うことなく、ジークフリートは妻の嫌味にも似た言いつけを実行する。
 しかし、今度は別の問題が浮上した。

「……何でなの? 何でなのよ? 備え付けの椅子がそこにあるっていうのに、どうしてよりにもよってその座り方なのよ!」

 彼の座り方は、いわゆる正座と呼ばれるものだった。
 膝を折り曲げ、こじんまりと床に座る彼は、クリームヒルトが何に対して憤慨しているのか分からなかったのか、太い首を傾げた。

「誠意を示すには、この座り方が一番だと不夜城のキャスターが言っていた。……違うのか?」

 無垢に尋ねられても困る。クリームヒルトは唸り声を上げて、頭を抱えた。

「……はあ。もういいです、そのままで結構ですので。あなたに座り方を教えた不夜城のキャスターって人、もう一周回って清々しいほどに潔くて格好いいわね。……って、そんなことはどうでもいいのよ!」

 クリームヒルトは両腕を組み、下方にあるジークフリートの顔を睨みつけた。仁王立ちの彼女は、整った美貌も相まって迫力に満ちている。背後からは復讐の赤黒いオーラが立ち上るようだ。

「さて、文句は星の数以上にあるのですが。それはまあ、追々伝えていくとして……」

 縮こまっているジークフリートに、すっと手を伸ばす。
 妻が次に取る行動が分からず、ジークフリートは目を白黒させるばかり。
 クリームヒルトは軽く握った手の人差し指だけに、ぐっと力を込める。
 溜めた力を解放して、一気に弾く。
 ばちん、とジークフリートの額から良い音が響いた。
 つまり俗に言う、デコピンを見舞ったのだ。

「私は千の行動と一の感情を以って本懐を遂げた女。本来なら、いくら殺し尽くしても足りないほど、憎悪の炎が身の内に燻っているのですが……。あの特異点での戦いと、このデコピンで、今回だけは特別に! あなたの正義に則った、ふざけた行いの数々を水に流して差し上げます。……でも、私の憎悪がまた昂ぶってきた時は、そのつどお説教タイムを設けるつもりですから。───覚悟していてくださいね、大英雄さま?」

 クリームヒルトは、したり顔でジークフリートに言い放った。
 眼下にある間抜けな顔に、復讐妃は胸のつかえが少しだけ取れた気がした。鳩が豆鉄砲をくったような表情を、ずっと見ていたいと思うほどに、気持ちは晴れ晴れとしている。

「……クリームヒルト」夫がおずおずと名を呼ぶ。
「何?」妻が不遜に返事をした。
「その……全然痛くないから、罰になっていないのだが……」

 竜を凌駕せし英雄は、眉間に困惑のシワを作りながら、クリームヒルトに告解した。
 途端、クリームヒルトの顔が無表情になる。物言わぬ彼女の姿は、まさに蝋人形のようだ。
 その無機質な体が小刻みにわなわなと震え出した。喜びなどという可愛らしいものではない。純然たる怒りの感情で、だ。

「───っ。なるほど? 死ぬほど痛いのがお好みだったようで。それは気付きませんでしたわ、ごめんなさいね気の利かない妻で! 大体あなた、自分から死ぬって言ったそうじゃない!? ええ、ええ! いいわよ、いいわよ! そぉんなに死にたいなら、何度だって殺してあげるわ!」

 可憐な手の中に現れたのは、禍々しい形相をした魔剣バルムンク。クリームヒルトは夫に引導を渡そうと、細腕には余りある大剣を振りかざした。

「……待ってくれ。悪いが、君であっても簡単に殺される訳にはいかない」
「はあ!? この期に及んで往生際の悪い!」

 凶器を振るおうとする妻を、いまだ正座で床に座り続ける夫が、真摯な瞳で大真面目に見つめる。そして空気を読まずに、こう言い放った。

「俺が死んだら、また君を一人にしてしまうだろう? さすがに二度も君を置いて死ぬことはできない。そんな不誠実が許される訳がない。だから、その攻撃はいくら君からのモノであろうとも、しっかり避けさせてもらう」

 すまない、とこぼされる謝罪の言葉。
 妻としても、サーヴァントとしても、負けを突きつけられた気がして。
 もともと怒りに歪んでいた蝋人形の顔が、怒髪天を衝くほどの怒りによって、さらに赤く染まっていく。

「……っ! ……やっぱり殺すわ! もうやだ、やだやだやだー!」

 魔剣バルムンクがジークフリートの首元に突き刺さる直前、外で様子を伺っていたマスターに、令呪で静止させられるクリームヒルトであったとさ。





その後、マスターに見守られながら、リテイクとして会話9をやっていたら面白いなーと。
北欧夫婦は生前の罪悪感からか、男性陣が女性陣の愛(物理)を一身に、甘んじて享受し、ガッツで耐えるという図式が完成している気がする。どことなく方程式じみた美しさがある。





 ~幻想の記憶~
 コンヨハのお話。

 抜けるような青空が広がる復権領域。
 窓から差し込む日差しの下、椅子に座った君は、憂いの瞳で遠くを見つめていた。
 視線の先にあるものは紅に染まる空。
 復讐界域との境界。
 何を考えているかなんて、それこそ手に取るように分かる。分かってしまう。心優しい君のことだ。あの空の下で戦う、名もなき英霊達のことを考えているのだろう。
 それが彼らの、戦人としての責務だと説いたところで、君が納得などするはずもない。君は曖昧に同意をして、でも、と顔を曇らせたあげく、また何度も同じ場所を螺旋するように思い悩むのだ。
 だから私は、あえて何も言わなかった。
 そのかわりに、いまだこちらに気付かず空を眺める君の気を引くため、肩で寄りかかった扉を大きめにノックした。

「わっ! ……驚いたわ。コンスタンティノス、いつからそこに?」
「ついさっきから。ノックはしたんだが、返事がなかったのでな。何かあってはいけないと勝手に入らせてもらった。……気を悪くしただろうか?」

 気遣いを見せると、ヨハンナはとんでもない、と首を勢いよく横に振った。

「ううん、大丈夫よ。ちょっとボーっとしてただけだから。……あ、もうこんな時間。復権の象徴として、礼拝くらいはこなしておかないと」

 疲れた表情のヨハンナは立ち上がる。そしてもう一度、復権と復讐の空を見遣ってから、彼女はこちらに歩いてきた。

「ヨハンナ」

 短く名を呼び、手を取って、脇をすり抜けて行こうとした彼女を引き止める。

「私はこれから街を視察するんだ。ちょっと一緒についてきてくれないか」

 自分でも強引すぎただろうかと思わなくもない。しかし彼女を連れ出す理由が、これ以外に見当たらないのも事実だった。
 ヨハンナは案の定とまどっていた。月夜のような不思議な色をした瞳が、不安げに揺れ動く。

「え!? だから私、今から礼拝を……」
「───アミン。よし、これで礼拝は終わったな。安心して街に行こう」
「雑っ! とても敬虔で信心深かったローマの皇帝とは思えない雑さっ! 神がお怒りになりますよ!? コンスタンティノス、聞いていますか!?」

 おざなりに胸の前で切った十字を非難するヨハンナの手を握りしめ、私はせかせかと城内を突き進んだ。
 後日談にはなるが、その時の様子を見ていた見回りの英霊に、「あの時の皇帝陛下は、それはもう悪戯が成功した少年のように、大変よい笑顔をなさっていましたね」と、嫌味だか妬みだか分からない冗談を贈られたことを、ここにつけ足しておく。
 ……そんなに悪い顔をした覚えはなかったのだがね。



 内情を知っておくことも為政者としての大事な勤めだからと、なんとか彼女を説き伏せて、復権領域内の街を二人で散策する。
 ……ちなみに、街中では止めてくれと、繋いだ手は解かれてしまった。とても残念だ。
 街道をすれ違う英霊達が会釈をしていく。ヨハンナは一つ一つ丁寧に応えたあと、ちらりと私に視線を送ってきた。

「やはり慕われているのですね」
「私だけじゃないさ。むしろ、君への敬意が大半だと思うよ」

 復権と銘打っている以上、この領域の中心は彼女だ。事実、そうでなければならない。私は皇帝だが、今回ばかりは添え物としての役割でしかないだろう。
 そうかしら? と半信半疑のヨハンナだったが、店の軒先に繋がれていた美しい栗毛の馬に目を奪われたようで、すぐに感嘆の声を上げた。

「わあ! 綺麗な毛並みの子ね。きっと、あなたの馬に負けず劣らずの名馬に違いないわ」

 私の返答を待たず、ヨハンナは嬉しそうに数歩だけ駆け出す。そして商品を指差しながら振り返った。

「あっちには果物が。見て、コンスタンティノス! 林檎がとっても美味しそうよ!」
「ああ、そうだな」

 ゆったりとした歩調でヨハンナを追う。彼女の笑顔が眩しくて、思わず目を細めた。
 ───私は思う。
 こうしていれば、彼女は年相応に笑う一人の女性だ。しかしサーヴァントとして召喚され、復権の象徴となったが故に、その純真な心は絶え間なく傷付いてしまう。
(───「君」でなければよかった。)
 一度は存在を肯定され、その後、否定されたという経緯がなければ、今この場所に君は立っていることさえなく、私と出会うこともなかっただろう。
(───「君」でいてくれてよかった。)
 相反する矛盾した感情を持っている私を知った時、君は呆れて笑うだろうか?
 それとも、困った人ねと叱るだろうか?

「どうしたの? 何か問題があったかしら?」

 押し黙ってしまった私に、ヨハンナは心配そうに首を傾げた。

「いや、何でもないよ。……ヨハンナ、君はもっと外に出たほうがいい。礼拝も大切なことではあるが、日の光の下で明るく笑うことも、君であるための大切な役割だ」
「……もしかして、私そんなに暗い顔してた?」

 往来の真ん中で、はたと立ち止まり、頬に両手を当てて不安げに問う彼女に、少し考えてから頷く。
 ここで嘘など吐いたところで、万に一つも益がないからだ。

「うわあ、それはいけないわね。他の人に不安が伝播してしまうような振る舞いをするべきではなかったわ。……あ、分かっちゃった。あなた、そういうトップとしての自覚を持ってくれって意味で、私を外に連れ出したんでしょ? うーん、やっぱり一国を率いた皇帝陛下は、励まし方が一味違うわね……。たいへん恐れ入りました」
「うん、そういうことではないんだがね!」

 違うの? と先ほどよりも深く首を傾げるヨハンナに、どう説明したものかと頭を悩ませた。
 なんだか奇妙な羞恥に襲われる。面白いことを言ったのに、うまく相手に伝わらなかったため、説明を求められる時の感覚にそっくりだ。

「───まあ、教皇である君らしいと言えば、らしいか。今はまだそれでよしとしよう」

 結局、真意を伝えることを諦めて、私は咳払いで場を濁した。

「……コンスタンティノス、私いいこと思いついたわ」

 話題を変えるように、ヨハンナは妙案が浮かんだと、手のひらをパチンと合わせる。

「どちらかの気分が沈んでしまった時、相手を街に連れ出すの。もちろん、お互いの仕事に差し支えない時だけ。何をするって訳じゃないけれど、物を見て回ったり、色んな話をしたり。そうやって、いつも通りになれるまで、一緒にゆるーく過ごすっていうのはどうかしら?」
「ほう、それはまた。……その役目が私でいいのかい? 他にも英霊はたくさんいるだろう」

 思ってもみなかった意外な申し出に、私は少々意地悪な質問をしてみた。
 きっと彼女は全く気付いていないだろう。自分が今、何の約束を取り付けているのかということを。
 ヨハンナは一瞬きょとんと音が出るような顔をしてから、優しげに、そして儚げに微笑んだ。

「あなたがいいのよ。ううん、あなたじゃないとダメかもしれない。何故だか分からないけれど、あなたと一緒なら、幻想でしかない私でも、前を向いて、自分の足で歩いて行ける気がするの」

 それに───。
 ヨハンナはそっと私に近付き、ことさら声をひそめて言った。

 「私たちは、共犯……なんでしょう?」

 悪戯っぽく舌を出すヨハンナ。まさかの切り返しに、ぽかんと口を開くことしかできない。
 ───だって、それは……。共犯という罪の言葉で飾るには、あまりにも綺麗すぎるじゃないか。
 気が付くと、私は声を上げて盛大に笑っていた。

「なるほど。どちらが主犯で、どちらが従犯か。実に興味深いところではあるが……。俺でよければ、時間の許すかぎり、いくらでも付き合うさ。なあ、共犯者殿?」

 一片の陰りなど感じさせないほど屈託ない笑顔で、「約束よ!」と、ヨハンナは嬉しそうに言った。
 俺は、網膜に、記憶に、その笑顔を焼き付ける。
 この先、もしも敵の猛攻の前に膝をつき、斃れそうになろうとも。
 その記憶と、生まれた想いだけで、俺は何度でも立ちあがろう。
 我ながら動機が不純すぎるとは思う。
 しかし、せっかく勝ち得た第二の生だ。自分の欲のために使わずして、何のために使えというのだろうか。

 神よ、我が罪を赦し給うな。
 此処より後、振るう剣は汝のためにあらず。
 愛しい者のために。
 守るべき者たちのために。
 私は、───俺は、汎人類史に叛逆しよう。

 ◇

 それは恋と呼ぶには、あまりにも眩しく、
 愛と呼ぶには、あまりにも淡く遠すぎた。
 ユメの中でのみ語られる残照にも似た光。
 ありえざる世界の、在りし日の軌跡。


The ローマの休日。



遅ればせながらクリア記念に。
大切な思い出として。
2022.7.15